30.カニの殻剥きと、勘違いの愛
ジークフリートが遠征から帰還した夜。
離れのリビングには、湯気を上げる巨大な「カニ鍋」が鎮座していた。
「ただいまリリー! 君の指示通り、最高の状態で持ち帰ったぞ!」
「ええ、ご苦労さま。鮮度は完璧ね」
コタツの上には、茹で上がった「北海エンペラークラブ」の赤い巨体が輝いている。
脇にはポン酢、薬味、そしてジークフリートが土産に買ってきた銘酒『極東酒』が並ぶ。
完璧な布陣だ。
「いただきます」
全員で手を合わせ、カニに食らいつく。
だが、すぐに食卓を沈黙が支配した。
カニを食べる時特有の、あの「無言の作業時間」である。
「ぬぐぐ……! さすがエンペラー級、装甲が硬い……!」
ジークフリートが顔をしかめた。
伝説の魔物だけあって、殻の強度が鋼鉄並みなのだ。
ハサミを入れても刃が欠けそうになり、無理に割ろうとすれば中の身が潰れてしまう。
「……めんどくさ」
リリアナが箸を置いた。
美味しいものは食べたいが、そのために苦労するのは嫌いだ。
「やってらんないわ」
彼女はカニの足に向かって、指先を軽く振った。
空中に魔法文字が走る。
『脱殻』
『分離』
『排出』
その瞬間だった。
スポーン!!
小気味よい音と共に、カニの足の先端から、赤い薄皮を纏ったプリプリの身だけが飛び出した。
まるでチューブから押し出されたように、傷一つない完璧な棒肉だ。
「おおっ! カニが! 中身だけ飛び出した!?」
ジークフリートが目を丸くする。
「素晴らしいです主様。これなら殻を割る手間も、身を崩す心配もありません」
ルナが感嘆の声を上げた。
「ん、うま」
リリアナは飛び出した身をパクついた。
口いっぱいに広がる濃厚な甘みと、極東酒の芳醇な香り。最高だ。
彼女は次々と魔法を行使する。
スポーン! スポーン!
「ほら、ルナもポチもお食べ」
「ありがとうございます」
「ワフッ!(うめぇ!)」
リリアナは剥いた身を二人の皿へ飛ばしてやる。
だが、ジークフリートには飛ばさない。
彼はまだ、ハサミと格闘し、ミリ単位で殻に切れ目を入れている。
「(……あー、見ててイライラする)」
リリアナは無言で、剥いた身の一つをジークフリートの皿に『スポーン』と飛ばした。
「! リリー……!」
ジークフリートが顔を輝かせた。
「くれるのか!?」
「別に。飛んでっただけ」
リリアナはそっけなく答え、自分のカニを咀嚼した。
ジークフリートは貰った身を噛み締め、ふっと表情を緩めた。
「……やはり、ここが一番温かいな」
「は? コタツだからでしょ」
「いや、そうじゃない。北の極寒に比べれば、君のいるこの場所は……」
彼はリリアナを熱っぽい瞳で見つめた。
「ふん。キザなこと言わないで。だからって、あんたに優しくとかしないからね」
リリアナは照れ隠しのように、さらに魔法を連射した。
スポーン、スポーン、スポーン!
皿の上に、カニの身が山積みになっていく。
「……あー。カニ食べ過ぎて飽きてきたわー」
リリアナは箸を置いた。
どんなに美味しいものでも、量があれば飽きる。
「あんたもこっち、私が剥いたの。処理手伝って」
彼女は山盛りの剥き身(一番美味しい爪の部分など)を、ジークフリートの前にドンと置いた。
名目は「残飯処理」だ。
「おお! いいのかー! 君が剥いてくれたものを!」
だが、ジークフリートの解釈は違った。
妻が夫のために、面倒な殻剥きを代行してくれた。これは愛の奉仕だ。
「ありがとー! リリー! 愛してるぞー!」
「別にあんたのためじゃないし。優しくしてないし。ただの廃棄処分だし」
「ワフン(素直になれよ)」
「チッ」
ポチがニヤニヤし、ルナが盛大に舌打ちをした。
主様があの駄犬と仲良くするのが、ルナにはどうしても面白くないらしい。
「リリー! 君の愛を受け止めるぞ!」
ジークフリートが感極まって抱きつこうと身を乗り出した。
その顔は、とろけるような笑顔だった。
「きしょー」
リリアナは心底嫌そうな顔で呟くと、魔法で空のカニ殻を操り、ジークフリートの顔面に『装着』させた。




