SECT.2 はじまりの出会い
店を出て、ようやく動き始めた街に出た。灰色の石畳は街のメインストリートへとつながっている。
ここからは仕事だ。
感覚のスイッチを入れた。
視野を広げて、耳を澄まして、それから街の様子を肌で感じる――少しでも、何か変化していないか?違和感はないか?
自分がバカなのはわかっている。記憶力はないし理解力も推理力もほとんどない。ただ一つだけ自慢できるのは『勘がいい』っていうことだ。
世間ではなんて言ったろう?
ああそうだ、『洞察力』ってやつだ。
少しの違いに気付ける。違和感を逃さない。
それは探索者という職業にこの上なく適した能力だったらしい。だから自分は情報屋のねえちゃんに拾われて、ちゃんと仕事をして、生活できている。
それはすごく幸福で運のいい事なんだろう。
「♪んん〜〜んんん〜、んん〜」
そんな風に鼻歌を唄いながらゴキゲンでメインストリートに入ったところで、開店準備をしているカフェのマスターが声をかけてくれた。
「よお、ラック」
くるりんとした左右のヒゲは今日も立派に空に向かっていて、リンゴみたいなお腹は相変わらずたゆんたゆんと揺れている。
白いエプロンが朝日を反射して眩しい。奥さんが洗濯したのか、水色チェックのシャツはパリッとしていて爽快だった。
「今日もご機嫌だな」
「そうだよ。今日は久しぶりにケーキ買って帰るって決めたんだ」
「そりゃあいい」
笑うとお腹がたゆんと揺れる。
そのお腹も自分のお気に入りだ。
「だからマスター、夕方くらいにフルーツケーキ残しといて! イチゴいっぱいのやつ!」
「お前の分は特別に作っといてくれって言っといてやるよ。」
「わあーい! ありがと、マスター!」
マスターの奥さんが作ったフルーツケーキもお気に入り。
この街はお気に入りでいっぱいだ。ねえちゃんの気まぐれ猫みたいな金の瞳、道沿いの花壇、マスターのたゆんとしたお腹、フルーツケーキにソフトクリーム。それからメインストリートを吹き抜ける暖かい風。
「今日もがんばるぞ!」
マスターともサヨナラして、飲み屋街の灰色からメインストリートのベージュの石畳へと変化していく朝の道を駆け抜けた。
とにかくよく見るのよ、それから、少しでもおかしいなと思ったら書いておきなさい。たとえほんの少しの違いだったとしてもあなたには気付くことができるはずよ。
それはねえちゃんが何度も何度も繰り返す言葉だ。
だから、自分の持つ全ての感覚を使ってよく見る。
いつもの街の中に少しでも違和感がないか。おかしなところはないか・・・
昨日まで咲いてなかったけど、オレガノが咲いてる。きれいな薄紫の花だ。
あ、ここの壁ちょっと壊れたんだ。誰かぶつかったのかな。
本屋のペット、カラフルインコがいつものように店の前の止まり木でがんばっている。運動不足ででっぷりとしたお腹がカフェのマスターにそっくりだから自分は勝手にちびマスターと呼んでいる。
「や、元気か、ちびマスター」
「くわぁあ!」
「ちょっと痩せたんじゃない?」
「きぃっ、くあっ!」
うるさい、といった感じで威嚇してくる。
あんまり構い過ぎると頑丈な嘴でつつかれたり、太い爪で引っかかれたりするから気をつけなくちゃいけない。これまで何度もやり過ぎて痛い目を見ている。
「ちびマスターはいつもつれないな」
にこっと笑ってバイバイ手を振ったが、ちびマスターは相変わらず機嫌悪そうにふんと鼻を鳴らしただけだった。
カラフルインコのちびマスターを見送って、メモをかばんから取り出した。とにかく見つけたことは全部書く。
オレガノが咲いたこと、壁の破損。それから少し痩せたちびマスター。
一日の最後に、このメモを見ながら見たこと全部ねえちゃんに報告する。
メモし終わってふと顔を上げると、民家の壁に少し欠けている部分を発見した。
ここの壁も壊れてるのか。
少し視線を上げると二階部分の屋根が壊れて、拳大の破片がいくつも道に転がっていた。
あれ、あんなところも?なんで?あんな高いところ、誰も届かないよ?
「……」
おかしいな。
ふと足を止める。
このあたり一帯の家で壁の破損が多すぎる。
なぜだろう?
「めもめも」
自分で考えてもわかるはずない。ねえちゃんに考えてもらおう。
鞄からメモを取り出してとりあえず書き留めておく。
「本屋の壁と、八百屋の鉢植え、果物屋の屋根……」
足を止めずに破損部位の簡単なメモとスケッチをとる。
走りながら、周囲を見渡しながらのメモにも慣れた。
「よし」
3年前に拾われてから、いろんなことが出来るようになった。
ねえちゃんに読み書きを習って、生活の仕方も習って、それから戦い方も学んだ。それなりに自分の身を守れるくらいには強い。それがわかっているから、少し危険だなと思ったところにも飛び込んでいける。
そうやっていつも探索者としての仕事をこなしてきたのだ。
辺り一帯の破損を書き留めて、次は別の道を駆け回る。
犬の散歩じゃないけれどいつも歩く道順は決まっている。一筆書きで街中を一掃できるようにとねえちゃんが考えてくれた道筋だ。
ところが、今日はそううまく行かなかった。
「うっわあ、ひどいなあ!」
これまで見てきた破損と比にならない、大きく崩れた壁の跡を宿屋の横筋に見つけてしまったからだ。
いつもは素通りする裏道に入る。
朝の光が差し込んでいない。かび臭いような湿っぽい空気が鼻の奥をつん、と揺らした。
それに混じってきた匂い。
「なんだろ」
この匂いは知っている気がする。あんまり好きじゃない匂いだ。
「鍛冶屋のゼルと同じ匂い……」
金属。
鉄――
「あ……」
一瞬目の前が真っ赤に染まる。
むせ返るような匂いと、声も出せない恐怖が一瞬フラッシュバックした。
思わずくらっとして地面にしゃがみこむ。
「この匂い……血だ」
自分は血がキライだ。
前にねえちゃんにその話をしたら、きっと過去に何か血を嫌うきっかけになった出来事があるんだろうと言われた。記憶がないから分からないが、そんなシーンが白昼でもたまに目の前をよぎることがある。
そして今、微かだがこの路地から確かに血の匂いがして、一瞬だけ何かがフラッシュバックしたのだ。
とりあえず調べよう。
ゆっくりと立ち上がった。崩れた壁に半分ふさがれた細い裏道の奥を見つめる。
この先は、行き止まり。本屋の塀が行く手をふさいでいるはずだ。
その細道の奥に、何か白い塊が見えた。
「なんだろ……」
ゆっくりゆっくり近づいてみる。
近くで見ると意外と大きい。
「あっ……」
これ、ヒトだ!
一瞬歩みを止めた。
心臓がドキドキした。
そのヒトの顔には、薄暗い路地の最奥でもはっきりわかる青みがかった白銀の髪がかかっていた。聖職者のような真っ白い服に点々と赤い花が咲いていて、これがさっきから漂うキライな匂いの元だという事はすぐに分かった。
こういう時はまずねえちゃんに知らせるのがよかったんだろう。
でも、その時は全く思いつかなかった。