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如月令嬢は『手ぶらの鑑定書を疑わない』  作者: アリス・リゼル


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第1話『令嬢のルーツと、極上の不純物』 ~Section 4:財閥の狂騒と、迎えの黒服~

 旧市街の古びた和室で、瑠璃がかえでの語る『モノのルーツ』に静かに耳を傾けていた頃。

 月見坂市新市街の中心部、雲を突くような如月コンツェルン本社ビルの最上階では、さながら世界の終わりを迎えたかのような地獄絵図が繰り広げられていた。


「旧市街の監視網はどうなっている! なぜ五分以上も瑠璃のシグナルがロストしたままなんだ! AIの予測ルートを全画面に出せ!!」


 巨大なメインモニターが壁一面を覆う臨時捜索本部(社長室)で、普段は氷のように冷徹な経営者である如月彰が、ネクタイを乱し、血走った目で幹部たちを怒鳴りつけていた。

 その横では、会長である祖父の弦十郎が、床をステッキで激しく叩きながら息巻いている。


「ええい、もどかしい! 警察庁長官に直通回線を繋げ! 旧市街を丸ごと封鎖し、必要なら機動隊を投入しろ! 万が一、私の可愛い孫娘の髪の毛一本にでも傷がついてようものなら、あのスラム街ごと重機で更地にしてくれるわ!」


「会長、社長、どうか落ち着いてください! 現在、私設警備部隊の探索ドローン五百機を旧市街上空に展開させております。必ず、すぐに見つかりますから……っ!」


 蒼白な顔でコンソールを叩きながら二人の男をなだめているのは、母であり社長秘書でもある菫だ。しかし、彼女自身の震える手も、限界を超えたパニック状態であることを雄弁に物語っていた。

 さらに、臨時本部と化した社長室のソファでは、九歳になる長女の翡翠が、顔をクッションに押し当てて大声で泣き叫んでいた。


「うわぁぁぁん! 瑠璃! 瑠璃ぃぃぃっ! ばかぁぁぁ!」


 普段なら、親の関心を引くために計算高く『嘘泣き』をする彼女だが、今回ばかりは違った。如月家という絶対的な城の中で、常に自分の比較対象であり、玩具であり、そして何よりも自分を絶対的に肯定してくれる(と翡翠は勝手に思っている)『妹』という存在が、不可解な世界のバグによって突然消滅してしまったのだ。

 如月家の血脈に刻まれた『異常なまでの身内への執着』は、九歳の翡翠にも確実に受け継がれていた。彼女の流す涙は、嘘偽りのない本物の恐怖と喪失感によるものだった。


 最新鋭のAI、国家権力すら動かせる莫大な財力、そして数百機のドローン。

 月見坂市を牛耳る如月コンツェルンがその持てる力のすべてを解放し、狂騒の渦に呑まれていたその時。


 ジリリリリリリリリ……ッ!


 臨時本部の片隅に置かれていた、外部からの一般問い合わせ用のアナログ回線が、間の抜けた音で鳴り響いた。

 誰もが最新鋭の通信モニターに釘付けになっている中、菫が咄嗟にその受話器を取る。


「……はい、如月コンツェルン本社でございます」


『あー、もしもし。そちら、如月さんの会社で間違いなかろうか』


 スピーカーから漏れ聞こえてきたのは、AIの合成音声でも、誘拐犯の脅迫でもない。

 ひどくのんびりとした、ノイズ混じりの老婆の掠れた声だった。

 一瞬にして、社長室の時が止まる。彰も、弦十郎も、泣き叫んでいた翡翠も、全員が息を呑んでスピーカーに耳を傾けた。


『うちの土間に、ひどく綺麗で、賢いお嬢ちゃんが迷い込んできてな。名前を瑠璃というんじゃが……そちらの娘さんかのう?』


「る、瑠璃……っ!? ああ、神様……っ!」


 菫は泣き崩れそうになりながらも、必死にデスクにすがりついた。彰はモニター群を薙ぎ払う勢いで身を乗り出し、弦十郎は「おおおっ!」と天を仰いだ。


『怪我一つないから、安心しなされ。じゃが、真っ黒な服を着たでかい男とはぐれたようでな。もし迎えに来るなら、旧市街の西外れにある、山内という表札の家じゃ。……ああ、慌てんでもええよ。今、この子にはちょうど、古いオルゴールのルーツを話して聞かせとる途中じゃからな』


 電話の向こうから、老婆の穏やかな笑い声と、それに聞き入っているであろう瑠璃の静かな気配が伝わってきた。

 如月家を巻き込んだ国家規模のパニックは、一人の盲目の老婆による、旧式のアナログ電話一本であっさりと解決したのだ。


 ──それからわずか十五分後。


 旧市街の西外れ。

 普段は野良猫と自転車しか通らないようなひび割れたアスファルトの狭い路地に、如月コンツェルンの紋章が入った黒塗りの最高級SUVが三台、強引に乗り込んできた。

 けたたましいブレーキ音とともに車が停まるや否や、先頭の車から転がり出るように飛び出してきたのは、専属ボディガードの黒田だった。


 彼はスーツを泥だらけにし、ネクタイを引きちぎらんばかりに緩めながら、かえでの家の木製の引き戸を力任せに開け放った。


「お、おおおお嬢様ぁぁぁぁぁぁっ!!」


 土間に響き渡ったのは、地獄の底から這い上がってきた亡者のような、あるいは我が子を見つけた親熊のような、凄絶な叫び声だった。

 黒田は身長一九〇センチを超える屈強な肉体を折り曲げ、靴を脱ぐのも忘れて和室の縁側へとしがみつき、鼻水と涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら号泣した。


「あああっ、ご無事で……っ! 本当に、本当にご無事でよかった……っ! 私から離れないでと、あれほど申し上げたのに……っ! ううっ、うわぁぁぁん!」


 月見坂市の裏社会の人間でさえ震え上がるという冷徹な大男が、五歳の少女の前で子供のように泣きじゃくっている。その後ろでは、遅れて到着した私設部隊の黒服たちが、周囲を完全に包囲して鋭い警戒の目を光らせていた。


 しかし。

 その狂乱の中心にいる瑠璃は、座布団の上から一歩も動かず、氷のように冷ややかなアメジスト色の瞳で、号泣する大男を見下ろしていた。


「黒田、うるさい」


 一刀両断だった。

 瑠璃の声には、助けに来てくれた安堵も、親戚のような大男への同情も一切含まれていない。ただ、静かな和室の空気を汚す『騒音』に対する純粋な不快感だけが滲んでいた。


「せっかく、おばあちゃんが壊れたオルゴールのルーツを話してくれてたのに。黒田が大声を出したせいで、台無しになっちゃったじゃない」


「お、お嬢様……?」


 黒田は涙と鼻水で顔をテカらせたまま、ポカンと口を開けた。

 五歳の子供が迷子になり、知らない大人の家に上がり込み、あわや誘拐という大事件になりかけたのだ。普通なら、迎えの顔を見た瞬間に安心して泣き出すのが子供というものだ。

 しかし、目の前に座る瑠璃は、まるで『読書中に邪魔をされた』かのような、ひどく理知的な苛立ちを見せているだけだった。


「ほっほっほ。そう怒るでない、瑠璃ちゃん。この大きな男の人も、瑠璃ちゃんが大事で、大事で、心配でたまらんかったんじゃよ。愛情というのは、時として泥臭くて、騒がしいもんじゃからな」


 かえでは、縁側で泣き崩れる黒田をまるでおかしな生き物でも見るかのように笑いながら、瑠璃の背中をそっと撫でた。


「お迎えが来たんじゃ。今日はもう、お帰りなさい」

「……うん。分かった」


 瑠璃はかえでに促されると、素直に立ち上がった。

 そして、自分が座っていた座布団のシワを小さな手で丁寧に伸ばすと、かえでに向かって、深く、そして完璧な角度で頭を下げた。それは、如月家の令嬢としての形式的なお辞儀ではなく、五歳の少女が初めて抱いた『知性への敬意』を示すためのお辞儀だった。


「おばあちゃん。メロンクリームソーダ、美味しかった。それから、壊れた時計のお話も、曲がった鍵のお話も、すごく面白かった」


「そうかそうか。そりゃあよかった」


「……あのオルゴールのお話、まだ途中だよね」


 瑠璃は顔を上げ、かえでの濁った瞳を真っ直ぐに見つめた。


「また、聞きに来る。絶対に」


「ほっほっほ。ああ、待っとるよ。いつでもおいでなさい、瑠璃ちゃん」


 その約束は、子供の気まぐれなどではなかった。

 瑠璃は土間に降りると、未だにしゃくり上げている黒田のスーツの裾を無造作に掴んだ。


「帰るよ、黒田。パパとママがうるさくしてるんでしょ。早く黙らせないと」


 泥だらけのドレスを着た小さな令嬢は、振り返ることなく、待機していた黒塗りのSUVへと乗り込んでいった。

 完璧な管理社会で生きることを定められた少女が、旧市街という『極上の不純物』の味を知り、自らの意志でそのルーツを引き継ぐための、確かな一歩を踏み出した日だった。



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