ネメシア様のお告げ
私とスノーは湖を渡っていた。風が強く、障害物の無い水上は特に荒れていて飛んでいくことはできない。でも、普段はそこにないはずの島まで続く砂州ができていてその上なら歩いていけた。ネメシアさんがこうなるのを見越して作ったのかもしれない。水をだしたり、植物を生やしたりするあの、魔法みたいな力で。
「ホントに行ってもいいの?いつもダメって言われてるのに」
「だからすごく大事な話があるから家まで来てってネメシア様言ってたんだって」
「なんで、ポピーねぇ達はダメで、スノーだけいいんだろう……。なにか悪いことしたかなぁ」
「別に怒るために呼び出したわけじゃないと思うよ。だいじょぶだって」
――なんで二人だけじゃないとダメなのかは知らないけど。
事実、好奇心旺盛な妖精の子たち相手に行き先をごまかして、スノーだけ連れ出す理由もごまかして抜けてくるのは骨が折れた。とくにポピーとはミッション・インポッシブルばりの逃走劇を繰り広げてきたばかりだった。
いったいなぜネメシアさんはこんな指令を下したんだろう。いつものお仕事を頼まれるときのお願いするような口調ではなく、あれは命令同然だった。尋常ならざる彼女の変容、それもこの彼女のハウスの中ですべてがわかる!
夏、お墓参りにいったきり訪れることのなかったこの場所。あの時とくらべて、草が枯れ土のむき出しになったところの多い盛り土。そのこんもりとした丸い丘の中ほどに木枠の扉や窓が据え付けられているのを見て、初めてこれが家だとわかる自然との溶け込みぶり。ネメシアハウスだ。
煙突からは細い煙が出ていて、彼女の在宅を示している。
「いくよ」
「……うん」
不安そうにうなずくスノー。ここまでスノーが心細く思うのは、私がそうだからだろう。私の内心を彼女が感じ取っているからに他ならない。しっかりするんだ、私。ただの杞憂でいたずらに不安がらせてどうする。
斜めに立てつけられた扉に握りこぶしを近づけて、少しためらうも、コンコンコンと三回ノックをする。すると、扉は何も触れていないのにギィィ、と鳴りながら開いた。その先に続いてるのは下へ緩やかに下っていくスロープと、こちらへ指先を向けているネメシアさんだった。
別れる前の時と同じ、真剣な顔をしていた彼女だったが、私たちをみると、困ったように顔をほころばせた。
「やだ、叱るために呼んだわけじゃないのよ。だからそんな顔されると、私悲しくなっちゃうわ」
こちらの様子を見て、何となく心情を感じ取ったのか、そう安心させるように声をかけてくれた。いつもの優しいネメシアさん、みたいだ。スノーなんかはあからさまにホッとしている。
私そんなに怖がられるようなことしたのかしら、と首をかしげながら手招きしていれてくれる。いえいえ、むしろ普段のあなたはみんなに甘々なくらいですよ。
スロープを降りていくと、すぐに丸い小部屋に繋がった。六畳半の狭い空間はこれでもかというくらいに雑多な物で埋め尽くされている。床に積まれた壺や土器、土を樹液で固めただけの壁にかかる簡素な棚たち、干し草の積まれたベッド、天井からつるされた乾きもの、他にもよく分からない物がたくさん。緑の光をぼんやりと発する不思議な苔がいくつも鉢植えに入っていて、地下でも暗くはない。ネメシアさんが生活するのに必要な雑貨がこの一部屋におさまっていた。
「さっ、座って。お茶をだすわ。まだ夏花の蜜を残してあるのよ」
言われて、イスとかはないので、床にペタンと腰を下ろす。スノーもきょろきょろ辺りを見渡していた。
「どうぞ。はい、どうぞ」
手渡されるのはエッグホルダーみたいな容器。その中には卵みたいに丸く膨らんだお茶の一滴が入っている。(私のサイズからすればちょうどカップ一杯分だ)口をつけて啜ってみると、うっすらと甘く、心が落ち着くよう。夏に散々吸って回った花の蜜の味がした。
ネメシアさん、スノーとしばらく蜜茶を楽しむ。
「おいしい」
「あまあい」
「でしょう?いくつかの花の蜜を合わせた私オリジナルなの」
ホントにおいしい。私の舌に合っている。特にスノーはえらく気に入っていて、そこに残った雫をチロチロなめている。
「私にも作れる?」
「簡単よ。丁寧に抽出すれば花一本から3杯分は作れるの」
「へぇー、教わってみよっかなあ」
「いいえ、貴女はすぐに覚えることになるわ——」
意味深なセリフを呟いてカップを置くネメシアさん。微笑をたたえているが、その目は下へふせられている。
「リリー、貴女近頃身体つきに変わりはないかしら?」
「えっ?そうだなぁ、背はのびてるし、風邪はひかないし、とりあえず元気かなあ」
「いいことね。ほかには?」
「う、うーん。他かぁ」
何を求められているか分からずにうんうんうなっていると、横で「あっ」とスノーが声を出した。
「スノー、貴女は気づいてるのね?」
「えと、その」
「言ってご覧なさい」
なぜか顔を赤くして口ごもっているスノー。しかし、ネメシアさんの催促にはすぐに折れて口を切る。
「リ、リリーのおっぱいが、その、ネメシア様みたいにおっきくなってるかもー、なんて、思ったり……」
「えっ!?」
思わずネメシアさんのと自分のを見比べる。ネメシアさんの薄く透けた形のいいお椀型のそれと、私の天保山並みになだらかな平原のそれ。わきの下からぐいっと肉を集めても、元々細めの体型もあって、人差し指が沈むくらいの厚さしかない。
これは、ある、のか……?いやない、よね?
でも試しに二人に「ある?」と目で問いかけると、「ある」と頷かれる。
うーん、言われてみるとたしかにお腹と胸でビミョーに、境界がわからないくらいビミョーに感触が違う気がする。
でもだからどうだというのだ。胸が育つなんてのは元男からすれば、ありえないことだしそりゃ自分も驚いてる。でもネメシアさんの言いたいことはそうじゃあないんだろう。ならなにが問題なんだろう。
「リリー、貴女は大人になるのよ」
ネメシアさんが話を始めた。
「普通の子はみな夏の終わりまでには成長が止まる。今いる子たちはみんなそう。スノーも、ポピーも……、その中で貴女だけは大人になろうとしている。胸が膨らむのはその前兆よ」
たしかに他の子たちで胸があったり私より背の高い子はいない。私だけが二次性徴を迎えている、不思議なことにだ。
「大人になれる妖精は数年に一度生まれるかどうか。それに貴女は選ばれたの、特別な子に。そして特別な子には使命が与えられるわ」
「使命……」
「それは貴女の一生のパートナーとなる精霊と出会うこと。燃えるような恋に落ちて、永遠の愛を誓い合って、終の住み処となる地へ移り、そして新たな命を育んでいく。私も、私の母も、そのまた母もそうしてきた。貴女の姉もそうだった。そういう大切な使命、それが私たち妖精の生涯よ」
どういう、どういうことなんだろう。
私に課せられたとかいう使命、それは精霊、と愛し合うことだって?
でも精霊だなんて一体誰のことかも分からないし、命を育むって私が子供、を産むってことなの?そもそも話が飛びすぎてる。
一生?永遠?生涯?なんて大げさな言葉なんだろう。
そして次の台詞は私を凍らせるに充分の衝撃だった。
「そのためにリリー、貴女にはここを出ていってもらうわ。もちろんすぐとは言わないわ。出立の時期は決まっている。来年の春に、スノーと共に旅にでるのよ」
なん、だって…………?
ネメシアさんの住みかを、でる、なんて…………、
それは、つまり、みんなと別れる、ということじゃないのか。
ネメシアさんや、ポピーや、スノーや、みんなのいる、この日常がなくなってしまうということじゃないのか。
気づけばネメシアさんを見下ろしていた。足が勝手に動いて立っていたんだ。
「嘘だよね————」
「嘘ではないわ。リリーとスノーは決して戻ることのない旅に出る。それが私と、貴女たちの今生の別れになるわ」
あまりに率直な言い方に、ぐらりとくる。すがるようにスノーのほうを見るも、彼女も放心するように口を開けていた。「そんな……」と声を漏らして、受け止めきれていない。
「ひ、ひどいよ」
裏切られたような気持ちが先走って言葉になる。
せめてそうだと初めから教えてくれれば、こんな気持ちにならずに済んだのに。
「そんな、突然でていってくれ、なんて言われても!ヤダよ、そんなの!ここにいたい!スノーも、私も、みんなと離れ離れになるのは嫌だよ!」
むき出しの言葉を、責めるようにネメシアさんにぶつけていく。そして彼女はそれを甘んじて受け入れている。
「精霊、なんてのと一緒になるためにここをでる!?この場所より好きなとこなんてない!好きになるはずないよ!」
「————精霊」
ネメシアさんが小さくも澄んだ声で返す。その目は厳しくも、いつもの優しさを中に隠している。
「貴女たち二人は精霊様と会ったことはなかったわね。祝福を与えてくれた時はまだ小さかったから覚えていないのも無理はないわ」
その言葉が発せられるとともに辺りがお日様のように明るくなる。光の柱が、天井の中心、煙突の伸びゆく先から下りてくる。
「彼女が私の夫、精霊ガーデニアよ」
光の中より現われ出でたのは一人の女性だった。