精霊ガーデニア
「精霊ガーデニアよ」
ガーデニア、そう紹介された女性が苔の絨毯の上に降り立った。
しかし、彼女の姿は普通の娘ではなかった。彼女の持つ青白く見える程に透き通った白い肌も、身にまとう半透明のローブも、陽の光のようなきらめきを発する金色の瞳もそれと比べれば、大したことはない。
深い海のような瑠璃色のウェーブがかった腿の裏まで届く長い髪、それはまさしく水そのものでできていた。風もないのに一定のリズムで常にゆっくりと波打っていて、青に色づいた髪の毛一本一本が光を反射して独特の光沢を放っている。無表情に保たれた綺麗な顔にその涼しげな髪はよく似合っていた。
水の精霊。それを体現したかのような神秘的な姿だった。
「精霊、様……」
スノーの小さな囁きが空に溶ける。私は声もでない。人間ではなく、妖精ともまた違う彼女の姿形には人ならざる美しさが見て取れた。
でも、スノーの言葉にびくりと肩を震わせると、彼女はネメシアさんの後ろにさっと隠れてしまう。ネメシアさんの肩越しにおそるおそるうかがう金の瞳と、隠し切れていないアクアマリンの髪しか見えなくなってしまった。
派手な登場と奇抜な容姿のわりになんか、この人天敵を前にした小動物みたいな対応してくるよ。改めて見ると背の高いネメシアさんとは反対に小柄で、顔立ちもくりくりとしてて可愛らしい。大人なネメシアさんと比べて、立ち振る舞いも相まってフレッシュな子にみえる。つるっと見えてるおでこも幼さに拍車をかけている。
「………………」
「ガーデ、ほら、挨拶…………」
ネメシアさんが催促するも、彼女の肩に顔をうずめていやいやと首を振るガーデニアさん。約束したでしょ、とかこれからも顔を合わせるんだから、とか口でどうにかやる気をださせようとしている。対するガーデニアさんはとにかく目で訴えかけている、ムリだと。そんな悶着をふたりが繰り広げていた。
ネメシアさんは、彼女の腰に当てている手に力を入れて、前に押し出そうという気はないようだ。あくまで自分の意思でやるのを待つスタンスらしい。
さらに時間が過ぎて、ふたりの言葉数も少なくなり、私とスノーにあった緊張もすっかり溶けて無くなったころ、ようやくガーデニアさんがこっちにきた。ぺたんと目の前に座る。着てるローブが花弁のように広がる。
「………………」
「えっ、と……」
そして座ったあと、じっと表情を変えずに見つめてくる。でも私と目が合うことはない。目を向けるたびに目線をあらぬ方向へ飛ばされるからだ。そして私が目を外すと再び視界の端からこちらを見つめてくる。
ふたりとも座ってて、頭の高さも同じで、顔も付き合わせてるのに目だけはちっとも合わない。
精霊様、みんながそう呼んでる人がいるのは知っていた。でも、それは日本人が太陽のことをお天道様というのと同じで、何か形のないものに神様の名前をつけてる、要は迷信だと思っていた。
で、神様は本当にいたんだ、とばかりにガーデニアさんが颯爽と登場したかと思ったら、これだ。ネメシアさんの夫で、精霊様とかいうエライ人だっていう先入観で身構えてたけど、これじゃあただのコミュ症の人だなあ。
というか、ネメシアさんの夫ってことは、私の父親がこの人なの?でも見るからに女の人だしやっぱり母親?
「あの……」
「…………」
反応はない。わかってたけど。
とりあえず疑問をぶつける。
「お母さんですよね、よろしく」
「…………!」
なんか母親の再婚相手に挨拶する連れ子の台詞みたいになってしまった。でもちょっと反応してくれてやっと目があってくれた。思った通りまっすぐ見るとすごく綺麗な目をしてる。金ピカだ。
すると、ガーデニアさんが膝立ちになって近づいてくる。前振りなしの突然の動きに反応できないでいると、とうとう視界に顔いっぱいになるくらいになった。
いい匂い…………!
女の人にこんなに近づかれてるのに、浮かんだ感想はそればかりだった。見た目からは想像できないくらいに濃くて、エキゾチックな香りがする。でもキツくなくて、癒されるような、一面のお花畑にいるような感じ。
目を閉じても、彼女から香る匂いだけで、どうしてるか分かる。また更に近づいてきて、ちょっと横に逸れて、髪の毛が鼻先にかかって、この上なくいい香り。
やがてまた離れていくのが手に取るように感じられた。遠ざかっても、ふわりと漂う香気だけは残っている。これ、アロマとか香水とかにしたら日本でバカ売れするんじゃないか。トイレの芳香剤とかじゃなくて、こうマッサージ店の高級フレグランスオイル、みたいな。くんくん、いつまでもかいでられる。
ガーデニアさんはいつの間にか、スノーのほうへいって同じようにしていた。段々と近づいていって、自分の頬と相手の頬をぴとりとくっつけて、また離れていく。
ああ、挨拶ってそういう。キス、それもフリだけをしてたのね。キスが挨拶なんていうおかしな妖精文化の賜物だな。スノーも彼女の芳香にあてられたのか、「おおおぅ」なんて声がでてるよ。
ガーデニアさんはやることをやったといわんばかりにネメシアさんのほうを向いて息を鳴らすと、部屋の隅っこのほうに行って小さくなった。自然的な風貌はこの緑の多い部屋によく溶け込んでいて、カモフラージュみたいになっている。
「ガーデはかわいいでしょう」
ネメシアさんが私たちに言う。宝物を自慢する子供みたいに。
「すっごいキレイ。見たことないよ」
「かわいいね。見ててあきなさそう」
「その通りだわ。毎日一緒でも飽きない」
それで?と目でもっと言うように催促される。まさか彼女のにおいが一番心に残ってます、なんて言えないので、他の言葉を探る。
「髪も透き通ってて綺麗だし、引っ込みじあ、ていうか、控えめなとことかも、いいと思う」
「そうね、彼女人見知りな所があるから。だから仲良くしてもらいたいの」
「仲良くするよ、わかった」
「うん、知り合えばすぐだよ!」
「ええ、お願いね」
再三の頼み。ネメシアさんが私たちの手を取る。そして声のトーンを落として、言った。本人には聞こえないように。
「ガーデはね、話すことができないの」
「はなせない、どうして?お口あるよ」
スノーは純粋な疑問を口にした。彼女の言葉の意味がよく分かっていないようだった。反面、私はネメシアさんの空気から、どういうことかは察してしまった。
「口があるから話せるわけではないのよ。そういう人もいるということ」
「?よくわからないよ」
「少し難しいかしらね。でも一緒にいればじきに分かるわ」
「生まれつき、なの?」
そう聞くと、ネメシアさんは目を丸くした。そして、「リリーは賢いのね」と手をなでてくれる。
「おそらく、ね。出会った時からそうよ」
ガーデニアさん、彼女がずっと黙っているのは、ただ引っ込み思案すぎて声を出す勇気がなかった、とかそういう理由からじゃあない。
口がきけないんだ、彼女は。
「精霊様、はみんなそうなの?」
そう聞いてみると、「いいえ、ガーデだけよ」と返される。やっぱりそういう障害、なんだろうな。まさか身近にこんな人がいるなんて、ちょっと困ったなあ。どう接すればいいか分からないぞ。
「私はどうすればいいの?」
「慣れるまではけっこうかかると思うの。だからしばらくはそばにいてくれればいいわ」
「うん。それと、なにかガーデニア様とお話しする方法ってない?」
「……それはないわ。でも私ならある程度彼女の思ってることが分かるから、何かガーデが伝えたがってたら私を呼んでね」
「ネメシア様は話せるの?」
「いいえ、でも心が伝わるの。妖精と精霊がつがいになるとそういう風になるのよ」
「今はほっとかれてちょっと寂しがってるわね」とネメシアさんが言う。前にソニアさんが妖精は互いに接触(つまりキス)することで互いの気持ちを汲み取れる、と言っていた。同じように、しかし離れていてもネメシアさんとガーデニアさんはお互いの心を感じ合えるってことなのだろうか。また不思議なことができるもんだ。
「なら精霊様はスノーたちのことはどう思ってるの?」
スノーがストレートに聞く。たしかにそれはちょっと気になることだけど。
この言葉は耳に入ったのかガーデニアさんはこっちを見るも、みんなに注目されてるのを悟ると、プイッと体を背けて向こうを向いてしまった。
これにはネメシアさんも苦笑いをするしかなかった。スノーの頭を一撫でして、答える。
「二人のことは好きだって言ってるわ。仲良くしようね、ってね」
……流石にこれは嘘だろう。
その証拠にガーデニアさんは私たちのことなんて興味ないとばかりに土いじりを始めてしまっている。背中を向けて、指先でいじいじと。
彼女とこの先仲良くなれるのかな。
私だってそんな気の回るほうじゃないのになぁ。




