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04.夫婦? いいえ、ビジネスパートナー



 朝。

 小鳥のさえずりと共に目覚めたリリアナは、まず自分の腹部にのしかかる「重量物」の存在を確認した。


「……閣下。起きてください。朝ですよ」


 リリアナが声をかけると、重量物は不満げな声を漏らし、さらに強くリリアナに抱きついた。

 重量物の正体は、この屋敷の主であるジークフリート公爵だ。

 彼はリリアナが作った『雲』の抱き枕を抱えつつ、その長い手足でリリアナ自身もまとめてホールドしている。

 まるで、巨大なタコが獲物を捕獲しているようだ。


「……あと五分。いや、一時間……」


(つらがいい男に、ぎゅっとされて、世の女性なら赤面必至だろうけど。私はそうはならないのよね)


 なにせリリアナは、初夜にこのジークフリートから「君を愛することはない」と言われているのだ。


(私も別に聖人君子じゃあないし。愛することはないって言ってる人を愛してあげるほど、お優しい性格はしてませんよっと)


 最近態度は豹変してきてはいるが、初手から絶縁宣言をしてきた人間を、すぐに「好き」となるわけがない。

 リリアナは冷めた瞳で見下ろした。


「貴方、仕事でしょう。騎士団長が寝坊とか笑えませんよ」


「……辞める。今日から私はリリーの抱き枕として生きる……」


(いつの間にかリリーとか呼ぶようになってるし)


 普通の令嬢なら、「愛称で呼ばれるようになったわ、仲が深まったのね」と頬を染めるだろう。

 しかし、リリアナは冷たい眼差しを夫に向けるだけだ。


「はいはい、寝言は寝て言ってくださいね」


 リリアナは容赦なく魔力を帯びた指先を、彼の寝間着に乗せる。


【冷】


 彼女は指先で、魔法文字――『漢字』を描く。

 リリアナ独自の【付与魔法】だ。

 通常、この世界の付与魔法は、複雑な幾何学模様と長いルーン文字を刻む必要がある。

 だが、リリアナの魔法は違う。

 意味の圧縮された「漢字」を使うことで、わずか二画、一瞬で強力な概念を固定する。

 書き終えた瞬間、パキィンという幻聴が聞こえそうなほどの冷気が発生した。


「ひゃうっ!?」


 情けない悲鳴を上げて、国最強の魔術師が飛び起きる。

 彼は涙目でリリアナを睨んだが、リリアナは涼しい顔でカーテンを開けた。


「おはようございます、閣下。さっさと着替えて出ていってください」


「……鬼」


 ジークフリートはブツブツと文句を言いながらも、のろのろとベッドから這い出した。

 ここ数日、彼は毎晩のように離れへやってきては、こうして朝まで居座るのが日課になっていた。

 最初の頃の「氷の公爵」という威厳は見る影もない。

 今の彼は、リリアナという「安眠バッテリー」がないと起動しない、ただのダメ人間だった。


     ◇


 ジークフリートを仕事へ(物理的に背中を押して)送り出した後。

 リリアナは机に向かい、新たな魔道具作りに勤しんでいた。

 手元にあるのは、肌触りの良いシルクの布で作ったアイマスクだ。


「やっぱり、現世はお金よね」


 リリアナは独りごちる。

 現在の生活は快適だ。

 衣食住は保証されているし、作成した魔道具(湯たんぽやこたつ)のおかげで冬の夜も暖かい。

 だが、リリアナは知っている。

 「永遠」などないことを。

 いつジークフリートの気が変わって「やっぱり出ていけ」と言われるか分からないし、あるいは彼に新しい愛人ができて追い出されるかもしれない。

 その時、頼りになるのは「貯蓄」のみだ。


「手に職、そして貯金。これが老後の安泰への最短ルート!」


 なお、ジークフリートに一生養ってもらう、という気持ちは微塵もなかった。


(彼、今ちょっと脳みそがバグっているみたいだけど、そんなの一過性のものに決まってるわ。そのうち冷めるでしょ。望むところよ)


 別にあの男に愛されなくても、リリアナはまったく問題なかった。

 リリアナは気合を入れると、指先に魔力を集中させた。

 今回付与する漢字は二つ。

 じんわりとした温かさを生む『温』。

 そして、適度な湿り気を生む『蒸』。


「よし、合成!」


 リリアナが指を振るうと、二つの文字がアイマスクに吸い込まれた。

 とたん、アイマスクからふわりと白い湯気が立ち上る。

 熱すぎず、ぬるすぎない、絶妙な温度。

 現代日本でOL時代に愛用していた「ホットアイマスク」の完全再現だ。


「完璧! これなら消耗品として売り出せるし、リピーターもつくはず!」


 リリアナが試作品の完成にガッツポーズをした、その時だった。

 バンッ! とドアが開いた。


「ただいま、リリー!」


「早っ!?」


 リリアナは目を丸くした。

 まだ昼過ぎだ。

 ジークフリートは息を切らせて立っていた。

 その顔には「早くリリーの部屋の空気を吸いたい」という禁断症状が出ていた。


「早退してきた」


「仕事してください」


 ジークフリートは当然のようにリリアナの隣に座り込む。

 そして、机の上のアイマスクに目を留めた。


「なんだ、それは」


「……はぁ。あ、そうだ。ちょうどいいところに実験台が。閣下、ちょっと横になってください」


 リリアナは彼をソファーに誘導し、強制的に寝かせた。

 そして、完成したばかりのホットアイマスクを彼の目に装着する。


「……む?」


 ジークフリートが身じろぎした。

 だが、すぐにその力が抜けていく。

 目元を包み込む蒸気の温かさが、酷使された彼の視神経を優しく解きほぐしていくのだ。


「……ああ……これは……いい……」


 口元がだらしなく緩む。

 魔力過多による眼精疲労に悩む彼にとって、それは極上の癒やしだった。


「どうですか? 疲れ目に効くでしょう?」


「……最高だ。脳が溶けるようだ……」


「でしょう? これ、量産して商会に卸そうと思うんです」


 リリアナが何気なく告げた言葉に。

 ジークフリートが、バッと跳ね起きた。

 アイマスクがずり落ち、その下の瞳が鋭くリリアナを射抜く。


「……なんだと?」


「え、ですから、これを商品として売ろうかなって。結構いい値段で売れると思うんですよね」


 リリアナが説明すると、ジークフリートの顔色がみるみる変わっていった。

 蒼白になり、次いで焦燥に歪む。


「なんで売る? 金ならあるだろう」


 彼はリリアナの肩を掴み、詰め寄った。


「私の資産は膨大だ。君が使い切れないほどの予算も渡しているはずだ。なぜ商売などする必要がある」


「貯蓄ですよ。何があるかわからないし」


 リリアナはキョトンとして答える。

 人生何が起こるか分からない。

 突然の離婚、実家の没落、あるいは国が滅ぶかもしれない。

 そんな時、自分個人の資産があれば安心だ。

 しかし、その言葉は、ジークフリートのネガティブな思考回路を爆走させる引き金となった。


(何があるか分からない……? 貯蓄……? つまり、将来的にここを出ていくための資金作りか!?)


 ジークフリートの中で、警報が鳴り響いた。

 リリアナは「愛することはない」と言われたことを根に持っている。

 今は衣食住の契約で繋ぎ止めているが、彼女が経済力を持ってしまえば、自分というスポンサーは不要になる。

 そうすれば、彼女はこの狭い離れを出て、どこか遠くへ行ってしまうかもしれない。

 他の男に、この極上のアイマスクをつけてやるかもしれない。


(だめだ!)


 想像しただけで、吐き気がした。

 彼女の魔道具を使うのは、私だけでいい。

 彼女が頼るのは、私の金だけでいい。


「だめだ!」


 ジークフリートは叫んだ。


「? なんでですか」


「とにかく駄目だ!」


 子供のような理屈だった。

 リリアナが呆れたように眉を寄せる。


「理由になってませんよ。いいお小遣い稼ぎになるのに……」


「金なら私が払う!」


 ジークフリートは懐から革袋を取り出し、机に叩きつけた。

 ジャラッ、と重たい音がする。

 中から溢れ出たのは、最高級の白金貨だった。


「そのアイマスク、私が全在庫を買い取る! 一つにつき金貨一枚だそう!」


「……は?」


 リリアナの手が止まる。

 金貨一枚。

 それは、現実の価値で言えば1万円だ。


「い、いや、さすがにそれは……」


「不足か!? なら倍だ! 今後君が作る魔道具は、全て私が言い値で買い取る! だから外商は許さん! 絶対にだ!」


 ジークフリートは必死だった。

 金で縛れるなら、いくらでも払う。


(彼女が自立など考えないように、甘やかして、依存させて、私の元から離れられないようにしてやる)


「まあ……いっか。いいですよ。契約成立です」


 リリアナは即答し、金貨を回収した。

 リリアナはホクホク顔で金貨を数え、ジークフリートは「これで彼女は出ていかない」と安堵の息を吐く。


 側から見れば、ただ夫が妻に法外な貢ぎ物をしているだけだが、二人の利害は奇妙な形で一致していた。


 ジークフリートは、リリアナが自分を見てくれているだけで満足だった。

 たとえその瞳に映っているのが、自分ではなく金貨だとしても。

 氷の公爵の堕落は、止まるところを知らない。

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― 新着の感想 ―
面白い!続きが楽しみ〜♪
結局資金を与えてしまってるの普段の寝不足が祟ってんなぁ。
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