SECT.17 ヴァイヤー老師
今の一連の流れは、一応踏まなくてはいけない手順の一つらしい。
国が与える天文学者の地位、つまり『レメゲトン』と呼ばれる者に位を与えるには、二人以上のレメゲトンと二人以上の騎士団長がいる前で王様が宣言せねばならないのだという。
「めんどくさいんだね」
「そうね、ゼデキヤ王もいつも同じことをおっしゃるわ。でも一応古くからのしきたりだから最も簡単な方法で手順を踏むことにしているの。と言っても、あなたの前にこの儀式を受けたアレイの時がもう4年前だから、もう何年かに一回しか行われていないのよね。大昔、72人の天文学者をそろえていた時代はもっと年に何回かあったらしいのだけれど」
「へえー」
「ゼデキヤ王も普段はもっと気さくな方よ。もっとも、今は公務がお忙しくてほとんどお会いできないのだけれどね」
控え室としてあてがわれた部屋で、出された紅茶を飲みながらヴァイヤー老師が現れるのを待った。
紅茶は今まで味わったことのない深くまろやかな風味だった。
おいしい。これでケーキが出れば言うことなしなんだけど。
「グリフィスって、この間の昔話に出てきたゲーティア=グリフィスっていう天文学者のこと? おれ、そのヒトと何か関係あるの?」
「ええ、あなたはおそらくグリフィス家の最後の生き残りよ。もっとも、グリフィス家自体何十年か前に滅亡したといううわさだったのだけれど、なぜか生き延びていたようね」
「じゃあ、おれはこれからラック=グリフィスってことになるのか?」
「そうよ」
「ねえちゃんはそのこと、知ってた?」
「……知っていたわ。黙っていてごめんなさい」
「ううん、いいよ。だって知ったらねえちゃんと離れ離れになってたかもしれない。でも、これからは、ラック=グリフィスになっても一緒だよね!」
「そうよ。大丈夫、私があなたを守ってあげるわ」
ねえちゃんが笑いかけてくれたので笑い返した。
「それよりもこの服、暑いし肩がこりそうだ。もう着替えたいよ! 足は重いし……」
「もう少しよ。ヴァイヤー老師に会ったらうちに帰って夕飯をいただきましょう」
「はーい」
「やれやれ……こんなのがレメゲトンとは。先が思いやられるな」
アレイさんははあ、と深くため息をついた。
「大丈夫よ。この子は今までにない強力な力を持つことになるわ。それ以外の事は私達がフォローしていかなくちゃ」
「冗談は休み休み言ってくれ。こんなガキのお守りなんか真っ平だ」
「ガキって言うな!」
「うるさい」
アレイさんは紫の瞳を細めて忌々しげにつぶやいた。
「ゼデキヤ王の意図が分らん。こんなガキにフロウラスだと?このガキを体よくつぶしにかかったとしか思えん」
「違うわ、アレイ。ゼデキヤ王はこの子の秘めたる力をお見抜きになったのよ」
「だからと言ってそこでなぜそのコインが出てくるんだ。せめてもう少し大人しいコインで修行を積んでから……」
「若造、何も分っておらんな」
そこへしゃがれた声が割り込んだ。
「ヴァイヤー老師」
「すでに悪魔と契約した天文学者がもっと強い悪魔と契約するには一度目の何倍もの力がいる。逆に、最初に契約した悪魔が強ければ強いほど次の悪魔との契約は簡単になる。力とはすなわち精神力。いうなれば意志の固さだ」
老師という名前がまさにぴったりな白髪の老人がそこに立っていた。
褐色の肌には何本もしわが刻まれ、床まで届く濃い紫色のローブから除く手首は骨と皮だけになっているのではないかと思えるほどに細い。それでもしわの奥に光る青い瞳は、まったくその鋭さを失ってはいなかった。
「お主がグリフィス家の末裔か……女だと聞いたのは己の聞き違いか?」
「いえ、正装を支度する暇がなくヨハンの着ていたものを拝借したしだいです、老師」
「そうか」
老師はゆっくりとした足取りでテーブルに着き、紅茶を持ってきた侍女に軽く礼を言った。
「名はなんと言う? 少女。」
「えーと、ラックです」
「ラック=グリフィスと名乗りなさい。それに、目上の人には敬語を使うのよ」
ねえちゃんが正した。
「ラック=グリフィスです。よろしくお願いします」
「そうそう、これから人に名乗るときはそう言うのよ」
「はあい」
その様子を見て老師は目を丸くした。
「精神年齢が低いんだよ、このガキは」
「ほう」
「私が3年前に拾った時には過去の記憶すべてをなくしていたわ。一体何があったのか分からないのだけれど、その時この子は全身にひどい傷を負っていて声も出せない状態だった……最初の1年丸々かけて回復して、2年間で探索者の仕事をちゃんとこなすようになったの。おそらくその影響があって今のこの子の精神年齢が形成されたんじゃないかと思うわ」
ねえちゃんがそう言って自分の頭にぽんと手を置いた。
その手の感触がうれしくて、思わずにこっと笑ってしまった。
「この子の心はまだ何色にも染まっていないの。何も知らない無垢な心を持っているわ。この子を天文学者にするなんて……私だって本当に嫌だったわ。でも、そうしないとこの子を私の傍においておくことは出来ない。逆に言えば、たとえレメゲトンになったって私の傍にいさえすれば守ることが出来るもの」
「おれねえちゃんと一緒にいるよ? どこにも行かないよ?」
「そうね」
「刷り込みのようなものか。鳥は最初に見たものを親と信じてどこまでもついていくという」
老師は軽く息をついた。
「この鳥頭が」
アレイさんは鼻を鳴らした。
「まあよい。お主が国を裏切らない限りこの少女も国に仕え続けるだろうからな」
老師は青い瞳で自分をまっすぐに見つめた。
「己が来たのはそのコインがどのようなものか、お主はこれからどういう立場になるのか、そして悪魔を使役するにはどうすればいいのかを伝えるためだ」
その青い瞳をまっすぐに見つめ返して、こくりと頷いた。
「今回ゼデキヤ王は第2番目アガレスと第64番目フラウロスをお主に与えた。アガレスは地震を起こす力を持ち、フラウロスは地獄の業火を操る力を持つという。どちらも恐ろしく強大な力を秘めたコインだ」
「どんな悪魔さんたちなの?」
「アガレスは老いた紳士の姿で現れるという。その姿は優美にして壮麗だが、その言葉に曖昧さが多く入り混じる。伝承によるとまるで問答のようにして会話を進めるらしい」
「問答ってなぞなぞのこと?」
「そうだ。アガレスの言う言葉を真に受けてはならん。そこには確かに真実があるのだが、それは幾重にも折り重なった霞の奥に隠された至宝だ。アガレスの言葉を何度も何度も噛み砕いて考えるとよい」
「こいつにそれが出来るわけがない」
「出来ないかもしれないけど、がんばるもん!」
アレイさんを一瞬睨んでから、もう一度老師に視線を戻す。
「もう一人のほうは? えーと、フラウロスさん」
「フラウロスは大きな一頭の豹の姿で現れる。人の姿もとるが、それはごく稀らしい。色は炎のように燃え盛るオレンジに黒の奇怪な斑点がある。瞳は燃え盛る炎の色だ」
先ほど手にした二つのコインを並べてみる。
地震を起こすなぞなぞ好きのアガレスさんの方はつぼが笑っているような模様で、炎を操る豹のフラウロスさんの方は鳥の羽を広げたような模様だった。
そこに、もともと持っていたコインを並べてみる。
お化けが何匹も顔を出したり引っ込めたりしているような模様。なぜかこのコインだけ熱を持っている気がして、ゾクリとした。
「そのコインは使わんでいい。お主の過去への道しるべとして大事に持っておきなさい。グリフィス家の末裔である証だ」
「このコインの悪魔さんはどんなヒトなの?」
「……使わんのだから知らんでいい」
老師は吐き捨てるように言った。
他にも二つコインがあるし、この過去を知るコインを使う必要はなさそうだ。
言われたとおりにまたコインを胸元にしまった。
「時に聞くがお主、コインはいつもそこにあるのか?」
「そうだよ。寝る時もお風呂はいる時もずっとつけてるよ」
「何と!」
老師はしわの奥の細い目をいっぱいに開いた。
アレイさんは頭を抑えた。
「ゼデキヤ王がアガレスとフラウロスのコインを託すわけだな。何という耐性の強さだ。この若造並みではないか」
「?」
首を傾げてねえちゃんを見ると、困ったように微笑んだ。
「悪魔のコインは普通の人にとっては毒みたいなものよ。近くに置き過ぎると体調を崩したり精神に異常をきたしたりするの。でも、私たち天文学者になる者は悪魔のコインに対する耐性を持っていて、少しくらい持っていても平気なのよ」
「耐性の強さは人によって違う。俺やねえさんはそれなりに強いが……」
「アレイ、あなたみたいな鉄の耐性と私を一緒にしないでくれる?」
「だがこのくそじじぃはそろそろ無理だろ」
「年寄りを敬え、若造」
「うるせえくそじじぃ。年を考えてそろそろ引退しやがれ」
アレイさんが口汚いは自分にだけかと思っていたが、もしかすると特別なのはねえちゃんに対する態度の方で、普段は誰にでもこんな風に無遠慮な態度をとっているんじゃないだろうか。
「お主が一人前になったら考えてやらんこともない」
「だったらせめてコインの数を減らしやがれ!」
「己以外に老賢者フルカスと話せるものはおらんよ」
アレイさんはちっと舌打ちした。
「アレイもずっとコインを手首につけたままよ。私やヴァイヤー老師は普段体から離して保管しているわ」
「おれはどうしたらいい?」
「そうね、3つとも癖のあるコインだから……身につけていた方がいいかもしれないけれど、コイン同士はあまり近づけない方がいいわね。明日にでも加工してあげるけど、仕方ないから今日は一緒に首に下げておきなさい」
「はあい」
素直に返事をすると老師は穏やかに微笑んだ。
「己に孫がおったらこのくらいか」
「んじゃあ、おれにじいちゃんがいたら老師さまくらい?」
「……そうかもしれないわね」
「じぃ様って呼んでいい?」
「かまわんよ」
うれしい。
思わず笑みがこぼれた。
「仕方がない、孫のためじぃ様はがんばるとするか」
老師改めじぃ様は椅子から立ち上がった。
「今日中に魔方陣を完成させておく。明日また来るといい。神殿で待っておる」
「よろしくお願いします、ヴァイヤー老師」
ねえちゃんは立ち上がって深く頭を下げてじぃ様を見送った。
「おれ、これからどうなるんだ?」
「おそらく半年ほどかけて悪魔を呼び出して使役する練習をするわ。そのあとは、地震と炎の力を使って軍備に組み込まれることになるでしょうね。アレイが炎妖玉騎士団、私が輝光石騎士団に所属するようにどこかの騎士団にレメゲトンとして所属することになるわ。このぶんで行くと、王都在住の漆黒星騎士団でしょうね」
「さっき王様のところで黒い鎧を着てた人が団長さんなんだよね」
「そうよ。騎士団に所属したら、その後は私と一緒にコインを探す命を受けることになるでしょう」
「ほんと!」
ねえちゃんと一緒に。それがすべての願いだ。
「本当よ。さあ、そのためにも半年間がんばらなくちゃいけないわ」
「うん!」
「明日は初めて悪魔を呼び出すことになると思うわ。すごく疲れると思うの。でも、あなたなら大丈夫よ、ラック」
ねえちゃんがまた少しだけ悲しそうに微笑んだ。
「だいじょうぶ。がんばるよ!」
心の底からそう言ったが、ねえちゃんの悲しそうな表情を拭い去ることは出来なかった。