謎の空間
*
「なあ、マハ……」
マハが珍しく気だるそうな声で「ん?なに?」と応えた。
「夜の海って翻訳して夜の海だから、夜の海なんだよな」
「そうね」
「ここは、海なの?」
その回答としてマハは首を横に振った。サラサラの金髪が軽やかに宙を舞った。
「じゃ、何処なの?」
その回答としてマハは首を横に振った。サラサラの金髪が軽やかに宙を舞った。
「皆はいるの?」
その回答としてマハは首を横に振った。サラサラの金髪が軽やかに宙を舞った。
「帰りの転送陣どこ?」
その回答としてマハは首を横にを振った。サラサラの金髪が軽やかに宙を舞った。
「じゃどうすんのっ!?」
「っ知らないわよ!」
ヨハンとマハの叫び声が幾重にも降り合わさり、洞窟の奥へと吸い込まれて行った。
ヨハンは頭を抱えた。
「はあ、これはマジで困ったな」
「うん」
ヨハンは辺りを見回す。薄暗く圧迫感を感じる奥に長く続く空間。壁面は赤や青や緑の小さな光が点滅している。僅かな燐光から見て取れる壁の材質は平たく、時折角張っている。明らかに人工物だ。
異様な洞窟。素直な感想はこれであった。
この世界ですらない。そんな気がするほどに、彼の常識では考えられない空間だ。
「見当もつかない?」と、マハが小首をかしげながらたずねる。
「ん、残念ながら全く。そもそも洞窟なのかどうか……多分人の手が加えられてるのは予想出来るけど」
正体不明な以上、不用意に壁へ触れるのは得策ではない。加えて恐らく人工物。何か罠や仕掛けがあってもおかしくない。
かと言って帰還の方法が分からない以上、何か行動を起こすべきか。アゴに手を当てて思案する。
「そっ、ヨハンが分からないなら私じゃ分かんないはずね。壁も見慣れない材質だし」
そう言ってマハが、その小さな手を壁に添えようとする。
「あ、おい!おバカ!」
「えっ?」
ヨハンの静止も虚しく、マハは不用意に壁に触れた。
彼女の金の瞳、聡明な眼差し。仕立ての良いシルクを思わせる金の髪。白磁のような美しい肌、整った造形。透き通る声、屈託のないその明るい表情。
ヨハンは、彼女と初めて出会った時、マハの事を一言で表す言葉が余りにも陳腐で、己が浅学さに嘆いてしまいたくなるほどであった。
そう。ヨハンはマハと初めて会ったとき、彼女の印象をこう抱いた。
――天使……と。
「……今じゃアホに見える」
「へっ?」
そして、マハが壁に触れたことにより何処からか空気の抜けるような音がした。それに慌てるマハとそれをどこか達観したような視線で見つめる自分がいた。
「あれ?あれっ!?」
ヨハンはマハを引き寄せ、壁を背にした。
絶え間なく蒸気を上げるような音がなり続き、どこかで重くて硬いものを打ち付けるような音もした。
遠くの方で光が灯った。その光がゆっくりとこちらに近付いてくる。その光が決して視界で揺れることなく一定の高度を保っている事に、えも言われぬ違和感を感じた。
「あれ、絶対ヤバイやつだよね?」ヨハンの服をつまんで彼女は小さくなる呟く。
ヨハンは無言で頷く。
「生き物の動きじゃないよね?」
光の玉は静かに、ゆっくりと、確実に、まるで二人の首を麻縄で絞めるように、じわじわと迫ってきている。
マハの手に力がこもる。
「静かに、距離を開けるぞ」
ヨハンは横目でマハを見る。彼女は無言で大きく何度も頷いた。
一歩二歩と、光の玉の速度に併せて後ずさる。
しかしその動きも、マハの声にならない悲鳴によって中断された。
「ひっ!?」
「ん?」
「う、後ろも」
なんと、ヨハン達の背後からも同じ光源が一つ近付いてきている。
二人は足を止めた。しかし、このままでは挟み撃ちになってしまう。あの光が何か分からないが、友好的な何かであるのを願うか、天井に張り付く……ヨハンは出来るが、マハは恐らく無理だろう。
前後の光に攻撃を仕掛けるか。そう思い、腰の剣に手を当てる。
この場を切り抜けるプランを組み立てる。
幸い剣を二本持ってきているので、マハを囮にして近付いてきた所を上空から仕手からの一撃で、いやそもそも正体が分からないのに、そのような運星に委ねるような愚策で果たして通用するのであろうか。
などと考えていると、不意に何者かにより襟首を思い切り引っ張られた。