SECT.10 ロストコインとレメゲトン
窓の外を映り行く景色を観察するのにも飽きてしまった。
すでに馬車で4日目。明日には王都に着くというが、周りの景色はこの3日間ほとんど変化がない。退屈の虫が全身を支配していた。
「ねえちゃん、また何か話してー」
「またなの?少しくらいじっとしてなさい」
「もう飽きたよ」
「まったく仕方のない子ね」
ねえちゃんは困ったように笑いながら、これまでもたくさんの話をしてくれた。
初代の王様が召還した悪魔の話。その悪魔を使役した天文学者たちの話。
ねえちゃんとアレイさんは3年もの間ずっと失われたコイン――ロストコインを探していた。
自分が持つコインは、その失われたコインのうちのひとつなのだという。
じゃあ何でおれを見つけたのに王様に黙って3年間一緒にいてくれたの?と聞くと、ねえちゃんは、きっとあなたが思っていることと一緒よと言ってくれた。
つまり、ねえちゃんはおれと一緒に暮らすのが楽しかったらしい。それが何より嬉しかった。
「じゃあ今日は、最強の剣士マルコシアスについて話しましょう」
「わあい」
「マルコシアスは第35番目の悪魔。普段は大きな翼を携えた勇ましい狼の姿をしているの。人の姿になったときは剣で戦うことに関しては誰にも負けない、正々堂々としたすばらしい戦士よ」
「へえー」
「嘘をつくのが大嫌いで、嘘をついた人を大きな剣でまっぷたつに切ってしまうの! そんなマルコシアスのコインを最初に使役したのは、炎妖玉騎士団を創立したレティシア=クロウリーという女性の天文学者。彼女は天文学者であると同時に勇壮な女騎士だったの。ダビデ王が彼女にマルコシアスを託したのも、彼女の剣の腕を見込んでのことよ」
「すごい、かっこいいね!」
「レティシア=クロウリーはマルコシアスを使役して数々の戦いに赴いたわ。隣国クトゥルフとの領土権争い、蒼水星騎士団の反乱……中でも有名なのは、第32番目の悪魔アスモデウスが天文学者の手を離れて暴走した時の話ね。そう、それは2代目ソロモン王の時代だったわ」
32番目の悪魔アスモデウスは、当時使役していた天文学者ハワード=フィリップスの手を離れて暴走した。もともと悪魔は人間に従順に従っているわけではない。隙を見せれば簡単に人間を裏切って、自身の欲望に忠実になる。
常日頃人間に使役されるのをよく思っていなかったアスモデウスはハワード=フィリップスの体を乗っ取って王都に進出、ジュデッカ城に単身攻め入って城を守る衛兵や王都に在住していた輝光石騎士団、漆黒星騎士団に甚大な被害をもたらした。
それだけでは済まず、城内の天文学者を残らず蹴散らしてからソロモン王の玉座を乗っ取ってしまったのだ。王国には全部で12の騎士団があったが、輝光石騎士団、漆黒星騎士団はその中でも3本の指に入るほどの屈強の騎士団だったために他の騎士団は王都奪回をしり込みしていた。
悪魔が国を乗っ取った。それを隣国はグリモワール王国に攻め入る好機と見た。
グリモワール王国始まって最初の危機だった。
だが、アスモデウスの天下は長く続かなかった。
偏狭の地まで治安の制定に出かけていたレティシア=クロウリーは玉座乗っ取りの知らせを受け1ヶ月後王都に帰還した。そして、35番目の悪魔マルコシアスと王国最強の炎妖玉騎士団を率いて、わずか3日でアスモデウスを打ち倒しジュデッカ城を取り返したのだった。
暴走したアスモデウスは鉄の枷をかけられ、2代目国王ワイズ=ソロモン=グリモワール本人によって使役されることとなった。
「この出来事を『暗黒の33日間』と呼ぶの」
「へえー。すごいんだ! でも、マルコシアスのコインはまだ見つかっていないの?」
「いいえ、マルコシアスはずっとグリモワール王家に仕えてきたわ」
「やっぱり、裏切ったり逃げたりしないんだね」
「そうよ」
ねえちゃんはふっと視線をアレイさんに向けた。
「見せてあげて、アレイ」
「えっ、アレイさんが持ってるの?」
「コインは基本的に親から子へ継承されるの。アレイのフルネームはアレイスター=W=クロウリー。彼はレティシア=クロウリーの子孫よ」
アレイさんは少し嫌そうな顔をしたが、闇色のマントの中から左手を突き出した。
その左手首には銀色のチェーンが巻かれていて、トップにコインが2個提げてあった。
「うわあ……」
自分のと同じ、くすんだ金色のコインにはどちらにもやはり似たような幾何学模様が描かれていた。でも、どうやらコインに記された模様は一つずつ異なっているようだ。
「もうひとつのコインはどんな悪魔なんだ?」
アレイさんにそう聞くと、無表情で淡々と解説してくれた。
「第43番目の悪魔、サブノック。ライオンの頭部を象った兜をかぶり、くすんだ青のマントを身に着けている。時に青い毛並みの馬に乗っていることもある。こいつも強い……めったに加勢はしてはくれないが。サブノックの剣で切られると傷口が腐って蛆が湧くといわれている」
「うわぁ!」
怖い。
「だが、それよりももっと重要な能力はこいつの武器製造能力だ」
「武器製造?」
「そうだ。個人に合った武器を一晩で作成してくれる」
アレイさんは左手をまたマントの中にいれてしまった。
「マルコシアスに比べてサブノックは扱いづらい。めったなことではサブノックは呼び出さん」
「へえー」
悪魔にもいろいろなヒトがいるんだな。いや、ヒトと呼ぶのが正しいかは分からないのだけれど。
「マルコシアスとサブノックを使役するアレイは戦闘に特化した天文学者よ。グリモワール王家に仕えているうちで唯一、戦場に出て行く天文学者なのよ」
「そうなんだ。アレイさんは強いんだね」
アレイさんはこっちを見てくれなくて、相変わらず馬車の外の走る景色を眺めていた。
でもここ何日かで分かったのはこのヒトが最初思ったほどに怖いヒトでも意地悪なヒトでもないってことだ。
きっとたまに口が悪くなったりするのは照れ隠しで、本当はすごく優しいヒトなんだろうと思いたい。だから、本当は仲良くしたい……
「お前に褒められても褒められた気がしないな」
「何でだよ。正直に言ったのに」
そう思いたいんだけど、どうしてこう口を開くとうまくいかないんだろう。
「第一、俺が戦闘に特化しているように、5人の天文学者はそれぞれ能力に特色がある。俺だけが特殊なわけじゃない」
「そうなのか?」
「そうだ」
でも、こうやっていくらか知識を足してくれる時のアレイさんの紫色の瞳に灯る理性的な光はとても好きだった。
「例えば5人の中で唯一王都に残留したくそじじぃは占星術の悪魔オリアクスと老賢者フルカスに加えて、それぞれ未来と過去を見るヴィネーとオロハスを使役している。主に情報戦担当の天文学者だ」
「持ってるコインの数はヒトによって違うんだね」
「そうだ。くそじじぃが4個、俺は2個、あと3個持ってるやつが2人、それからここにいるねえさんが5人の中で最高の5個。あとは、この3年間で集まったコインが5つある。それは国王が所持していて、所有者になる天文学者を探している」
「アレイ、そんな風に呼んじゃだめじゃない」
「くそじじぃはくそじじぃだろ」
アレイさんはふん、と鼻を鳴らして不機嫌そうに黙り込んだ。
ねえちゃんは困ったように苦笑して自分の頭をなでてくれる。
「あなたのコインを合わせて今王国が所有するコインは23個。残り49個のうちのいくつかは国外へ流出してしまったものもあるわ」
「ねえちゃんたちはそのコインを探してるんだね。それがねえちゃんの本当の仕事なんだ」
「そうよ。きっと全部のコインを集めるには何十年もかかるわ」
「大変だあ」
「ラック、これからはきっとあなたにもその仕事を手伝ってもらうことになると思うの」
「うん、もちろん!」
にこりと笑ってそう答えた時だった。
ガクン!
急に馬車が停車した。