SECT.23 ミカエル
見つめた先には暗闇でも燐光を放つ青みがかった銀の髪。
二人とも壁にもたれるように顔をうずめて座っていたが、靴音に気づいたのかふと顔を上げた。
時を置いて見る群青の瞳に心臓が跳ね上がった。
「貴様!」
眼を吊り上げて飛び掛らんばかりの勢いで跳ね上がったのは最初に見つけた、深紅のオーラを持つヒト。
少し遅れて半眼のヒトも顔をあげた。
「あの時のレメゲトン……貴様だけは生かしておかん!」
「待ってよ! 聞きたいことがあるんだ!」
檻に近くまで駆け寄った。
殺気がびりびりしていてとてもそれ以上近寄れなかった。
「おまえたちいったい誰なんだ! どうしておれを殺そうとしたんだ!」
「貴様敵国の分際でそんな事を尋ねるか! 誰が答えるか!」
武器のブレイドは没収されているようだったが、素手でも自分を殺しかねない勢いだ。
「でも、おかしいわね。セフィラがそんな風に感情を表に出すこともミスをすることも、一人のレメゲトンに執着することも……そんなことは普通ありえないはずよ。」
ねえちゃんの凛とした言葉が分断した。
「知るか! なぜか貴様は殺さねばならんと思っただけだ!」
ああ、そうか。
瞬間的に理解した。
このヒトも別に理由はないんだ。ただ、自分を殺したいだけ。訳が分からないまま自分を狙っていたんだ。
なんでだろう。
いったいどうして自分はこれほどこのヒトに会いたくて、このヒトはこれほど自分を殺したがるのだろう。
心はどうにも動かない。
どうしようもない感情が胸の中をぐるぐる渦巻いた。気持ちが悪くなるくらいに締め付けられて、その心は眼からしずくとなって零れ落ちた。
「どうして……?」
その瞬間に、何か自分ではないモノが自分を支配した。
額が焼けるように熱くなった。
「ミカエル」
そして、自分の喉から出た声は自分のものではなかった。
深く悲しいテノールの響き。
ねえちゃんが驚いたように自分を見たのも、檻の向こうに一瞬まばゆい光が溢れたのもなんとなく見えていた。
でも、次に気がついた時、自分はねえちゃんの背の後ろに匿われていて、檻を守っていた衛兵さんは二人とも地面に突っ伏していた。
「これでやっと殺せるな……レメゲトン」
「そんなことさせないわ」
声が震えている。
ねえちゃんの背中以外何も見えないけれど、緊張は痛いほどに伝わってきた。
低くてよく通る声が聞こえる。
「俺がティファレトだと分かっていながらこの程度の拘束しかしなかった貴様らの間抜けさを呪え」
ティファレト。
また知らない語句が増えていく。
「ラックは殺させない。私が守るわ」
銀髪のヒトがいったいどうしたと言うんだろう。
ねえちゃんの心臓の音がする。
「クローセル!」
叫びとともに魔方陣が発動したけれど、クローセルさんは現れなかった。
「無駄だ。第49番目の悪魔クローセルは堕天だろう? 出来損ないの堕天使がミカエルの前で姿を保てると思うなよ」
だてん。堕天って言う言葉は知っている。もとは天使さんだった悪魔のことだ。
ミカエルって言う名前に聞き覚えはないはずなのに、とてもよく知っている気がした。それより何より先ほど自分はなぜその聞き覚えのない名前を呼んだのだろう……?
「逃げなさい、ラック。すぐにアレイや老師様にこのことを伝えるの。わかった?」
小さな声でねえちゃんは呟いた。
声が出ない。
どうして。返事しなきゃ。いつもみたいに、『分かった』って……。
一瞬躊躇した。
銀髪のヒトにはその一瞬で十分だったみたいだ。
「どけ、レメゲトン」
ふいにねえちゃんの背中が消える。
吹っ飛ばされたねえちゃんは反対側の壁に激突して、動かなくなった。
「ねえちゃん!」
「貴様は殺す!」
「!」
目の前にいたのは、檻を完全に粉砕して進み出た荘厳な天の御使いの姿。
クローセルさんに似ているけれど、輝きが半端じゃなく違う。背には6枚の翼が輝き、銀の額飾り以上に頭上の金冠が煌いている。流れるように落ちたゆるく波打つ銀の髪が女性とも男性ともつかぬ整った顔を彩っていた。
その天使さんは初めて出会った時の銀髪のヒトと同じような純白のローブに身を包み、その手には純銀の剣を携えていた。
訳の分からない感情が全身を支配する。
眼を大きく見開いて銀髪のヒトの頭上に浮かぶ天使の姿を見上げた。
銀髪のヒトも全くどちらか分からなかった。完全に見分ける自信があったのに、どちらとも違う。赤でも青でもない、目の前の天使さんと同じ銀色のオーラを放っていた。
心臓がこの上ないくらいに速く脈打っている。
「ミカエル」
またも自分ではない声が自分の喉から響いた。
頭がおかしくなりそうな感情を荒い呼吸で押さえつけようとしたが……
薄暗い空間に浮かぶ銀髪のヒト――以前と同じだ。すさまじい痛みと恐怖、胃が反り返るような嫌悪感が全身を貫いた。
「うああああああああ!!」