教育ママのネメシア様
ネメシアさんに朝早く、それもみんなが目覚める前に起こされたのは、衝撃の事実を彼女の口から語られたすぐ翌日のことだった。
肩を揺すられて、「リリー、起きて」と繰り返し呟かれて、起こされるも身体はまだ寝ていたいと言っていた。なので二度寝をきめこむも、終いには朝の冷気をそよそよと顔に当てられて意識を無理くり持ち上げられる。
「ネメシアさまぁ」
彼女の名を呼んで抗議する。すると、起こしてきたのはそっちなのに、子供たちが寝てる、としーっと指を立てられる。
「文句はなしよ。いきましょ」
外へ出るとまだ真っ暗だった。底冷えするような寒さが肌を突き刺すよう。今は一日で一番寒い、夜の終わりの時間であるらしかった。
なんでこんな時間に起こすのかと翅を懸命に震わせながら聞くと、昨日言ったでしょう、と返される。
「貴女は今日から花嫁修行に入るのよ」
花嫁て。修行て。今日びそんな言葉なかなか聞かないよ。そのためにこう夜逃げみたいにこっそり起き出してきたのか。
「にしても早いよ」
「あらこうして起きるのにも意味はあるわよ」
ネメシアさんは空を指差す。その先にはカラフルな星に彩られた夜空がある。未だ墨を塗ったような一面の黒が覆っていて、夜が明ける兆しもない。
「あとどれぐらいで朝日が昇るかわかるかしら」
「ええっと」
いきなり試されるかのような質問。時計もないのに難しいことをまた言われた。
どうすればいいんだろう。ネメシアさんは空を指した。つまり、ヒントはそこにあるということで、その、昔の人がやったみたいに星の位置で時間を導け、ということだろうか。
でも、ボーっと天体観測に勤しむことはあっても、特定のどの星がどういう動きをしてるみたいなタイムラプスを観察したことはない。
日が昇るとともに起きて、日が落ちる頃には寝床に入る、早寝早起きがモットーみたいな子どもらしい生活してたから、こう夜中に出歩くだけで変なバツの悪さを感じてしまう。
結局考えを巡らせても、分かったのは分からないということだった。
「うーん、分からないよ」
「なら、お星様が実は動いてるのは気づいてる?」
「うん、季節で見える星が違うのも知ってるよ」
そう言うと、あら、と驚いた顔をされる。その知識があるとは思ってなかったみたいだ。
「気づいてるとは思わなかったわ。でもそれならすぐ 覚えられるでしょう。私の指を見てみなさい。指の付け根のところ」
ネメシアさんは手を上に伸ばして、人差し指と親指でL字をつくる。その先に何かあるのかと、のぞいてみるも、そっちじゃないわ、と言われる。
「そこからじゃちゃんと見えないわ。もっとくっついて」
「う、うん」
そうして近づくもまだ遠いと言われ、オーライオーライと近づいて、ついにはあったかい頬同士がひっついたところで、ようやく彼女の意図を察する。
親指と人差し指の付け根のところから、一際輝く黄金の星がのぞいていたのだ。彩り豊かな星々の中でもよく目立つやつだった。
「あれは楔星よ。空はあの星で天に打ち付けられていて、どの星もあれを中心に回るの。お日様も、お月様もそう。影の主役ね」
ようは北極星かな。そして、ネメシアさんが手を回していくと、人差し指の先を明るい星がいちにさん、五つ通っていった。
「楔星は平手座の手のひらにあたるの。そこから五つの星に向かって指が伸びている。今の季節なら薬指が天上を向けばちょうど日が昇るわ」
はぇー、すっごい。
昔の航海士とかが、星座とかから位置や時間を把握できるってのは聞いたことがあるけど、こう目の前で実践されるとやっぱり違うなあ。
さらに、ネメシアさんはいろんな方向に手を向けて、これは何座、これは何座と、いろんな星座を紹介してくれる。でも、それも十を超えたあたりで頭がパンクし始めてしまう。
「ちょ、ちょっと待って。さすがにそろそろ覚えきれないよ、多すぎだって」
「今日でダメなら明日またやるわ。秋にしかでない星もあるわ。見えなくなってから教えることはできないのよ」
「だからってそんな急がなくても」
「これは私たちの最も大切な知恵の一つ。星の回りは年の回り、季節を知るのも、祭日を祝うのも、星を読んで行うのよ」
「なる、ほど?花嫁修行ていうのはそういうことまでやるんだね。なんだか大変そうだよ」
「そう、だからしばらくは休む暇もないわ。だって来年には私が教えることはできないのだから」
(うぅっ!!)
心に刺さる言葉を言われる。かなりグサッときた。
昨日言われたこと、やっぱり冗談とかじゃあないのか。来年の春には私はネメシアさんの所をでていかなくちゃならないということ。
耳には入ってたし、一晩うんうんうなって考えてたけど、結局納得はできてないこの話、できるなら嘘だと思いたいよ。
一連の講義が終わると、もう用は済んだとばかりにネメシアさんはサクサク進んでいく。私も彼女の後を羽ばたいて追いかける。行くのは、昨日も訪れたネメシアさんハウス。どうやら私は今日から毎日ここに通うことになるらしい。
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外はもう日が昇り切っていることを、煙突から漏れる光が私に教えてくれていた。明かりを取るのがその一箇所しかないこの部屋は、日中だというのに薄暗い。
私は、机も椅子もこの部屋には備わってないので、地べたに直接座っていた。
親指に葉の柄をひっかけて、足を伸ばす。ついでに上体を後ろに傾けて、背中が壁についたところでようやく手に持った笹の葉がピシャリと張る。そして指で葉先をつまんで、縦に割いていくのを何度も繰り返していく。二十又くらいになるまでやったら、終わったのは同じく割かれた葉っぱたちの上にかぶせる。
「終わったよネメシア様」
「あらやっぱり要領のいいこと」
後ろに手をついて、いつのまにか張っていた背筋を休める。こう腰が痛くなるのもいつぶりだろう。
この積み上がった葉っぱたち、縦に割いていくだけでも昼までかかってしまった。
「これを全部その、籠にするの?」
「そうよ。明日までには全部編むわね」
「へぇー、大変だぁ。私も手伝わなくていいの?」
「ひと月はこうして見ていなさい。自然と編み方が身につくわ」
「へぇ」
「私も母からそう教わったわ。このカゴの葉は裏だけザラザラしてるからしっかり内側に折り込んで————」
籠を編みながらネメシアさんがはいろいろな説明をしてくれる。手も口も同時に動かす高等テク。私ならどちらかはぜったい止めてしまう。まださわりだけでも教えてくれることは、ほとんどが知らないことで、しかも経験が必要なものばかり。
考えてみれば当たり前だけど、この部屋に所狭しとある雑貨なり収納なりは聞く限りほとんどネメシアさんが作ったものだ。(ここには100均もデパートもない)そして、いずれ私も作れるようにならなければいけないものでもある。
ちなみに今ネメシアさんの作ってる籠で五種類目の編み方になる。しかもそれぞれ用途が異なるらしい。学ぶこと多すぎだね。やんなっちゃうね。
「あら、もうお昼かしら。そろそろ子どもたちが飽きて遊び始める時間ね」
「おーよく分かってらっしゃる」
「とうぜん。留守番おねがいね、ちょっと声をかけにいってくるわ」
そう言って、ネメシアさんは出来上がった籠をポンと置くと、さっさと部屋を出ていってしまう。
なんの言いつけもされてないし、私もしばらく休憩しよう。とはいっても、直に土の床に寝っ転がるだけだけど。だってやわらかいベッドはこの人に最初から占領されているのだから。
ガーデニアさんだ。私とネメシアさんがずっとあみあみしてる中、空気みたいに影をひそめてベッドでごろごろしてたのだ。しかもほとんど寝返りすらうたないで。彼女は目を開けていても、閉じていても、何を考えているかわからない顔をしていて、今も無表情でネメシアさんの出ていった扉を見つめている。
そして、目線をこちらにツツ―と滑らせると、そのまま私をじっととらえ続けるのだった。
「ハ、ハロー……」
「………………」
意味のない挨拶をしてみるも、みじんも反応はない。
体勢も変えず、ゴロンと転がったまま黄金色の目だけをよこす様はまるで猫のようだけど、ガーデニアさんは猫以上に考えの読めない顔をしてる。
しかも、それでいて、文字通り口がきけないらしい。
いい天気だね、とか元気?とかを聞いても彼女は返せることはない。それに対してかわいそう、だとか同情する、とかそういう感情に先立って「困ったなあ」と思ってしまう私は薄情なのだろうか。でも、コミュニケ―ションをとる方法だって分からないのに、いったい私にどうしろと。
でも、わざわざネメシアさんが私たちを残したのは、二人に仲良くなってもらいたいという気持ちの表れなのかもしれない。ネメシアさんのためにもトライはしてみよう。
「ガーデニア様てよく寝るんだね」
「………………」
「ガーデニア様はこういう仕事、とかはしないのかなー、なんて」
「………………」
「しないよねー、ははは」
辛い。
彼女もこの空気にいたたまれなくなったのか、藁布団をかぶってしまって顔も見えなくなってしまった。
それとも、働く気はないんですよー、と返事を行動でアピールしているのだろうか。
分からない。
結局その日は、ガーデニアさんとは何の進展もなく、せっせとやらなきゃならない事をネメシアさんと片付けていったのだった。
ネメシアさんが貞淑な働き者の妻だとするなら、ガーデニアさんは怠け者で飲んだくれの夫、みたいな。
そんな昭和なイメージが私の頭にポッと浮かんだのだった。




