外へ……?
「やあちびっこたち!ポピーちゃんが遊びにきたよ!」
すごく大きな声だ。狭い部屋の中に響き渡る。
「おねえちゃ!」
そういって首飾りをちゃらちゃら鳴らしながら駆け寄るのはスノー。つい先ほどまで遊んでもらっていたほかのお姉ちゃんの膝元からおっぽり起きてポピーに抱き着く。満面の笑顔でなついていて、どうやらスノーの一番のお気に入りはポピーのようだ。
で、私はというと、
「……声でっかいなあ、ポピー」
昼寝をしていたところをたたき起こされたのだった。起きてるとこのわけわからない状況を無駄に考えすぎちゃうし、幸いこの幼い体は寝ることに関しては事欠かない。
すると、ポピーがスノーをひっつけたままこっちにやってきた。
「ちがうなあ、リリー。ちゃんとこう言わなきゃあ」
「?」
ノンノンと指を振るポピー。一体何が言いたいんだ。さっきのつぶやきは小声で、しかも日本語だから何を言ったのか分かるわけがないのだが。
何のことか質問してみよう。この『妖精語』ともいうべき言葉はまだ口がうまく回らないからゆっくり、はっきりとだ。
「……なにが?」
ポピーは即座に切り返す。
「アタシのことはお姉ちゃんっ、て呼ばなくちゃあね!」
「……はぁ、」
またか。というか地獄耳か。しっかり自分の名を呼び捨てにされたのは聞こえていたわけだ。今日でちゃんと目が冴えるようになってからは一週間目、といったところか。思えばポピーは自分をこう呼ばすようずうっと私たちに語りかけてきた。
でも直す気は毛頭ない。そもそも30越えのおっさんが10才そこらの幼女をお姉ちゃん呼ばわりするのはアレだし、なによりマッパの幼女に向かってそんなこと言い放つなんて絵面、想像するだけで犯罪になりそうだ!そんなことできるわけがない!
というわけで、拒否の意思表示を見せるためにも顔をツンと背け、ついでにうつ伏せになる。すると、ポピーは私を後ろからぐいっと抱き上げてきた。お腹回りに手を回され、つま先が浮く。そして耳元から話しかけられる。
「ねーねー。言ってよー。お姉ちゃんっていいなよー」
「おねえちゃ!スノーもこっこ!こっこして!」
さらに下からはスノーの突き上げ。こうなったら断固拒否だ。言葉は無用、押し通す。依然無視を貫く。
「むー、こうなったらー、つんっ!」
「ひっ!」
脇をっ!脇をつついてっ……!
「もいっちょ!こしょっ!こしょしょしょっ!」
「ひゃっ!やぅあぁ!あは、あはははは!」
足をじたばた蹴たぐりまわす中、ひたすらくすぐられ続ける。そしていつのまにか地面に転がって、さしたる抵抗もできなくなってきたころ、ようやくホールドが解かれた。
「ふぅぅー!まっリリーのすまし顔もこんなもんね!」
「はぁっ、ふぅ、はぁー…………」
もう荒い息を返すことしかできない。体格差で動きを一切合切封じられたうえでくすぐられたのだ。肺の中を全部出し尽くしたと思った。
……ぜったいお姉ちゃん!だなんて呼ぶものか!絶対だ!
「でもスノーはいい子!よっしゃだっこしたげる!」
「わーい!スノーこっこすきー」
そういうと二人はそのまま上へと上っていき、終いには天井近くまで到達した。ふわふわとだが体が完全に宙に浮かんでいる。二人は空を飛んでいるのだ。
「ほーら!たかいたかーい」
「きゃー!たかーい!」
ポピーの背中の翅がはらはらと鱗粉を落としながら緩やかにあおいでいる。たいして動かしてもないのにその小さなサイズでどういうわけか宙に浮かんでいる。
だっこは空中遊泳のことじゃないんだぞ。やっぱりこの子たちは人なんてもんじゃない。人間には空なんか飛べるはずがないからだ。というか私もたぶんもう人じゃない。彼女らと同じ翅がついていて、なんというかティンカーベルみたいな見た目になってるからだ。
そう考えながらポーッとポピーを見つめていると、なぜかニンマリしながら寄ってきた。そして上から話しかけてくる。
「なあんだ。やっぱリリーもだっこしてもらいたいのね!」
「うっ、」
違う、と言いかけたが言葉が詰まる。実はそれは半分正解だからだ。何人かお世話してくれる妖精の子はいるが、こうしてだっこで浮かしてくれるのはポピーだけで、これを毎度ひそかに楽しみにしてたのだ。この小さな部屋の中とはいえ、人間の頃に体験しえなかっただけに新鮮で、おもしろかったのだ。
「じゃあねぇ……」
ポピーがもったいぶって言う。
「アタシのことおねえちゃんて呼んだらだっこしたげる!」
「なっ!」
こっ、このオレンジブロッコリーのくせに!変な知恵をつけやがって!交換条件なんて卑怯な!
チラリとスノーを見ると足がはなれているだけなのにすごく楽しそうにしている。
うぅ……。自分もしたい……。そうだ、これは心が弱るあまり口がすべっただけ。しかたない……、しかたない……。
「おっ、」
「お?」
そのまま続ける。
「おねえ「ポピーちゃん……」」
そこで、ずっと空気だったもう一人の妖精さんが口を挟んだ。そこで、ポピーは振り返ると、やばいっ、といいながらスノーを下した。身体を起こし、振り返った先には大人の女性が一人立っていたのだった。
「ポピー、だめよ。まだちいさいんだから。もう少しすれば飛べるようになるからそれまで我慢なさい」
「てへへへ」
どうやら私とスノーを浮かすのはご法度だったらしい。
というか私的第一危険人物が今日も来てしまった。
「ネメシアさまー」
スノーがとてとてと寄っていってネメシアさんに抱き着くが、そんなこと私にはできない。というか直視すらできない。こうして顔を赤くしながらうつむくしかできないのだ。
というのも彼女の格好だ。全身くまなく肌色の私たちとは違い、彼女はただ一人服を着ている。着ているのだが、問題はその服なのだ。ネメシアさんの着てる服は、一言でいうなればネグリジェだ。それもスッケスケのエロい、黒紫のやつ。
かくいう私は生前童貞だった。そんな私の前に突然黒髪ストレートのあぶない下着を着たねーちゃんが現れてももうたじたじになるしかないのだ。
「リリー」
名前を呼ばれた。声が信じられないほどやさしく感じる。これが自分の名ではないと分かっていても身体は反応してしまう。そのまま硬直していると、そっと頭に手がのせられた。手先から癒しのオーラがでてるんじゃないかと思うくらいに、ふわふわして心地いい。だんだんと指先から弛緩してくる。
「今日も私とは話してくれないのね」
そんなつもりはっ……!
どうもうまく言葉にならない。生前でも女性相手にこんな口下手ではなかったのに。これもネメシアさんがとんでもなく美人で、やさしい雰囲気で、なにより見れない恰好をしているからだ。
「そうなんだよねー。リリーってばヘンなことはよく言ってるのに。いっつも無口」
「……そう。いつもこうなの」
「そ。いっつもだよ。それよりネメシアさま!せっかくだしみんなでお外に出ようよ!」
ポピーがそう言うと、私の翅をつかんだ。しなしなとしていた数日前とは違い、もうハリがあって、ポピーや他のみんなと遜色ない見た目になっている。
「リリーもスノーももうそろそろだよ!今日にしようよ!」
「そうね。頃合いかしらね。ふたりはどう?出てみたい?」
ネメシアさんが聞いてきた。これはつまりこの狭い部屋の外にようやくでれるということだろうか。未だ口をつぐんでいた私に代わり、スノーがいち早く返事をする。
「行きたーい!でたーい!」
「いいわ、かわいいスノー。行きましょう。で、そちらのかわいいリリーはどうするの?」
はしゃぐスノーの白い髪をなでると、その指先で私の伸びてきた白髪もなでる。そこからぽわぽわと温かみがあふれてくる気がした。ようやく目を上げると、ネメシアさんの紫のきれいな瞳と目が合う。まるで母親が子供に向けるような慈愛の目だ。
「……行きたい」
自然と言葉がでた。心の声が漏れたみたいに。久しぶりに自分の本当に正直な気持ちを吐露した気がする。5年か、10年ぶりか。外に出たい。この暗い寝床から。シンプルで簡潔なこの言葉、なぜかこの一週間思うことはあれど、誰にも伝えず内に秘めていた。もう癖になっているのかもしれない。自分の思うように生きないということが。でもネメシアさんはその瞳だけで、私の心の声を引き出してきた。
「行きたい」
もう一度言うと、ネメシアさんはふっ、と口角を上げた。
「ええ、行きましょう。ふたりの姿を精霊様にみてもらわなくちゃね」
とても素敵な笑顔。これにはまた顔を赤くして伏せるしかなかった。
妖精といえばマッパかスケスケ、というイメージなのでそのとおりにしました。