SECT.14 アイリスとリコリス
プルガトリオ・ゲートを通り過ぎて向かったのはねえちゃんの屋敷だった。
「王様に謁見するときは、そんな服じゃだめよ」
ねえちゃんは自分を指して言う。
いつもの淡いグリーンの短衣に黒のハーフパンツ、ジーンズのジャケット。左手は相変わらず包帯巻きだけど右手には黒い篭手をしている。
これのどこがいけないんだろう。
「んじゃどんな服がいいの?」
「そうねえ。私は天文学者の正装があるのだけれど……あなたはどうしようかしら」
馬車は大きなお屋敷の門を抜けて、そこからかなり広い庭を抜けて、大きな建物の前で停止し、自分とねえちゃんを降ろしていった。
アレイさんはクロウリー家のお屋敷に行くらしく、一緒に降りてはくれなかった。
目の前の屋敷を見上げ、王都を見たときと同じため息をついた。
「ねえちゃんのおうち、大きいねえ」
「あらそう?ジュデッカ城に比べればこんなの豆粒よ」
「いや、それはそうかも知んないんだけどさ……」
外壁が低い分威圧感はなかったが、この敷地内には明らかに5棟以上の大きな建物が林立している。
目の前の大きなお屋敷の白い壁がまぶしい。あまり縦に長くないだけましだと思うべきだろうが、自分の感覚からはずれすぎていてくらくらした。
「ねえちゃんてお金持ちだったんだ」
門から建物までの距離は果てしなく遠い。
街の花壇とは比べ物にならないほど丁寧に手入れされた庭は、はるか地平の向こうまで続いているんじゃないかと思う。
「まあとにかく、少し休みましょう」
「う、うん」
家の前に立っていたヒトがいろいろ飾りの付いた大きな扉を開けてくれた。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
びくびくしながらねえちゃんの後について家に入ると、ふかふかの絨毯が敷き詰められたホールと大きな螺旋階段が自分を出迎えた。
手すりは金色でピカピカしている。
「ミーナお嬢様、お帰りなさいませ」
「ただいま、ばあや」
ねえちゃんは入ってすぐ出迎えてくれた老婆ににこりと笑いかけた。
「3年ぶりね。元気だったかしら」
「お嬢様こそ、ますますお美しくなられて」
「もう、そんなこと言わなくてもいいわよ」
ねえちゃんは苦笑すると、後ろのほうで固まっている自分を手招きで呼んだ。
「この子と王様に謁見を申し込むのだけれど、何かちょうどいい服はあるかしら?」
「そうですね、お嬢様が若いころお召しになっていた服が少し残っています」
「それでいいわ。昼食後にすぐ出発したいの。できるかしら?」
「かしこまりました。それまでに準備を整えておきます」
白いブラウスにふわりとした淡い深緑のスカートをはいた老婆は、深く頭を下げた。
頭髪はすでに白いが、背筋はしゃんとしているし声もはきはきとして聞きやすい。少しだけ、本屋のユグばあさんに似ている。
つぶらな瞳からは温和そうな性格が見て取れた。
「ラック、その人は私の乳母だったマリーばあや。ちゃんと王様に会える格好にしてもらってきなさい。あ、ばあや、ちゃんとお風呂にも入れてね!」
「かしこまりました」
「左腕はまだ治ってないの。ついでに包帯を替えておいて頂戴!」
そう言うとねえちゃんは颯爽と螺旋階段を上って姿を消してしまった。
「ではラック様。こちらへ」
「え?」
ばあやに指示されるがまま、長い廊下を歩いて階段を上って……
着いた先はどうやら浴室らしい。
とはいっても脱衣所だけで今まで自分が暮らしていたアパートの一室くらいある。
「リコリス、アイリス。お客様をお願いします」
「「はい」」
すみれ色のワンピースに白いエプロンをした二人の少女が進み出た。
肩くらいに切りそろえた茶髪、表情のない白い頬、大きなブラウンの瞳まで全く同じように作った人形のような少女たちだった。
「うわ、そっくり。双子?」
「「はい。よろしくお願いします」」
「!!」
びっくり。
声までそろっている。かわいい!
「失礼いたします」
そう言って片方が自分の右手の篭手をとる。
「ありがとう」
正直、左腕が動かないのでまだ一人で風呂に入るのは難しい。
きっと手伝ってくれるんだろう。
「あなたはどっち? リコリスさん? アイリスさん?」
「私はリコリスです」
表情を変えずに少女は答えた。
「んじゃ、そっちがアイリスさん」
もう一人の少女はぺこりと礼をする。
うん、すごく似てる。でもアイリスさんのほうがおとなしい感じ。リコリスさんのほうは少し眉がつってて気が強そうだ。この分だと、声も少し違うんじゃないかな?
「おれの名前はラック。よろしくね。二人とも今いくつなの?」
「申し訳ございません、お客様。そのような質問には答えかねます」
「何で?」
「私のように下賎なものがお嬢様のお客様に答えるなど、もっての他です」
「……?」
意味が分からない。
「別にいいじゃん。おれはあなたたちと友達になりたいと思った。だから聞いてる。それなのにげせん?がどうのこうのっておかしくない? 答えになってないよ」
要するに、げせんっていう言葉の意味が分からなかっただけなんだけど。
「それは」
「おれはねえちゃんみたいなお嬢様じゃないよ。今だって服見たら分かるだろ? こんなお屋敷に連れてこられてびっくりしてるんだ」
自分の篭手をほどいているリコリスさんににこりと笑いかけた。
「もしそれで誰かに怒られるって言うんならおれは誰にも言わないし、ここにはばあやさんもいないし、だいじょうぶだよ!」
「ラック様……」
リコリスさんは戸惑っているみたいだった。
「いえ、でも、私たちは」
「だいじょうぶ」
二人を見ていて、銀髪のヒトたちを思い出していた。
きっとあのヒトたちも双子だったんだろう。
「おれはあなたたちと仲良くなりたいんだ」
自分の中でこの少女たちと銀髪のヒトたちがだぶっていた。
この女の子たちと仲良くなれたら、銀髪のヒトたちとも仲良くなれる気がした。
「だめ?」
にこりと笑って首を傾げて見せると、アイリスは困ったようにうつむいた。
「……不思議な方ですね」
「え?」
リコリスは右手の篭手をはずし終わると、ジーンズのジャケットに手をかけた。
「私たちは今年で16歳になります。城下から毎日このファウスト家に通ってお仕えしています」
左腕を動かさぬよう細心の注意を払ってジャケットを脱がせると、短衣の上につけていたベルトを外した。
脱いだ服はアイリスに手渡され、慎重に籠にたたんで入れられていた。
「ラック様は新しくグリモワール王国の天文学者となられる方だとお聞きしました。お嬢様がカトランジェの街からお連れになったとか」
「うん、そうらしいんだ」
まだ敬語なのは少し気になったが、普通に話してくれるようになったのはとても嬉しかった。
「でもおれは天文学者がどんなことをするのかよく知らないし、おれ自身のコインがいったいどんな力を持っているのかも知らないんだ」
「これがそのコインですか……」
短衣を脱いだ時こぼれ出たコインに、リコリスが恐る恐る触れる。
「あ、それはそのままでいいよ。お風呂入るときも外したことないんだ」
「かしこまりました」
リコリスは手を引っ込めて、また少し近づいてコインを眺めた。
「おれさあ、なんか知らないけど3年前に捨てられてたらしいんだ。それをねえちゃんが拾ってくれてさ、名前付けて、仕事をくれて、いろんなこと教えてくれた」
「名前を、ですか?」
「うん。おれさ、何も覚えてなかったんだ、その時」
「!」
リコリスとアイリスがなんともいえない表情をしていたから、気にしないでと笑いかけた。
「家族のことも、名前も、どうして自分が捨てられてたのかも。ただ一つだけ持ってたのがこのコイン。これは、俺の過去につながる唯一の鍵なんだ」
くすんだ金色でおかしな幾何学模様が描かれたコインのペンダントトップ。
右手でそれをぎゅっと握り締めた。
「王都に来たのはねえちゃんと一緒にいたかったからなんだ。コインだって過去だって本当はどうでもいい。でも、もしそれを知らないでいた時、過去が原因でねえちゃんと引き離されるようなことになったらって思うともういてもたってもいられなくて……」
じっとしてなどいられなかった。
銀髪のヒトと会ったのは偶然でなく必然だったのかもしれない。
「だからここまで来ちゃったんだ。本当にそれだけなんだ」
ねえちゃんと一緒にいること。それが今の自分のすべてだ。
自分の世界はぜんぶねえちゃんと共にあった。それがいつまでも続けばいい。たとえ過去を知ろうとも、名前が変わろうとも、職業が変わろうとも。
ねえちゃんの隣を離れなければいい。
「おれ今でもこんな大きなお風呂に入れてもらったりとか、世話してくれる人いっぱいいたりだとかいうのがまだ信じらんね! 絵本で読んだ世界に入っちゃったみたいだ」
はははと笑うと、大人しい方のアイリスがやさしく微笑んだ。
「お嬢様はとてもお優しい方です。私達も職に困っていたところをお嬢様に拾われたのですよ」
「そうなのか?」
「はい」
「んじゃあ、おれたち拾われ仲間だな!」
「そうですね」
アイリスの笑顔はとてもやさしくて、思わずつられて微笑んだ。