異常事態
マリアの言葉に一同頷く。
彼女の細い手が扉にかかった。
これまた、校舎入口よりも酷い音と酷い臭いを広範囲に撒き散らして、入口の扉は開かれる。
それはまるで大きな生き物がゲップでもしているようだ。
「これは……」とヨハン。
「思ってたのと、違う……」とマハ。
扉の奥には、口を大きく開けた洞窟の入口でもなければ、地底へと続く仄暗い階段でもなかった。
学園地下遺跡の入口。それは、紫の光で描かれた魔法陣であった。
一同は沈黙を感想とした。
その沈黙に答えるように、教諭のマリアがゆっくりと口を開いた。
「……これは、授業でも話した事あると思うけど古代遺産の一種で転送陣と呼ばれるものよ。これで別の空間に移動するのだけれど、その場所が何処なのかは解明できていない。もしかしたら、私達がまだ知らないこの星の未知の大陸なのかもしれないし、異世界転移なのか、星間移動なのか、それとも更に高次元の……もしかしたら、そここそが幻の国なのでは、とも言われてるわ」
「じゃあ、古い建物とか洞窟探索じゃないんですか?」
ユユがそう尋ねる。マリアは頷く。
「その、転送先っていうのは決まってるんですか?」マハの問にも頷く。
「ええ、この転送陣から行けるのはどこかの海辺。そうね特徴を挙げるならば常夜で日の出ない場所ね。古代語で夜の海と呼んでるわ」
「出てくる魔物は?」ヨハンが尋ねる。
「基本はあなた達の知っているタイプの物しか出てこないわ。回空魚っていう空飛ぶ魚が遠距離から攻撃するから、そこだけ気を付けて。それ以外の異常事態が発生したら速やかに向こうの転送陣でこちらに帰って来る事。いいわね? じゃあ私に着いてきて」
そう言って、マリアが転送陣へと足を踏み入れた。
すると紫の光の輪が彼女の足元から真っ直ぐ天井に移動し、その動きに併せてマリアの体がどこかに消え去った。
目を閉じれば、静かな小波が聞こえる。
微かな虫の鳴き声が聞こえる。
「これが、地下遺跡の向こう側ですかぁ」
ユユは荘厳な星空を見上げた。
こぼれ落ちそうな溢れんばかりの光の瞬きにユユの青い瞳は大きく開かれ、感嘆の吐息が洩れた。
行く前の不安は果たして何処へ消えたのか。耳が先ほどから興奮してくすぐったいぐらいに動き回っている。
「宝石が散りばめられているみたいですぅ」
「そうか? 俺には閉ざされた世界に開けられた空気穴のようにしか見えないが」
ふと、隣に誰かが立った。その人は爽やかな笑顔でこちらを見た。
「フェイドアさん?」
「いや、何でもない。忘れてくれ」
「詩人さんですね」ユユはふふっと笑った。
「ふむ、魔法の呪文は全部そんな感じだろ?」
「まあ、確かにそうかもしれません。初めて詠唱した時はそれはそれは恥ずかしかったの覚えてます」
「分かるよ」
ユユは当初の目的すら忘れ、ここで自然の息吹に抱かれていたいと思った。
しかし、
「ねえ、ユユ。ヨハンとマハは?」マリアが困惑した声で問いかけてきた。
「へ? 先に入ったんでもう来てないですか?」
「そんな……」
その言葉にマリアの顔色はみるみる青くなっていく。彼女の瞳が小刻みに揺れる。思案するように眉間にシワを作った。
その表情にユユは次第に腹の底からイヤな感触が這い上がってくるのを感じた。
「先生、マハとヨハンは?」ユユの疑問を代弁するかのようにフェイドアか問いかけた。
その言葉に対して、マリアはかぶりを振って、短く一言。
「異常事態よ」