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第1話『令嬢のルーツと、極上の不純物』 ~Section 10:継承される言葉と、絶対君主の誕生~

 山内かえでの葬儀を終え、新市街へと戻る車内は、耳が痛くなるほどの静寂に包まれていた。

 窓の外を流れる景色は、旧市街の泥混じりの雪から、白亜のビル群へと無機質に切り替わっていく。五歳の瑠璃は、後部座席で自らの指先に残る微かな線香の匂いを、何度も確かめるように嗅いでいた。それは彼女が『不純物の世界』から持ち帰った、目に見えない唯一の戦利品であり、師の魂の欠片そのものだった。


 本邸に到着した瑠璃を待ち構えていたのは、案の定、姉・翡翠の金切り声だった。


「パパ! ママ! 瑠璃がまた勝手にいなくなったのよ! きっとまたあの汚い場所に行ってたんだわ! 早く瑠璃を叱って、二度と外に出られないようにして!」


 翡翠は、瑠璃がいなくなったことで自分が受けた『心配(苛立ち)』を、最大限に増幅させて両親に訴えていた。彰と菫は、戻ってきた娘への安堵と、繰り返される脱走への怒りが混ざり合った、酷く退屈な『親』の表情で瑠璃を迎え入れた。


「瑠璃! どこへ行っていたんだ! お前の安全のために、これほどの警備を敷いているというのに!」


 彰の怒声がホールに反響する。だが、瑠璃はその怒りを、まるで通り抜ける風のように平然と受け流した。彼女はゆっくりと、自分を指差して喚き散らす翡翠の前へと歩み寄った。翡翠は、妹の無表情なアメジストの瞳に本能的な恐怖を感じて一瞬怯んだが、すぐにまた『被害者』を演じるための涙を溢れさせた。


「なに、その目! 瑠璃が勝手なことしたのが悪いのに、なんでそんな偉そうなのよ!」


 だが、その瞬間。五歳の瑠璃の喉から、熱いマグマのような、それでいて冬の月光のように冷ややかな言葉が溢れ出した。


「……見苦しいぞ、姉よ。その涙には、一滴の真実も、何のルーツも存在せん」


 一瞬にして、世界の時間が止まった。

 翡翠の泣き声がピタリと止まり、彰も菫も、まるで得体の知れない神格を前にしたかのように、その場に縫い付けられた。五歳の少女の口から発せられたのは、山内かえでが使っていた、あの古風で、重厚な響きを帯びた『老人の言葉』だった。


「瑠璃、お前……その話し方は、一体……?」


 彰が震える声で尋ねる。瑠璃は父すらも鑑定の対象として見据え、絶対的な重圧を伴って言葉を重ねた。


「姉よ。そなたはわしの身を案じて泣いているのではない。わしが家のルールを破ったことを盾に、父たちの関心を自分に向けさせ、わしを貶めたいという『卑俗な欲求』に突き動かされているだけじゃ。……その汚い欲望を隠すために、涙という安っぽい不純物でデコレーションを施す。……その浅ましい魂の形こそが、この美しい部屋で唯一の『ゴミ』じゃ。不純物にも、極上と下等があるということが、まだ分からぬか」


 翡翠は、もはや泣くこともできず、ただガタガタと震えていた。五歳の妹から放たれる、圧倒的な知性と『得体の知れない誰か』の気配。彰も菫も、駆け寄って娘を叱りつけることすら忘れていた。そこにいたのは、自分たちが『守るべき子供』ではなく、自分たちの人生の欺瞞や隠された意図をすべて見透かし、裁定を下す『君主』そのものだったからだ。


「わしは、わしの内側にある『手ぶらの鑑定書』だけを信じることに決めたのじゃ。……父よ、母よ。この家は完璧すぎて、死んでおる。わしはこれから、この街に眠るあらゆる『ありえない不純物』を暴き出しにいく。……彼女のルーツを、わしがこの身で継承するために」


 瑠璃は、深々と頭を下げた。それは決別と、新たなる君主としての戴冠の儀式だった。彼女はそのまま、呆然と立ち尽くす家族の間を、優雅な足取りですり抜けていった。


**


 旧校舎の図書室。

 西日に照らされた埃が金色の粒子のように舞う中、如月さんは語り終え、手元のぬるくなったダージリンティーを静かに一口啜った。


 僕は、対面の椅子に座ったまま、石像のように固まっていた。

 眼鏡の奥で、喉の奥が熱い。視界が滲んでいるのを自覚していたけれど、それを拭うことさえ忘れていた。声を上げて泣くことなんて、到底できなかった。如月さんが語った『ルーツ』のあまりの重みが、あまりにも深く、あまりにも気高く、僕の心臓を直接掴んで離さなかったからだ。


「……それが、如月さんの。……言葉と鑑定士のルーツ、だったんですね」


 僕の声は、自分でも情けないほどにかすれていた。

 これまで僕は、彼女のあの独特な話し方を『お嬢様の変わった趣味』だとか『威厳を保つためのポーズ』だとか、そんな薄っぺらな解釈で済ませていた。彼女が五歳のあの時から、たった一人でかえでさんの魂を背負い続けてきたなんて、想像することさえできなかった。


 完璧すぎる如月家という檻の中で、彼女はたった一人で『不純物の真理』を守り抜いてきたのだ。かえでさんが遺した『手ぶらの鑑定書』を、その歪で、それでいてこの上なく気高い言葉遣いの中に閉じ込めて。


「……左様じゃ。この話し方は、わしにとっての『鑑定書』の一部に過ぎん。……サクタロウ。そなたのような、どこにでもおる退屈な人間には、少しばかりつまらない昔話であったかのう?」


 如月さんは、いつものように傲岸不遜な態度で、僕を突き放すように言った。

 けれど、逆光に照らされた彼女の瞳の奥に、僕は見た気がした。旧市街の古い家屋で、傷物のメロンを『美味しい』と言って笑っていた、孤独で気高い幼い少女の影を。


「……つまらないなんて、そんなわけないじゃないですか」


 僕は眼鏡を外し、掌で乱暴に目を拭った。

 泣き叫ぶのは如月さんの美学に反する。だから僕は、必死にこみ上げるものを堪えて、彼女を真っ直ぐに見据えた。


「如月さん。……僕、やっと分かった気がします。貴女が、街の変なガラクタに首を突っ込む理由が。……あなたは、世界が切り捨てていく『愛おしい歴史』を、たった一人で拾い集めてるんですね。たとえ誰に理解されなくても」


 僕の言葉に、如月さんはほんの一瞬、虚を突かれたように目を見開いた。

 そしてすぐに、ふっと目を伏せて、いつものように鼻で笑った。


「……フン。そなたにしては、なかなかの鑑定結果じゃのう。じゃが……わしはただ、極上の不純物が、ただのゴミとして処理されるのが我慢ならんだけじゃ」


 図書室に、再び沈黙が訪れる。

 けれど、それは物語を始める前のような、冷たい静寂ではなかった。埃っぽい空気の中に、確かな熱が混じっている。

 僕は、静かに椅子から立ち上がった。


「如月さん。……かえでさん、きっと笑ってますよ。貴女が、こんなにも立派な……最高に偏屈で、最高にかっこいい『絶対君主』になったことを」


「……不敬じゃぞ、サクタロウ。その『偏屈』という評価は、鑑定に不要な主観じゃ。……じゃが、悪くない主観ではあるな」


 如月さんは言い返したが、その口元はどこか穏やかだった。

 彼女は空になったティーカップを机に置き、窓の外に広がる月見坂市の景色を見つめた。新市街の白亜のビル群、およびその影に沈む旧市街。

 かえでさんはもういないけれど、彼女が五歳の少女に託した言葉は、今もこうして、僕の胸をどうしようもないくらいにかき乱し、熱くさせている。


「……さあ、行くぞ、サクタロウ。日が暮れる。……わしの喉も、これ以上の自分語りは真っ平じゃからのう。次は、そなたに泥臭いルーツを拾い集めてきてもらわねばならん」


 如月さんは、まるでお伽話の王女様のような優雅な仕草で席を立った。

 僕は、その後ろ姿を、もう以前のような困惑や恐れではなく、限りない敬意と、言葉にできない愛おしさを込めた目で見守っていた。

 

 旧校舎の図書室を出て、軋む廊下を歩く二人の足音。

 それは、十九年前の冬の夜から今日まで、如月瑠璃という一人の女性が繋ぎ止めてきた、極上の不純物たちの、終わらないルーツの響きだった。


 夕闇が迫る廊下。

 僕は如月さんの斜め後ろを、いつもの一定の距離を保ちながら歩いた。

 

 彼女の言葉が、僕の中で静かに反芻される。

【モノにはすべて、血の通った歴史がある】

 

 今日、僕は『如月瑠璃』という、世界で最も極上で、最も不純な『人間』のルーツに触れた。

 それは、図書室で見つけるどんなガラクタよりも重く、僕のこれからの人生を決定づけるような、特別な鑑定書だった。

 

 窓から見える月見坂市の空には、一番星が静かに瞬き始めていた。



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