37.魔力消費ゼロの奇跡と、拒まれない抱擁
離れの庭。
ポカポカとした陽気の中、リリアナは寝不足の目を擦りながらも、誇らしげに胸を張った。
「できたわ。ついに完成よ。『精霊翻訳・使役ブローチ(仮)』ね」
リリアナはジークフリートの胸元に、青い宝石が埋め込まれたブローチをコツンと押し当てた。
ジークフリートは目を輝かせ、その小さな魔道具を見下ろす。
「おお! これが深夜まで君が作ってくれていたという魔道具か! 使い方はどうするんだ?」
「これに向かって、してほしいことを喋りなさい。ピンマイクみたいに、音声入力で大気中の精霊に直接命令が伝わるわ」
「声を出すだけでいいのか? 詠唱も、魔力を練る必要もなく?」
「ええ。そこにある丸太に向かって試してみて」
ジークフリートは半信半疑のまま、庭の端に置かれた的用の丸太に右手を向けた。
「……『火を放て』」
ゴォォォォッ!!
すさまじい爆炎が巻き起こった。
魔法陣すら展開されず、虚空から突如として発生した火柱が、一瞬にして太い丸太を灰の山へと変える。
凄まじい熱波が、庭の草花を大きく揺らした。
「なっ!? なんだ今の威力は! それに、私の体内の魔力が全く減っていないぞ!?」
ジークフリートが驚愕のあまり、大きくのけぞる。
無詠唱、かつ高威力。
何よりも異常なのは、術者の魔力を一切消費していないことだ。
「当然よ。これはあんたの魔力じゃなくて、そこにいる『火の精霊』が勝手に魔法を撃ってくれただけだもの。つまり、魔力消費ゼロで魔法が撃ち放題ってわけ」
リリアナはふふんと勝ち誇ったように鼻を鳴らした。
自身の魔力を使わず、声だけで周囲の環境に干渉する。
それはもはや、規格外のアーティファクトと呼ぶべき代物だった。
「すごすぎるぞ、リリー!! 君は天才か!!」
「ひゃっ!?」
ガバッ!
ジークフリートは感動のあまり、リリアナを力強く抱きしめた。
突然のハグに、リリアナの顔がゆでダコのように真っ赤に染まる。
「ちょ、ちょっと! 離しなさいよ、暑苦しい! バカ、犬!」
リリアナは頬をいっぱいに膨らませ、口ではいやいやと文句を言いながら、ポカポカと彼の広い胸を叩く。
しかし、以前のように本気で突き飛ばしたり、魔法でカニの殻を顔面に飛ばしたりはしない。
抵抗は明らかに弱く、彼女の体はジークフリートの腕の中にすっぽりと収まっていた。
実質、その抱擁を甘んじて受け入れている状態だ。
そんな平和で甘い光景を、離れの窓から見つめる影があった。
「殺……キル……」
ルナである。
彼女の瞳から完全にハイライトが消え去っていた。
手にはいつの間にか、凶悪な輝きを放つミスリル包丁が握られている。
主様の尊いデレを引き出したあの男が、そして主様を骨抜きにしつつある現状が、彼女にはどうしても許せなかった。
ギリギリと歯ぎしりをするルナの足元で、ポチがやれやれとため息をつく。
「ワフ、ワフン(大人になれよ、ルナ嬢。ボスが幸せそうならそれでいいじゃねぇか)」
「黙りなさい駄犬。あの男の脛を削ぎ落としてから考えます」
ポチの冷静な諭しも、今のルナの耳には届かない。
庭では抱き合って騒ぐ夫婦。
窓辺では殺意を滾らせるエルフのメイドと、呆れ顔のフェンリル。
かくして、ジークフリートの命は、常に薄氷の上に成り立っているのだった。




