宮廷第一騎士隊のある日常
第三者視点。副官レイズとアリアの初見。
「第一騎士隊、ご帰還です!」
それは、よくある日常のお話。
城門が大きく開き、歓声と共に精悍な騎士達が騎乗して城内へ入った。
東方で内乱の火種ありとの噂を聞いた国王が、自らの護衛である宮廷騎士隊を派遣したのである。あわや血戦かと思われたが、司令官の働きにより、それは無血に終わった。死者はひとりとしておらず、年若き隊長は全ての部下を伴って凱旋した。
列の先頭を、黒馬に騎乗し、漆黒の軍服に身を包んだ青年が先導する。
風に靡く髪も同じ色であり、まるで宵闇が姿をとってそこに君臨したかのような怜悧な気配。
ただ、その瞳だけは。
深いアメジスト、とある少女に言わせるなら、朝焼けの空の色。
興奮する周囲を冷静な目で見ながら、時折手を挙げて声援に応える。無表情ではないが、ほとんど動かない表情で――
宮廷第一騎士隊長、セイン・スカイサードは、誰もが振り返るであろう冷たく整った容貌で、そこにいた。
「お疲れ様です、スカイサード隊長! 今回のご功績、聞き及んでございます」
「隊長! 早速ですが、こちらの提出書類は」
「報告に上がりました! それと陛下から、労いのお言葉を頂いております」
「お疲れさまでございますわ、スカイサード隊長」
凱旋するやいなや、スカイサードは人垣に囲まれた。
無血の司令官として名高い彼の働きは、今や知らぬ者がないほどであった。部下に始まり、他の部隊の隊員、城の官吏、さらには女官に及ぶその人垣は、さながら団子状態、である。
ああ、けれども。
自分を慕う人々に囲まれ、その一人一人に声を掛ける騎士の視線が幾度となく何かを捜すように上げられることに気付いた者は、いなかった。
「おい、隊長はどこだ」
捺印が欲しいんだと呟きながら、スカイサードの副官であるレイズ・リーガルは兵舎を闊歩していた。
金に近い茶の短髪で、彼の上官と同じようにすらりと背が高い。
隊長が細身なのに比べると、彼の体格の良さはちょうどバランスがとれるくらいなのかもしれないが――いかんせん、近づくと迫力があるらしく、女性からはなかなか寄ってこないのが悩みである。
実はスカイサードとは同期であるが、彼の下に使えることについては全く頓着していなかった。
さて、軍隊と言ってもやはり書類仕事もあるもので、無論スカイサードもそれに当てはまる。
彼の仕事が遅いわけはないのだが、いかんせん、最近はたまに姿が見えないことがあった。大抵は特に隊務に支障が出る物ではないし、彼の普段の勤勉さからそれをとがめる者はいない。
しかしレイズが今持っている書類は割と急ぎのものであったから、彼は上官の姿を探していたというわけである。
「隊長なら先程回廊の方へ――こちらかと」
近くで鍛練していた部下に案内され、後をついていく。目的の青年はすぐにみつかり、彼は足を止めた。
黒騎士の名前のとおりの漆黒の軍服は、よく目立つ。
「……ん? 隊長の向こうにいるのは……女官か。珍しいこともある」
彼の肩ごしに僅かに見える装束は、宮廷女官のものだ。
しかし、あのスカイサードが会話するほどの女官とは一体―――と、そこまでレイズが考えた時。
突然、彼から一歩下がって立っていた案内の兵士が、声を上げた。
「ああっ、リーガル副隊長! あれ、アリア・フェイドさんですよ!」
興奮気味の部下に訝しげな目を向けながら、レイズは誰だそれは、と尋ねる。フェイドという名に覚えはあれど、アリアという名前にはない。そもそも、フェイドという家名を有した友人は、幾年も前の雪の日に、凶刃に倒れた。
なんとなくそれを思い出して嘆息したところで、兵士の声が尚も耳に飛び込んできた。
「知らないんですか!? 美人なだけじゃなく上品で仕事も出来るって、すごい人気なんですよ彼女! 高嶺の花をこんなに近くで見られるなんて」
「なんなんだお前は。ったく、少しは感傷に……」
まくしたてる兵士に苦笑しながら前に向き直ったレイズは、しかしその表情を凍らせた。
――常に無表情で怜悧な隊長の、穏やかな横顔が垣間見えた、のだが。
レイズは自分の考えに、否、と首を振る。
(穏やかっつーか、あれは寧ろ)
甘い、と表現していい気がする。ぽかんとしている間に話は終わったのか、俯けていた顔を上げたスカイサードの声が届いた。
「では、アリア」
「はい、セイン様。今回の遠征、お疲れさまでした。どうかお体をお厭いくださいませ」
「ありがとう。そうだな、また茶でもいれてくれ」
「はい、わたしでよろしければ、喜んで」
スカイサードの肩越しにちらりと見えた少女の美貌にも驚いたのだが、それよりも。
上司が女性を名前で呼ぶのを、初めて聞いた。そして、自分より低い位の者(しかも女官)にファーストネームを許している。
茶だ? それはいわゆる、その、逢い引きではないのか? 違うのか?
そもそも、女性をさらりと茶に誘えたのかあの人は。得な顔を持っているのだから、持っていても可笑しくない能力ではあるが。
混乱を極めるレイズを余所に、スカイサードは僅かに目を細めて少女を見下ろし、「ではまた」と再度言う。
踵を返したところで、ばちりと目があった。
「……レイズ? 何を呆けているんだ」
そして立ちすくむ副官に首を傾げる。後ろではアリアというらしい女官が、控えめに笑んで一礼すると、涼やかな声で辞を述べた。
「それでは休憩も終わりますので失礼いたします。セイン様、リーガル副隊長、キルス様」
名前を呼ばれて驚くが、それよりも浮足立ったのは、彼女に憧れているらしい兵――キルスだ。
去っていく少女の後ろ姿を呆然と頬を染めて見送る姿は、完全に恋する青年である。
「……不憫だな、キルス…」
「なにかあったのか」
あんたのせいだよ、とは流石に言えず、レイズは複雑なものを多分に含んだ溜息をついた。
「いいえ、何も。それより隊長。この書類、認可と捺印お願いしますよ」
「何をそんな投げやりになっている」
「や、ちょっと疲れた……」
思わず口調を砕けさせると、大体の状況が把握できてしまった副隊長は、がくりと肩を落とした。
後にアリアが彼らの名前を知ったのがセイン・スカイサードとの会話だと知ってキルスが落ち込むのは、もはや必然であった。
「そんなに頻繁に逢って談笑していらっしゃるんですね隊長……!」
そんな、第一騎士隊の日常である。