不自然な婚約期間
彼との初対面はそんなふうに終わった。
その後、社交の場でのパートナーとして彼の相手を何度か務め、忙しい仕事の合間に街での買い物や遠乗りの誘いにきてくれるエドウィンと共に出かける日々が続いた。
すぐにでも結婚をしても良かったのに、なぜだか彼はそれを望まなかった。互いを知る時間が必要だろうと言って。
親同士が決めた単なる婚約ならわからないでもない。だが私たちは違う。彼が欲するのは家柄をであり、我が家が欲するのは嫁き遅れの娘を貰ってくれる物好きなのである。
利害が一致したのならば、すぐにでも婚姻を上げればいいのだ。だというのに、彼は不必要な逢瀬を重ねたがった。
互いを知るために――それは建前で、彼にとってこの婚姻が本意ではなかったからだろう。
結婚をすこしでも先のばしたい理由。それは他に好きな女性でもいたのか、少しでも長く自由の身でいたかったのか……それはわからなかった。
すべては家のために、仕方なしに愛しもしない女を妻に迎える――悲劇の主人公は彼の方であったということだ。
しかし逢瀬の間、彼は思いのほか優しかった。同情か、それとも愛情は持てずともせめて家族愛は持てるようにと歩み寄ってくれているのだろうか。
パーティーの場では誰か彼構わず、私のことを婚約はだと自慢げに紹介し、パーティーの度に新しいドレスを誂えてくれる。
正直、お金持ちである彼の金銭感覚は私とは違い、毎回贈られるドレスや宝石の値段のことを思うと震えが上がった。
貴族のではあるが、うちは裕福ではないのだ。裕福ではないが、幼い頃から社交の場に出ている私は物の値段がよくわかっていた。
「エドウィン。パーティーの度に新しいドレスや宝石をくれるのは嬉しいわ。けれど、一度袖を通しただけでタンスの中で眠らせてしまうのは性に合わないの。妻になるのが決まっている女にそんなにお金をかけなくても良いのではないかしら? ほら、ドレスは仕立て直すとかすればずいぶんと雰囲気が変わるし……」
そう申し出れば、なぜか彼はひどく不機嫌になった。節制を心がけるように申し出ているのになぜ不機嫌になられるのか、よくわからないひとだ。
だが、その後、訥々と説明されれば、私は謝るしかなかった。
「見栄というのは意外と大事なものなんだよ、とくに僕ら商人の間にではね。身分のない僕ら商人にとって、社交の場で最大限に身を着飾る事は自らの資産を誇示することに繋がる。それは本来持ち得ない身分として相応しい役目を果たしているんだ。身に付けているもので資産を測られ、商才を測られる。そこを侮られれば商売の場でも舐められてしまう。お金というのは武器になるのだから、多少露骨であろうともそれを持っていうことを人にしらしめなければ。君はわたしの父と母がの姿を知っているだろう?」
知っている。流行最先端のもの全てをバランス考えず全身に身に付け、両手のすべての指に指輪をはめていて、おまけに邪魔にならないのかと不思議に思うほどにそこについている宝石は大きくて。
私が彼の良心の姿を思い描いていれば、彼が微かに苦笑した。
「まぁ、あそこまで成金趣味になりなさいとは言わないよ。けれど、君もおおいに着飾って、商人の妻に相応しい姿でいてくれないと、夫であるわたしが困るんだ」
彼の言葉は理論論舌として、すとんとわたしの中に落ちた。ようは私に美しい妻であって欲しいのだろう。侮られぬように、付け込まれる隙がないような完璧な。
問えば、社交の場で私を褒めるのも、私たちの中が良好であるように知らしめるための策だという。夫婦仲が悪ければ人間性も疑われてしまう。そんなことすら身分のない彼にとって隙となり、すぐに足元を救われて地の底に真っ逆さま。成り上がり商家であるので敵も多いのだという。
そう言われてしまえば、私は頷くしかなかった。
「わかりました」
おとなしく従ったというのに、その日の彼は最後まで不機嫌にであった。二枚舌で渡ってきた彼ら商人にとって、そのような正直な態度を取ることだって褒められたことではないはずなのに。
なぜだか彼は私の前では正直である。それはわたしを家族として受け入れてくれているからのか、それともご機嫌をとるに値しない女にであるからなのか、それはわからなかった。
というか、私はあまり興味がなかった。役目さえ果たしていれば、わたしがひとり静かに過ごしていても彼は文句は言わないのだから。そう、彼は初対面の時に宣言したのだから、彼に興味を持たずとも構わないはずだ。彼だって、義務で娶る女から心寄せられたところで迷惑だろう。