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「お待たせしましたー」
「ズズッ、うむ、エリカが淹れてくれる紅茶より一段落ちるね」
「やはり違いますね」
「私の淹れるお茶には、愛情がこもっているのですよ」
リーゼが運んできた紅茶を啜りながらリリーとミラが品評していると、エリカが自慢げに"愛情"と、のたまうのだった。
「自分で言っちゃいましたよ、この人は」
「なにか言いましたか?」
「いえ、なにも。 それよりも、リーゼに聞きたいんだけどさ、この酒場で一日にエールは何杯くらい売れるの?」
リリーはエリカの追及を躱す目的も兼ねて、本題の話をリーゼに投げ掛けた。
「そうですねー? だいたい三日で二樽を消費しますから、平均で220~230杯くらいですかね?」
「そうすると、月に二十樽ですか」
「バラつきがあっても18~22樽には収まってますね」
小首を傾げながらリリーの質問に答えるリーゼに対して、エリカが被せたのをリーゼも概ね肯定するのであった。
「いまね、樽を冷やす魔道具を作っているんだけど、冷えたエールをこの酒場だったら幾らで提供する?」
「エリカさんの魔法に頼らなくても、ビールが飲めるようになるんですか!?」
リリーの言葉にリーゼは、胸の前で祈りのポーズのように手を組んで喜びを表現した。
「まだ、エールを冷やす段階ですけれども、最終的にはそうしたいと思ってます」
「そうですね、魔道具の値段から逆算しないと幾らでとは、一概には言えないですね」
エリカが、まだ試作段階であると告げたのに、リーゼは顎に手をやり考え込むのだった。
「それもそうですけど、魔道具の値段は横に置いてリーゼだったら幾ら出して飲みたいですか?」
「ビールだったら、冷えてないエールの倍は出しますね!」
「6ベニーか? 少し高めの気もするけど、許容範囲なのかな?」
「私はビールなら四、五杯は飲みたいから5ベニーかな?」
今度は、個人だったら幾ら出すか尋ねたエリカに対して、リーゼは倍の値段と言い、ミラは5ベニーと言った。 リリーは腕を組みながら、その値段に独り言ちる。
「それでは、普通のエールが3ベニーですから、ビールを5ベニー、冷えてるエールを4ベニーで計算してみませんか?」
「いままで売れていたエールの代わりに、ビールとかが売れるわけですから、計算が難しそうですね」
エリカが売り上げを試算しようと提案したのに、リーゼが悩ましいとばかりに渋面を作った。
「そうですね、少しシビアに計算しましょうかね、売れる数は一日220杯のままで、冷蔵樽ができても普通のエールを飲む人が半数、冷えたエールとビールを飲む人が二割五分づつと仮定した場合には、55×1×30=1650ベニーと55×2×30=3300ベニーで、合計49シルバ95ベニーですね」
「だいたい月にして50シルバ売り上げが増えるわけだね?」
エリカが詳しい内容を試算したのに、リリーはうんうんと頷いた。
「そうなりますね」
「これなら樽一つ15シルバでも十分に元が取れるね」
「いえ、問題もあります、冷えたエールとビールでは樽は別になりますよね?」
「炭酸ガスの魔道具を別に作ったら樽は一つでよくないの?」
別の樽になると確認を取るエリカに対して、リリーは疑問を返すのであった。
「樽をエールとビールとで共用はできますけど、炭酸ガスの魔道具を別に作るぐらいなら、ビール専用に魔石を二つ嵌め込んだ樽を作った方が分かりやすくて、管理もしやすいと思いますけど?」
「ミラさん、私たちにはイマイチ理解できませんよね?」
「そうね、大人しく聞いていましょうか」
炭酸ガスの魔道具と言われても、ピンとこないリーゼはミラに同意を求めたのだ。
「樽から出したら即ビールってことか」
「分かりやすくて良くないですか?」
「そうなんだけどさ、それってエリカの都合が大部分を占めてるよね?」
かゆいところまで手が届く、お客さま至上主義が骨の髄まで浸み込んでいる元現代日本人のリリーにとっては、エリカのもの言いが引っ掛りを覚えた。
「そんなことはありませんよ? 私は、あ、く、ま、で、も、お客さまのニーズに合わせて単純明快な商品を提供しようと日夜努力していますけど?」
「ハイ、ソウデスネ、エリカサンハ、イダイデスヨネ」
「すいません、嘘を吐きました。 ぶっちゃけ面倒ですというか、この樽って別に量産する必要ないですよね?」
スラスラと建前を言うエリカに圧倒されたリリーは片言で返答したのだが、エリカは、それをあっさりと嘘だと白状して、樽の量産に否定的な言葉を述べる。
「作って売れば、便利になってみんなが喜ぶよ?」
「誰が作るんですか?」
「えーと、エリカ?」
「そうですよね? わ、た、し、が、作るんですよね? 別に、これ以上の金儲けが必要ない、わ、た、し、が」
エリカは腰に手を当て恫喝気味に問いただした。 それに対してリリーは、小さく縮こまりながら遠慮がちに、
「えーと…… 私も手伝うからじゃダメですかね、エリカさん?」
「普及させる必要を感じませんけども? この酒場の分だけで十分だと思いますよ?」
「突然どうしたの?」
リリーはエリカの態度が非協力的なモノに豹変したのに、驚き戸惑うのであった。
「私たちにしか作れないモノを普及させた後はどうなるのですか? 人間は一度楽を覚えてしまうと後には戻れないのですよ?」
「あわわわ」
「リーゼは落ち着きなさい、つまり、エリカさんとリリーさんしか作れない冷やす魔道具を普及させた後で、事情で作れなくなった場合に楽を覚えた人が困るということですね?」
冷蔵庫等の電化製品という文明の利器を使用している現代人が、ある日突然に電気が一切使用出来ない状況に陥った場合の不便さを考えれば、答えは自ずと見えてくるであろう。 大多数の人間は不平不満のオンパレードに違いないのだから。
「そういうことです、その場合に逆恨みされるのは私たちですしね、それなら初めから作らなければいいのですよ」
「確かに、冷えた飲み物や食べ物があったら便利ですけど、いまのままでも別に不自由はしてないのも事実ですね」
「まあ、ビールは飲みたいですけどね、いままで温いエールを美味しいって感じて飲んでいたのに…… 確かに人間は楽を覚えたら堕落するみたいですね」
リーゼは顎に手をやり考えながらも一応は納得するのである。 ミラも話の流れから、人間は堕落する生き物だと悟った。
「この酒場の分だけは、責任を持って作りますけど、それ以上の責任は持てません。 もし、リリーが普及させたいのなら、リリーだけでやって下さいね?」
「ぬぬぬ」
「リリーが朝から晩まで汗水たらして魔道具を作って、人々の暮らしを豊かにしたいという崇高な志を持って、社畜に戻りたいのなら私は止めませんよ?」
「むむむ」
「ただし、その時には、私は手伝いませんのであしからず」
エリカに矢継ぎ早に言われたリリーは、顔を顰めて唸るのが精一杯なのであった。 その二人のやり取りをリーゼとミラは無言で見守るしかなかった。
「……」
「……」
「ううっ ひっくっひっく、な、なんでエリカは突然に冷たいこと言うのよ!」
「べつに突然、リリーを嫌いになったとか、意地悪をしたいとかで言ったわけではないのですよ?」
肉体に精神が引っ張られているのか、リリーは子供のように泣きながらエリカに食って掛かった。 元々の精神年齢も十分に低いのだが。
「じゃあ、なんでよ! うう゛」
「行動には責任が伴うからです」
「責任……」
「はい、たとえリリーが善意で行った事でも時には、後の人を苦しめる場合もあるということを知って欲しかったのです」
エリカは母親が子供に言い聞かせるように、リリーの頭を優しく撫でながら諭すのであった。
「なんとなく分かったよ……」
「私たちの手は千手観音みたいに、全てを救えるわけではないのですから」
「うん……」
自分たちの手の届く範囲は、たかが知れている。 そう暗に含ませて言うエリカにリリーも自分の発言は、自己満足の"わがまま"なのだと悟った。
「でも、それを言ったら、苦くないポーションを世に出したのも拙かったのではないですか?」
「ミラさんの言うことも、もっともですけど、ポーションは既に発売してしまいましたし、既存のポーションとの棲み分けは出来ていると思います」
「価格帯が違うということですね」
「そうです、それにポーション自体は日常で使うモノでもありませんしね。 言い訳というか矛盾している気もしますけど」
二人のやり取りが一段落したとみたミラが疑問を口にしたのに、エリカが答えた。
「それを言ったら、冷えたエールとビールも棲み分けがdふごっふがっe」
「リーゼ、それ以上は言っちゃいけない」
「要は、いろいろと作っても手が回らないってことなんですよ」
ミラに口を塞がれたリーゼを見ながら、エリカは肩を竦めて本音をぶっちゃけた。
「なるほど、分かりました」
「では、この酒場だけで特別に飲めるビールが出る樽だけでも、ちゃちゃっと作っちゃいますかね」
「なんだか、私たちだけ特別に飲めるのが悪い気もしますね」
「リーゼが罪悪感を覚える必要はありませんよ? これは、私が楽をする為でもあるのですから」
そう言ってエリカはビール樽の製作に取り掛かるのであった。