第零話 知らない世界
「んん・・・・・・ん?」
風に揺られ顔をくすぐる草に目を覚ました。
ぼやけた視界のなか葉の隙間から漏れる光がユラユラと揺れている。
・・・。あと、少しだけ・・・
再び眠りに落ちていく中、ハッと飛び起きる。
「あれ・・・? どこだここ?」
心地よい風の吹く小高い丘の上、大樹の木陰で目が覚めた。
眼下には広大な森が広がっており、その先には・・・街? にしては少し寂しげだが人工的な建物が連なっている。
見覚えは全く無い。自分だけ一人、違う世界に置き去りにされたようだ。
飛び起きたからか、混乱しているからか、心臓はバクバクと激しく脈を打つ。
しかし血が巡っても頭は回ってくれそうにない。
とりあえず落ち着いて状況を整理しよう。冷静になって一つずつ疑問を解消していけば、自ずとどうするべきか見えてくるはずだ。
一つ大きく深呼吸をし、あらためて辺りを見渡す。
周りには人工物も、もちろん人の影などは一切ない。
今さらながら頬をつねってみる。
・・・やっぱり、まだ夢の中なんてことはないか。
誰かに連れてこられたとか?
いやそれなら屋外で寝てるっていうのはおかしいな。
なんにせよ情報が無さすぎる。とりあえず誰かに話を聞きたいところだ。
そうは思うものの・・・
右を見ると森は山の山頂を覆うように続く。
左はというと同じく森が続いているがその先には海が見える。
人に会えるとしたらやはり森を抜けた先にある街を目指すしかない・・・か。
一つふぅっと息を吐き、その場を後にした。
-
丘を下り始めて半刻ほど、鬱蒼と木々が生い茂る森にさしかかった。光は遮られジメジメとしている。不気味な鳴き声が響き、なんとなく入るのは憚れる感じだ。
避けて通りたいところだが回り道をする余裕もない。なんとか日暮れまでに街に着かなければ。
意を決して足を踏み入れる。
歩き始めて数分、相変わらず鳴き声はするのだが一向に声の主とは遭遇しない。しかし相手は遠巻きにこちらの様子をうかがっているのだろう、森に入ってから視線を感じる。出会いたくはないが姿が見えないなら見えないで恐ろしい。
「ん? なんだろう? あれ・・・」
日が当たらないからだろうか、木の根元の水たまりは干上がらずいくつも点在していた。
でも何だろうこの違和感・・・。水たまりにしては盛り上がっている。それに水たまり・・・というより水のかたまり同士が重なり合っている。
よく見ようと目を凝らした瞬間、それと視線がぶつかった。水たまりの中で突然みひらかれた白い二つの丸。
「ぅあっ・・・」
不意に上ずった声が漏れ出る。
その声に驚いたのか水たまりのようなものは一度体を震わせ木の向こう側へ逃げていった。振り返ると他の水のかたまりも消えている。
に、逃げた・・・? っていうか何あれ? 生きもの!?
緊張が解け自分の自由になった体は酸素を求め激しく呼吸する。
次の瞬間には足をフル回転して走っていた。高速で景色が通り過ぎていく。
仲間を呼びに行ったのか? いやあれだけの数いて逃げたんだ、それに怯えてるようだった。なら大丈・・・夫じゃない! あんな生きものがそこら中にいたんだ! もっと訳わからない生きものがいるかもしれない・・・。
延々と続く森の先を目指し一心不乱に足を動かす。
どれくらい走っただろう・・・。恐怖で疲れを感じる余裕もない。ただひたすらこの森を抜けたい一心だった。
不意に視線の先に光が差し込む。その先には木造の建物も見える。
「出口か!?」
力を振り絞り森の外まで走り抜ける。なんだか久しぶりに日に当たった気がした。森の方を振り返ったが何かが追いかけてくる気配はない。まぁ、居住区ということはここいらは安全地帯なのだろう。
「はぁ・・・はぁ・・・とりあえずは助かったな・・・」
安心したとたん、ドッと疲れが押し寄せる。足はガクガクと震えもう歩けそうにない。
近くの岩に腰をおろし、街の様子を窺ってみる。
街は丘の上から望んだように小さな家々が連なっていた。家といっても古びた木造の小屋のような代物だ。壁には穴をふさぐためだろうか、不格好に木の板が打ち付けられている。
それも仕方ないのかもしれない。先ほどから眺めていても視界に入るのは老人ばかり。おそらくこの簡易な家は彼らによる手作りなのだろう。
軒先にはしなびた葉や芋が干されている。あれを食べるのだろうか。質素な生活ぶりが窺える。
「そうだ、ここがどこか聞くんだった。それにあの生きもののことも・・・」
近くの家へ向かい、重い足を引きずり歩き出す。
それにしてもあれだけ大きな森だったのに日が余り傾いてないな・・・。
未だに太陽は見上げた先に浮かんでいる。
少し不思議に思いながらも老婆に声をかけた。
「あの・・・」
「・・・見かけない顔だね。どうしたんだい? こんなに汚れて・・・」
「あっ、これは、まぁ、いろいろありまして・・・って、それより、あの・・・ここはどこなんでしょうか?」
老婆は一瞬、戸惑ったようだった。
それもそうか、唐突にこんな質問しては警戒されても仕方がない。
「どこって、アゾトよ。お兄さん、外国の人かい? どこから来たの?」
「それが・・・ちょっと思い出せなくて・・・。なんでここにいるのかも。何をしてたかも」
その言葉に老婆は状況を察したらしく、少し表情を緩めた。
「・・・まぁまぁちょっと休んでいきなさい。白湯くらいしかお構いできないけどねぇ。」
そう言って老婆は家の中に招いてくれた。
家のつくりはいたって簡素なものだった。入ってすぐにかまどがあり、囲炉裏のある部屋にトイレや風呂がついているだけだ。
家というより、箱ってかんじだな・・・。
部屋に上がり、丘で目覚めたこと、見知らぬ土地であること、森でのことを話した。
「つまりそれまでのことは何も覚えていないんだね?」
「はい、まったく・・・」
見知らぬものばかりで混乱しているだけだと思っていたが、冷静さを取り戻した今でも自分の名前すら思い出せない。思い出そうとすると思考が停止してしまう。
「まぁその様子じゃ泊まるあてもないでしょう。よかったら泊まっていくかい?」
「いいんですか?」
「でも見ての通りここいらの者は貧しい者ばかりだからね。飯の分くらいは働いてもらうよ!」
老婆はにやりと笑い、かまどの横の薪を指さす。
「は、はい!」
日が暮れ始め、ちょうど全ての薪を割り終えたところで老人が帰ってきた。
「今帰っ・・・おや、そちらの方は?」
「あら、お帰りなさい。この方はね・・・」
老婆が一通り説明すると老人も渋々だが納得してくれたようだ。
「お腹すいているでしょう。みんなでご飯食べましょうか。」
その日の夜は干していた葉や芋、肉を煮込んだスープを分け合った。量は少なかったが素朴な味が身に染みる。
「ふふ、なんだか親子みたいね。3人で食べるなんていつ以来かしら。」
「他に誰かいたんですか?」
立ち入った質問は気が引けたがつい口をついて出てしまった。
「息子がね・・・。でも兵役で出て行ってしまって、この街は年老いた者ばかり残されてねぇ。」
「兵役ですか・・・。でも任期が終われば帰ってくるのでは?」
「いいや、若い者はみな都市部に行きたがる。どうせ帰って来やしない。」
老人が機嫌悪そうに答える。しかし、しかめたその顔はどこか少し悲しそうだ。
「せっかく3人で食べてるんだからそんな顔しないの。ごめんなさいねぇ、気難しい人で。」
その後もこの街、国について老夫婦に聞かせてもらった。
ここはアストン王国のアゾト地区、名前も無いような辺境の田舎町。老人ばかりで農業を営み自給自足の生活を送っているらしい。
アストン王国は国としてはまだ日が浅いが他国と渡り合える軍事力を有し、領地拡大に執心しているそうだ。実際こんな田舎町は戦などとは無縁だが、戦に勝てば恩賞がばら撒かれるため肯定派が多いらしい。
一通り話を終え老人が風呂へと向かったため、その間は部屋の掃除を手伝うことにした。掃除といってももともと物が少ないこの家。掃除をするのにそれほど骨は折れないだろう。
一宿一飯の恩義もあるしな。これくらいはしないと罰があたる。それにしても訳が分からないままだが、結構ついてるんじゃないか? 優しい人達で助かった。貧しいゆえに心は豊かというやつか。
「もうお風呂あがりそうだから、入っていいわよ。」
一通り掃除を終えたところでそう老婆に促された。
「ありがとうございます。お先にいただきます。」
そう言って服を脱ぎかけた時、小さな悲鳴が上がった。
「どうしました? 大丈夫ですか?」
「あ・・・だ、大丈夫よ、大丈夫だから。」
そうは言うものの目に見えて老婆の顔色は悪い。
「いやでも、具合悪そうですよ。」
「大丈夫、大丈夫だから、大丈夫・・・」
老婆は目も合わせずに唱えるように大丈夫と繰り返す。
そのときちょうど老人が風呂から出てきた。
「どうしたんだ?」
「いえ、それが急に・・・」
答えかけたときに老婆は老人にしがみつき部屋の隅へと連れていった。小声で聞き取れないが何か耳打ちしている。
すると老人はこちらを一瞥し、みるみる顔を青くした。
「ど、どうしたんですか?」
「ぁ・・・あぁ、いや、なんでもないよ。 さぁ、そのままでは冷えてしまう、早く風呂に入ってきなさい。」
平静を装っているようだったが、老人の声はかすかにふるえている。
「いや、でも・・・」
「いいから行きなさい!」
今度はハッキリとした口調だった。
「わ、わかりました・・・。」
老人のその鬼気迫る表情から逃げるように風呂へと向かった。
木造の風呂に溜められた湯の中にゆっくりと腰を下ろす。
こんな状況でも湯につかると落ち着くんだな。
疲労が湯に溶け出していく。この瞬間だけはすべてがどうでもよく思えてくる。
十分に風呂を堪能していると再び疑念がムクムクと膨らんできた。
「はぁ、しかし何だったんだ。何かしでかしてしまったかな。」
二人の様子は明らかにおかしかった。いままで和気あいあいと食卓を囲んでいたというのに、なぜ突然?
何か知られるとまずいことでもあるというのだろうか。まぁ、いくら考えても仕方がない。まるで推測が立てられない。
何も知らないということはこうも考える幅を狭めてしまうものなのか。
明日、話を聞けるといいのだけれど・・・。
そんなことを考えていると、少々のぼせてきた。
そろそろ出ようかと腰を上げたその時、玄関の戸が開く音が聞こえた。
老夫婦以外にも何人かの声が聞こえる。
家が小さいだけに音が筒抜けだ。
「こんな時間に客人かな? 親しい人たちならば挨拶しないと。」
急いで服を着て風呂を出た瞬間、目の前には信じられない光景が広がっていた。
風呂の入り口を取り囲んだ兵士たちがこちらに向かって槍を突き付けている。
もう何回目のパニックだろう。心臓の負担を考えてほしい。
あっけにとられていると、いつの間にやら背後に回りこんだ兵士に後頭部を槍で思い切り殴られた。
のぼせた頭では一瞬何をされたのか理解できずキョトンとする。
度重なる奇想天外な出来事の連続に頭は完全に思考停止してしまった。ただ折れた槍の切っ先が宙を舞い床に突き刺さるのをボーっと眺める。
殴った兵士は上官らしき者と目くばせすると、一声
「確保ーーー!」
と声を張り上げた。
訳も分からないまま、縄やら拘束具で雁字搦めにされ外へ連れ出される。
最後に視界の端に老夫婦の恐怖に引きつった顔が映った。
それは迎え入れてくれたあの夫婦と同じものだとはまるで思えなかった。