彼女との出会い
「なぁ、ウィル。彼女は誰だ?」
ウィリアムは三歳年上のいとこで、彼もまたカーター家の事業の一端を担う男だ。
まだパートナーのいない僕らはよくつるんで、毎夜各所で行われるパーテーにこのようにして足を運んでいる。
いとこ同士なだけあって僕らはそっくりだとよく人から言われた。まだ五歳の弟とよりも、歳の近しい僕とウィルの方が傍から見れば兄弟らしい兄弟に見えるだろう。
しかし顔立ちほとんど同じなのに、垂れ目気味の僕と違って彼の目はすこし人にきつい印象をあたえる猫のような目。けれど笑うときつめの眦に甘さがにじみ出て、人を、とくに女性の心を釘つけにした。そんなギャップに社交界の女性は心とろかし、その笑みを私だけに向けて欲しいと、恋強請る女性は多い。
ようはモテるのだ、このウィリアムという男は。身分関係なく、一夜の相手を願う女性はこの社交界で後を絶たない。
おまけに、すでに育ち盛りを終えた彼は僕よりかなり背が高い、僕より頭二つ分ほどに。
僕は同年代の中では背は低いほうではないし、顔も悪い方ではないと思う。むしろ女の子から好まれる顔立ちをしていると自覚している。 だがウィルに比べれば幼さが際立つのは仕方がないだろう。まだ僕はどちらかといえば格好良いというよりは、可愛いと揶揄される見目だ。
とはいっても、あと数年もすれば彼と同じぐらいに大人の男になっているだろう。彼も、僕ぐらいの歳は僕と同じような見目をしていたから。男の成長とは急激に訪れるのだ。……と、信じたい。
ウィルの話に戻すと、彼は美丈夫で金持ち頭も良く愛想も良く、大抵の女性には良い印象を与え、彼自身も女性との語らいを好む性質で、だから当たり前のように彼は社交界に浮き名を漂わせているような、そんな男なのだ。
だから、僕は初めて見たその女性の正体を知りたくて、隣にいたウィルの脇腹を肘でつつきながら問いかけた。社交界に居る女性のことならば、この男は絶対に知っているであろうと確信して。
「ああ、アディソン家の長女だよ。名はアマンダと言ったかな。今年、社交界デビューしたばかりの十五歳」
僕は彼女から目線をそらさず、ウィルの淀みない口調での説明を聞く。
「旧家の娘だよ。血を辿れば王族に辿り着くほどに古く由緒ある家系だ。しかし今はあまり裕福ではないみたいだね。だが持つ土地は大きい。とはいえ、目だった特産物もない地域だったな。葡萄だけは豊富に取れるがしかし、あそこに大きなワイン工場はないから取れる税も大したことはないだろう。そうだ、そのうちあの辺りの土地を一部借りて工場でも建てるか。ああ、ちなみに五つ下の妹が居て、名はシャリー、今から社交界デビューを待ち遠しいにしている男がいると噂されるぐらいに、それはそれは愛らしい娘らしい」
ウィルは必要以上に彼女の説明をしてくれたが、正直、彼の言葉の最後の方は耳に入ってこなかった。
――アマンダ。
彼女は人の輪から外れ、壁際のカウチに座り、ひとりぼんやりと外の景色を見つめていたる彼女に、僕の心と目は釘付けだった。
「彼女は君の恋人?」
念のため、ウィルに聞いておく。
「いや、過去にも、未来にも、彼女が俺の恋人になったことも、なることもないだろうね。一度ダンスのお誘いをしたのだが、すげなくされた」
肩を竦めながらこたえウィルに、僕は目を瞠る。
「君になびかない女性がいるのか?」
驚きで僕は思わず目線を彼女から外し、隣に立つウィルの顔に向ける。
例えパートナーがいようとも、ウィルに声をかけられれば内心だけでも舞い上がらない女はいないと思っていたのに。
「時折、ね」
ウィルが僕の驚きに、困ったように笑う。
「だが、彼女は俺の以外の男にもなびかないよ」
「男嫌いなのか?」
「さぁ、それはどうだろう。誘えばダンスの相手はしてくれるし、お喋りの相手もしてくれる。ただし、相手だけ、はな」
含むような物言いに、僕は眉根をしかめた。
「どういう意味だい?」
問いかけるとウィルが僕から視線を外し、カウチに座るアマンダに視線を向けた。彼に倣って僕も彼女を見る。
「彼女、美しいだろう?」
「そうだね。あんなに美しいひと、僕は初めて見た……」
彼女の姿を再び目に映し、うっそりと溜息を吐く。
豊かな黒髪は複雑に編み込まれ、クリーム色のつややかな肌、引き結ばれた唇はすこし薄いが艶やかに光濡れ色付いている。
何より印象的なのは薄蒼の瞳だ。
まるで硝子のような瞳はあんなに大きいのに、どこを見ているのかはっきりとさせない色なので彼女をミステリアスな印象にさせる。
可愛いというよりは美しいと表現される顔立ちであるが、それよりも神々しいとか、静謐と表現した方がいいのかもしれない。
まるで完璧な絵画の前に居るような気分だ。
そんな気分になってしまうのは、彼女が微動だにしない無表情を顔に貼り付けているからなのだろうか。
身につけている薄紫色のドレスは華美ではないが、襟や袖にビーズがあしらわれていて、彼女の神々しさを引き立てていた。
そんな貞淑な雰囲気を持つと同時に、歳の割には肉付きが良いらしく張り出た胸や腰は、ただただ男の肉欲をそそる女のそれだ。
そんなアンバランスな彼女の魅力に心奪われる男は多いだろう。
そんな男が新たにこの日、この夜、この場所で、ひとり誕生したことを知っている僕は断言する。
彼女は魅力的な女性だ、僕がいままで見てきた女性の中でも最上に。
「声を掛ける男は後を立たないが、微塵もなびいてくれず、それどころか興味すら向けてくれる気配がないので男の方が早々に挫けて諦める」
「理想が高いとか? あるいは恋愛に興味がないとか……」
前者は努力次第でなんとかなるだろうが、後者の想像が当たらないことを祈る。土台にすら上がれないのはさすがに厳しい。
「さぁな。彼女は自身のうつくしさを鼻にかけているわけでもなさそうだし、傲慢な性格というわけでもない。だから、ただ単に相手をする男に興味を惹かれないだけなのだろう。だから余計に男側は打ちのめされるんだ」
「諦めずに声を掛け続けた男は?」
「今のところ俺は知らないな」
「それじゃあ、僕がその第一号だ」
そう宣言すると、ウィルがすこし難しそうなものを見る目をする。
「エド、彼女は手強いぞ?」
「どんなに難しい商談も、必ずどこかに勝機はあるって、父さんが言っていた。見つからなければ自ら作り出せともね」
僕は茶目っ気たっぷりにウィンクしながら答えると、ウィルはやれやれと言った様子で溜息を吐き、健闘を祈るとだけ言って僕の肩を叩くと、どこかへ行ってしまった。
彼はこの勝負の終わりを見届ける気はないらしい。
壁際の薄暗い場所で、外の景色を見やる彼女はしゃんと背筋を伸ばしていたけれど、雰囲気がどこか気だるげだった。
時刻は夜なので、外は暗闇だ。だというのに、なにがそんなにおもしろいのか、視線はただひたすらに夜闇に向けられている。
どう見たってこの場を楽しんでいるような感じではない。
僕が近寄る気配にも気づいていないのか、それとも興味がないのか、視線は外に向けられたままで、どうにかその薄蒼に僕の顔を映したくて、焦る気持ちを抑えながら、彼女に声を掛けた。
「レディ、ダンスのお相手を願えませんか?」
紳士然して申し出ると、彼女が初めて人がいることに気がついたっといった様子で肩をビクつかせながら初めてこちらを向いてくれた。
夜の美しさを閉じ込めたような人だ。
真正面から対峙して、思ったのはそういう印象。
真っ向から彼女の視線を受け止めてしまい、僕はかすかに上がる身体の熱に気どられぬよう、力の限り自然に振舞うよう、柔らかな笑みを浮かべながら彼女の返事を待った。
しばしの沈黙の間、彼女の表情は変わらなかったので、なにを思っていたのかは計ることはできない。
その沈黙は、時間にしては一瞬だったろう。
だが、僕は永遠にも感じられた。
初めて挑んだ商談よりも身体に緊張が走り、背中にいやな汗が伝う。拒否か了解か――その先を想像すると足が震えそうになるのをどうにか踏ん張る。
そして彼女が差し出していた手をとってくれたとき、触れた先から電流が走ったかのような錯覚が身を走った。緊張からの甘い開放。指先から伝う甘いしびれに、より熱くなる身体。
「わたしでよろしければ」
女性にしてはすこし低めの声が耳に入り、僕の脳髄を心地良い揺らめきをあたえる。
ダンスの相手を受けてくれたことが嬉しくて、いますぐここで舞い上がりたいぐらいの気持ちではあったが、それをぐっと抑えながら、彼女が立ち上がるのを待った。
僕の手を取ったまま彼女が立ち上がり、視線が近くなる――いや、近くなるどころか、これは。
立ち上がった彼女を目の当たりにしたこの時、さすがに僕は笑顔を貼り付けたままではいられなかった。
それはなぜだって?
それは立ち上がった彼女の身長が、わずかだけれど、僕より高かったからさ!
二歳年下の女の子だぞ?
驚きと衝撃で開いた口が閉じれなかった。
ほとんど目線が一緒――いや、僅かに見上げるかたちの体勢で、この時、僕は彼女に向けてどんな阿呆面を晒していたんだろう。
願わくば、彼女がこの時の事を覚えていませんようにと、今はそればかり祈る。