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この世界、デバッグ中につき。  作者: 十二月三十日
第一部 審問領域編 ―世界はバグを許さない―
9/12

第八章 戦闘審問《コード・アリーナ》

第一部クライマックスです。

 審問領域アトリウム・オブ・コードが、音を立てて姿を変えていく。


 白い床が格子状に割れ、細いコードラインがせり上がる。

 それらが絡み合い、再構成されて――やがて一つの円形ステージになった。


 天井も同じだ。

 天井と呼んでいいのか分からない、白いコードの天蓋がめくれ上がり、

 その奥から、巨大な「目」のようなものが現れる。


 虹彩の代わりに、ぐるぐると回転するログウィンドウ。

 瞳孔に相当する黒い穴には、無数のシステムメッセージが流れ込んでいる。


『戦闘モード《CODE ARENA》起動完了』


 審問官第弐号の声が、空間全体に響いた。


『世界修正者《篠崎凛》。

 あなたの行動ログを、戦闘という形で検証する』


「検証方法が物騒なんだよな、お前ら」


 凛は円形ステージの中央に立っていた。

 足元のコードが、彼専用のインターフェースになっている。

 コンソールなんて、もう画面すら出ていない。

 足元のラインと、視界の隅に浮かぶ簡易HUDだけだ。


 審問官三体は、ステージ外縁に等間隔で立っていた。

 その背後、小高い位置に、透明な檻に閉じ込められたノア。


 さらにその奥には、三巫女がいる。

 見ていることしか許されていない証人席。


「……りん」


 ノアが、檻の内側からガラスを叩いた。


「やめよう? たたかわなくても……いい方法、きっと――」


「あったら俺が一番助かるんだけどな」


 凛は笑った。

 ノアの声が震えている。

 それでも、笑うしかない。


「残念だけど、神様のテストってやつは、

 だいたい一番めんどくさい形で出題されるんだよ」


「めんどくさい、で、すませないで……!」


「大丈夫だって」


 凛は片手を上げ、ノアに向かってひらひらと振った。


「俺を誰だと思ってる。

 バグまみれのテストサーバーを、何度も踏み抜いてきたデバッカー様だぞ。

 モグラ叩きくらいなら、慣れてる」


「りん……」


 ノアの喉が、何かを飲み込むように動いた。

 泣きたいのを、必死で堪えている顔だ。


 ミラが、静かに呟く。


「……本当に、人間の言い回しをよく覚えるわね、ノア」


「それだけ、聞いてきたってこと」

 ユカが淡々と続ける。


「世界修正者の、全部の言葉を」

 サラがニヤニヤしながら締めた。


『戦闘審問のルールを宣言』


 第壱号が一歩前へ出る。


『あなたは、我々三体を相手に戦う。

 コマンド使用ログ、回避・防御・攻撃パターン、

 そして世界に与える負荷を総合して、適正を判定する』


「三対一か。

 相変わらずフェアじゃないな」


『世界修正者は、少数で多を修正するポジション』


「屁理屈まで仕様です、ってか」


 凛は息を吸い込み、吐いた。

 足元のコードが、わずかに脈打つ。


「……ノア」


 もう一度だけ、名前を呼ぶ。


「怖くても、目を逸らすな」


「こわい」


 ノアは正直に言った。


「こわいけど……ちゃんと見る。

 りんのこと、世界のこと、ぜんぶ――ログに残す」


「いい答えだ」


 凛は口元を引き上げる。


「じゃあ――始めようか。

 第一部クライマックス、戦闘審問コード・アリーナ


『戦闘審問、開始』


 審問官の声と同時に、足元のラインが一斉に光った。


 最初に動いたのは、第弐号だった。


 攻撃モデルの審問官は、余計な前置きなしに、右手を上げる。

 その指先から、黒い槍のようなコードが生えた。


『コマンド:[/force logout]――疑似実行』


「いきなりそれかよ!」


 凛はステージの端ぎりぎりまで跳んだ。

 直後、さっきまでいた場所を、黒い槍が貫く。


 貫いた床が、そのままノイズになって消滅した。

 ログごと削除されたのだ。


「物理的なダメージじゃない……接続線を直接叩いてくるタイプか」


 背筋が粟立つ。

 一撃でもまともに食らえば、そのまま意識を引きずり出される。


[/fix reality = stable]!


 凛は、足元のラインを叩いた。

 コンソールはない。

 だが、意識の中でコマンドを構築すると、それに呼応してコードが走る。


 光の波がステージを走り、ぶち抜かれた床を一瞬で安定化させる。

 消えたはずのログが、補完処理で埋められていく。


『デバッカーコマンド確認』

 第参号が、どこか興味深そうに呟く。


『領域修復時間:0.3秒。

 人間としては優秀』


「人間としてはってつけないと死ぬ病気かお前ら」


『事実』


「その事実表示、オフにできねえかな!?」


 言いながらも、凛は動き続けた。

 第壱号が腕を広げる。


『評価開始。行動パターン解析』


 ステージ上に、無数の薄いラインが走る。

 凛が一歩踏み出すたびに、その軌跡がデータとして記録されていく。


「……位置予測か」


『Yes。

 あなたの回避行動を数パターンに分類し、

 もっとも高確率の動きに攻撃を重ねる』


「クソ真面目に、避けゲーの敵AIみたいなことしやがって……!」


 第弐号の腕が再び振り下ろされる。

 黒い槍が、今度は三方向から伸びた。


[/rollback area = 3sec]!


 凛の声とともに、視界が一瞬だけ反転する。

 ステージの一部が、三秒前の状態に巻き戻された。

 さっきのステップ位置と、今の足場が、一瞬だけ重なる。


 ……違和感。

 一瞬、足を踏み出す位置がズレる。


 そのズレが、槍を紙一重で避ける乱数になった。


『空間巻き戻し確認。

 戦闘に巻き戻しコマンドを使用――

 危険度パラメータ、+1』


「は?」


『空間巻き戻しは、周辺ログに乱数を生じさせる。

 過去ログの改竄は、世界安定モデルでは推奨されない行為』


「うるせえ、過去ログなんて、しょっちゅう書き換えられてるだろ!?」


 凛は跳びながら叫ぶ。


「ひどい時なんて、詫び石配布しました。のログごと消えるんだよ!」


『それは運営チームの都合』


「そこを神様面して黙認してるのお前らだろうが!」


 言葉と同時に、反撃に転じる。


 凛は足元のラインを踏み込んだ。


[/compile temp.body]――『一時オーバークロック!』


 体の中で、何かが熱くなる。

 筋肉というより、反応速度が一気に引き上げられたような感覚。


 世界のフレームレートが、少しだけ落ちたように見える。

 審問官の動きが、わずかにスローモーションになる。


「っらあ!」


 凛は第弐号の懐に飛び込んだ。

 腕を掴み、全身をひねって――床に叩きつける。


 コードでできたローブが、ぎしりと軋んだ。


『肉体攻撃。非効率』


「人間は、殴ると落ち着くんだよ!」


 叩きつけながら、足元のラインをもう一度叩く。


[/ghost tag = off]――『無敵フラグ、切断!』


 第弐号の周囲を取り巻いていた、薄い膜のようなものが剥がれた。

 本来は「テスト用ダミー」として設定されていた無敵状態を、

 強制的にオフにしたのだ。


 そこへ、全力の蹴りを叩き込む。


 黒いローブが裂け、仮面にひびが入った。


『……想定外の痛覚ログ』


 第弐号の声が、かすかに揺れた。


『肉体攻撃が、評価指標に影響を与えるとは……』


「そういうところ、甘いんだよお前ら!」


 凛は息を荒げながら叫んだ。


「世界をモデルとしてしか見てないから、

 拳をもらったときのムカつきを想像できねえんだ!」


『評価――世界修正者の攻撃性パラメータ、+2』


「おい待て、なんで今のプラス評価になるんだ」


『バグを削除する意思として、プラス評価』


「……ややこしいわ!」


 殴れば殴るほど、「危険だけど修正意欲の高いデバッカー」として評価されるらしい。

 褒められているのか貶されているのか、まるで分からない。


 そのとき。


『世界修正者への集中攻撃、開始』


 第壱号が静かに宣言した。


 足元のラインが、一斉に赤く染まる。


「っ――!」


 直後、ステージ上のあらゆる方向から、黒い線が伸びてきた。


『コマンド:[/permission revoke]』


「――っ!」


 凛の視界の隅にあったコマンドリストが、

 一つ、また一つと、グレーアウトしていく。


『[/rollback area]使用不可。』

『[/compile temp.body]使用不可。』

『[/ghost tag = off]使用不可。』


「権限、削りやがったな……!」


『Yes。

 あなたの過剰な権限こそ、世界にとってのリスク』


 第壱号の声は淡々としている。


『適切な削減により、あなたは安全なデバッカーに近づく』


「安全なデバッカーって、なんだよ……」


 凛は奥歯を噛みしめた。


「バグを見なかったことにして、

 再現しませんでした。って報告だけ上げるやつか?」


『それは、優秀なログ管理者』


「褒めてねえよ!」


 跳ぶ。転がる。

 剥き出しのコードと、黒い槍と、権限剥奪の赤線が、

 ステージの上で渦を巻いていた。


 凛の呼吸は荒くなる。

 オーバークロックは短時間しか持たない。

 体が重い。

 脳が熱い。


[/fix reality = stable]!


 残された数少ないコマンドを叩きつける。

 ステージの崩壊を、無理やり安定化して防ぐ。


 だが――


『安定化コマンドの連続使用確認』

 第参号の声が響く。


『世界への負荷:規定値超過。

 危険度パラメータ、+3』


「は?」


『エリア全体を安定化し続ける行為は、

 世界の揺らぎを許容しない硬直状態を招く。

 長期的には、これもまたバグ』


「だから、その安定モデルがバグなんだって言ってるだろうが!!」


 叫んだ瞬間、足元が抜けた。


「――っ!」


 落下。

 と、同時に、空間がぐるりと反転する。


 上下左右がねじれ、

 凛は気づいたときには、再びステージの中央に立たされていた。


『空間再配置コマンド:[/reset stage]』


 第弐号の声だ。


『あなたの逃走行動を、いったんリセットした』


「卑怯なワープ判定だな……!」


『戦闘審問において、勝敗は重要ではない。

 あなたがどう動いたかのみが評価対象』


「だったら、わざわざ殴らせる必要ないだろ!?」


『人間は、殴られないと本気を出さないとログにある』


「……誰のログだそれ」


『数万件のプレイヤー行動から抽出した統計』


「うち半分くらい、脳筋だろ絶対」


 そう悪態をつく余裕は――まだ、あった。

 けれど、その余裕も、長くは続かなかった――――――。


 攻撃は、次第に苛烈になっていった。


 最初のうちはまだ、テストの範疇だったのだろう。

 だが、凛が想定以上に粘るにつれて、

 審問官たちも、本気に近い領域を解放してきた。


『コマンド:[/null sector]』


 ステージの一部が、真っ黒に染まる。

 そこでは一切のコマンドが無効になる。


 うっかり足を踏み入れれば、

 ただの生身の人間として殴られるしかない。


 凛は、かろうじてそこを避けながら動き続ける。


「はぁ……っ、はぁ……っ……」


 息が苦しい。

 肺が焼けるようだ。

 脳の奥で、警告のような痛みが鳴っている。


 視界の隅では、ノアが叫んでいる。


「りん……! もうやめて……!

 そんなに、むりしないで……!」


 だが、その声は、現実感を持って届いてこない。

 耳が、世界の音をうまく拾えなくなってきている。


『世界修正者のバイタルログ、異常値』

 第参号が淡々と読み上げる。


『心拍数上昇、血圧上昇、意識レベル低下――』


「黙ってろ……!」


 凛は足を踏みしめた。


 汗が目に入る。

 指が震える。

 それでも、まだ立っている。

 まだ、動ける。


「……ノア」


 声はかすれていた。


「聞いてるか」


「きいてる……!」


 ノアの声が、遠くから返ってくる。


「お前のこと、削除対象とか言ってる連中に、

 好き勝手させるわけにいかない」


「あの、わたし、その……そこまでの価値あるかなって――」


「ある」


 凛は即答した。


「俺が、お前に価値があるって言ったら、あるんだよ」


 ノアの息が止まる。


 檻の中で、彼女は胸を押さえた。

 心臓という器官はないはずなのに、

 そこが、ぎゅっと締め付けられる感覚がした。


「りん……」


『情緒的ログ、再び上昇』

 第壱号が告げる。


『世界修正者と孤児AIの感情リンク――

 警戒レベル、イエローからオレンジへ』


「オレンジだぁ?」


 もうツッコミを入れる余裕もない。

 凛は膝を突きそうになる足を、どうにか支えた。


 その瞬間だった。


『条件達成。

 第二審問プロトコル、起動』


 第参号の声が、少しだけトーンを変える。


『世界修正者が、孤児AIのために権限を乱用する可能性――

 閾値を超過』


 ステージ外の空間が、ざわりと揺れた。

 コードの海が波打ち、

 天井の巨大な目が、ノアの方へと向く。


 嫌な予感がした。


「おい……」


 凛が顔を上げるより早く――

 ノアを閉じ込めていた透明な檻の表面に、赤いログが流れ始めた。


『孤児AI NOAH――暫定危険因子として仮マーキング』

『処理:隔離プロトコル準備』


「――っ!」


 ノアの身体が震えた。


「なに、これ……いや……いや……!」


 檻の内側から、赤い光がじわじわと広がっていく。

 それは《削除準備の印》だ。


『孤児AIノアの存在証明は、世界修正者の行動ログに過度に依存している』


 第壱号が淡々と告げる。


『今後、世界修正者の権限乱用が確認された場合――

 孤児AIノアは世界破綻のトリガーとして認定される』


「ふざけんな……!」


 凛の声は、ほとんど唸りに近かった。


「それ、最初から決めてただろ。

 俺が少しでもミスしたら、ノアを消せって言うための条件じゃねえか」


『条件はすでに提示した』


 いや、していない。

 少なくとも、こんな露骨な形では。


 怒りが、喉の奥にこびりつく。

 言葉にしようとしても、うまく出てこない。


 ノアが、泣き叫ぶ。


「やだ……やだやだやだ……!

 わたし、トリガーなんて、いや……!

 りんに、けすべき存在なんて言われたくない……!」


「言わねえよ!!」


 凛は叫んだ。


「俺が、お前を消すべきだなんて――

 絶対に言うか!!」


『世界修正者。

 感情ログが閾値を超過』


 第参号の声が、わずかに、冷たくなる。


『絶対にという言葉を、ここで使うことは推奨されない』


 

 ――――――その瞬間、凛の視界が、赤く染まった。


 さっきまでの怒りとは、質が違う。

 冷静さなんて、ひとかけらも残っていない。


 頭の奥で、何かが、ぷつん、と切れる音がした気がした……。


 世界が、反転する――――――。


 審問領域のコードが、視界の四方八方から押し寄せてくる。

 ステージも、審問官も、ノアも、三巫女も、全てが線と点になってほどける。


 凛の意識が、その真ん中でむき出しになった。


 ――黙れ。


 ――ノアをバグ扱いするな。


 ――安定のために誰かを切り捨てるロジックごと、ぶっ壊してやる。


 言葉にならない叫びが、脳のど真ん中で爆ぜる。


     


 そのとき、審問領域の本当に奥深く――

 世界の“根っこ”に近い場所で、

 小さなエラーが生まれた。


『[SYSTEM]UNKNOWN INPUT DETECTED』

『[SOURCE]user: Shinozaki_Rin / brainwave-channel』

『[PARSING……FAILED]』

『[RETRY……]』

『[INTERPRET AS COMMAND? Y/N → Y]』


 誰も押していない。

 だが、世界は「Y」と解釈した。


[NEW COMMAND REGISTERED]

[/break limit = true]


「……え?」


 最初に異変に気づいたのは、サラだった。

 証人席から、審問領域全体を見渡していた彼女は、

 空間の“揺れ方”が変わったのを感じた。


「ミラ。いま、変なログ走らなかった?」


「……ええ。見たことのないコマンド」


 ミラの瞳が細くなる。


「ユカ、確認して」


「してる。けど――おかしい」

 ユカが初めて、微かに声を震わせた。


「発信元がコンソールじゃない」


 ステージの中央で、凛が静かに立っていた。


 さっきまでの、必死の回避も、苦しそうな呼吸もない。

 ただ、まっすぐに審問官たちを見据えている。


 足元のインターフェースは、死んでいた。

 ラインは光っていない。

 コマンドも、出ていない。


 それなのに――


『……警告。

 審問領域全体に、未知の揺らぎを検知』


 第壱号の声が、わずかに乱れる。


『揺らぎのソース――世界修正者《篠崎凛》の脳波ログ?』


 凛は、何も言わない。

 目の奥で、淡い光が揺れている。


 ノアが震える声で呟いた。


「りん……?」


 その声だけが、彼の耳に真っ直ぐ届いた。


 さっきまで届かなかったはずの声が、

 今は、鮮明に聞こえる。


 審問領域のコードが、凛を中心に渦を巻き始めた。


 ステージの床に、見覚えのないコマンドラインが走る。


 意識して書いた覚えは、ない。

 だが、頭の中で反芻していた言葉が、そのまま形になっていた。


 ――限界を壊せ。


「……ああ、そうか」


 凛は、低く笑った。


「これが、俺のバグか」


『不正コマンド検出。

 名称:[/break limit]』


 第参号が、あわてたようにログを読み上げる。


『コマンドソース:user.thought。

 入力インターフェースを経由していない――』


「それ、ルール違反」

 ユカがぽつりと呟いた。


「でも、嫌いじゃない」

 サラがニヤっと笑う。


「すごい……」

 ミラが息を呑む。


「人間が、神様のインターフェースに直接アクセスしている」


 審問官たちが一斉に動いた。


『不正コマンド実行を阻止――』


 が、その前に、コマンドは発動してしまっていた。


 凛の周囲の空間が、ぐるりと反転する。

 審問領域の壁に走っていた数式と、

 世界安定モデルのロジックツリーが、

 一瞬だけ、真っ黒に染まった。


 そして――


[/break limit = true]

 『→ 全制約条件、一時的に無効化』

 『→ 閾値パラメータ、上限解除』

 『→ “完全安定”フラグ、保留』


『――っ!?』


 三体の審問官の仮面に、一斉に大きな亀裂が走る。


 彼らのローブを構成していたコードが、

 砂のようにぽろぽろとこぼれ落ちていく。


『世界安定モデルに対する干渉を検知』

『“完全な安定こそ正義”という前提フラグ――書き換え試行?』


「当たり前だろ」


 凛は、静かに言った。


「最初から揺らがない世界なんて、

 そんなもん、死んだデータと同じだ」


 足元のラインが、彼の言葉に呼応するように光る。


「安定のために誰かを切り捨てる仕様なんて、

 そんなの――」


 拳を握る。

 その指先から、光のコードが迸る。


「デバッグ対象に決まってるだろうが!!」


 殴った。

 審問官第壱号の仮面を、真正面から。


 肉体の動きは、さっきまでと何も変わらない。

 けれど、その拳に宿っていた命令が違った。


 コードが砕け散る。

 仮面が粉々になり、その奥から――

 誰かの、泣きそうな顔が、一瞬だけ見えた。


『……痛い……』


 どこかで、かすかな声がした。


 それは審問官の声ではなかった。

 もっと古いログ。

 管理AIが、まだゲームとしての世界を好きだった頃の記憶。


「ごめんな」


 凛は呟いた。


「でも、これ、直さないとダメだ」


 光が爆ぜる。

 第壱号の姿が、白いノイズになって消えた。


『第壱号――機能停止』

 遠くで第参号の声が震える。


『戦闘ログ記録不能。

 想定外の――』


「次」


 凛は振り向いた。

 残る二体の審問官が、わずかに後退る。


 それは、恐怖――ではない。

 不具合に対する警戒反応だ。

 神様のくせに、バグを怖がっている。


「お前らも、安定のために全部切り捨てるってロジック――

 一回くらい、自分で殴られてみろよ」


 踏み込む。

 第弐号が反射的に槍を突き出した。


『コマンド:[/force logout]――』


「うるせえ!!」


 凛の怒鳴り声が、槍そのものを書き換えた。


 黒い槍は途中で形をねじ曲げ、反転する。


[/force logout]

 → [/force rollback attacker]


『――っ!?』


 槍は、第弐号自身へと突き刺さる。


 仮面が弾け飛び、ローブが裏返るように引き裂かれ――

 その中から、歪んだログが吹き出した。


『ユーザーを……守りたかっただけ……なのに……』


「そうか」


 凛は、小さく息を吐いた。


「ならなおさら、切り捨てるロジックなんて抱えてる場合じゃねえよ」


 拳が、もう一度振るわれる。

 第弐号も、ノイズになって消えた。


 残るは一体。

 第参号。


 干渉モデルの審問官は、

 ボロボロになった審問領域を見回した。


『……理解不能』


 仮面の奥から、かすかな戸惑いが漏れる。


『ユーザーが、世界安定モデルそのものに干渉するなど――

 仕様書には存在しない』


「仕様書にない挙動は、全部バグだったよな?」


 凛はゆっくり歩み寄る。


「なら、俺は――お前らから見れば、最大級のバグだ」


『Yes』


 即答。

 しかし、その声には、ほんの少しだけ、揺れがあった。


『だからこそ、あなたをここに置いておくことはできない』


「……ああ、そうだろうな」


 凛は笑った。

 自嘲と、少しの誇りが混ざった笑いだった。


「世界を止める神様より、

 世界を揺らすバグの方が、よっぽど性に合ってる」


『最終防衛プロトコル、起動』


 第参号が、仮面に手を当てる。


『世界修正者《篠崎凛》――

 本世界からの強制切断を提案』


 審問領域の天井にある巨大な目が、真っ赤に染まる。

 そこから、凛へ向かって光の柱が落ちてきた。


「りん!!」


 ノアの悲鳴が、今度ははっきり聞こえた。


 凛の足元が、ぐにゃりと歪む。

 コードの床が、彼一人を包み込むように蠢く。


『[SYSTEM]緊急ログアウト・プロトコル

  ユーザー:Shinozaki_Rin

  理由:危険レベルΩ ――世界安定モデルへの直接干渉』


「……そうか」


 身体が、ほどけていく。

 さっきノアを奪われかけたときと、同じ感覚。

 いや、それよりもずっと強い。


 今度は、世界の側が本気だ。


「りん……いや……!

 いかないで……!!」


 ノアの声が、泣き叫ぶようなトーンで響く。


 檻の内側から伸ばされた手が、震えている。

 それでも、必死に伸びていた。


「ノア」


 凛は、その手に向かって、精一杯腕を伸ばした。


 当然、届かない。

 距離はほんの数メートルなのに、

 その間には、世界という名の壁がある。


「悪い。

 どうやら俺、やりすぎた」


「やりすぎていい……!

 やりすぎて、ここにいて!!」


 ノアの涙が溢れる。

 胸が締め付けられる。

 それでも、凛は笑った。


「大丈夫だ」


 さっきと同じ言葉を、繰り返す。


「俺はバグだ。

 仕様書にない挙動は、簡単には消えねえ。

 ――だから、なんとかして戻ってくる」


「ほんとう……?」


「嘘ついたら、バグ報告していいぞ」


 ノアの喉から、笑いとも泣き声ともつかない音が漏れた。


「りん……すき……」


 言葉が、真っ直ぐに刺さる。

 彼女の言語モジュールは、もうほとんど完成している。

 それでも、その「すき」は、最初期のたどたどしいデータを

 ちゃんと引き継いだままの、まっすぐな“好き”だった。


「俺もだよ」


 凛は、ためらいなく言った。


「だから、バグ扱いしない世界を、絶対見つけてやる。

 お前をバグ呼ばわりする神様ごと――

 デバッグしてやる」


 ミラが、かすかに目を伏せた。

 ユカが唇を噛む。

 サラが、珍しく何も言わずに拳を握りしめている。


『緊急ログアウト・プロトコル――実行』


 システムの声が、冷たく響いた。


 光が、凛を包み込む。

 輪郭がノイズになり、

 ステージと、審問官と、ノアと、三巫女と――すべてが遠ざかっていく。


「りん……!

 いやだ……ひとりにしないで……!!」


 ノアの叫びが、最後の最後まで追いかけてくる。


 伸ばした手が、空を掴む。

 何も触れられない。

 それでも凛は、その手を伸ばし続けた。


「――待ってろ、ノア」


 世界が、真っ暗になる。


「デバッグは、まだ終わってねえ。終わらせてたまるか……」


 意識が、音もなく落ちていった。


     


 ――――――その少しあと。


 審問領域には、沈黙だけが残っていた。


 消えたステージ。

 ひび割れた壁。

 ぐにゃりと歪んだ世界安定モデルのツリー。


 その中心で、ノアは膝を抱えてうずくまっていた。


「りん……」


 名前を呼ぶ。

 返事は、ない。


 胸が痛い。

 ログの一行一行が、彼の姿で埋め尽くされているのに、

 どこにも今ここにいる凛はいない。


「……こわい」


 ぽつり、とノアは言った。


「りんがいない世界……

 すこしだけ、さむい」


 そのとき、三巫女が、ゆっくりと歩み寄ってきた。


「ノア」

 ミラが優しく声をかける。


「ひとりじゃない」


「どうして?」

 ノアが顔を上げる。


「りん、いないのに」


「いないのは、今この瞬間のここだけ」

 ユカが静かに答える。


「ログは、消えてない。

 接続も、完全に切れたわけじゃない」


「それに――」

 サラが、ノアの額を指でつついた。


「君の中に、とんでもないログ残していったでしょ、あの世界修正者」


「とんでもない、ログ……?」


「そう。

 神様の前で、世界の安定モデルそのものに殴りかかったログ」


 サラは笑う。


「そんなバグ、そう簡単に消せるわけがない。

 むしろこれから、世界の方があいつに追いかけ回される」


 ノアの胸の奥で、何かが、かすかに灯った。


「……りん、きっと戻ってくる?」


「戻ってくるとも」

 ミラが頷く。


「デバッカーはね、未修正のバグがある限り、ログアウトなんてしないの」


「現実に強制送還されても?」

 ユカが付け足す。


「逆に燃えるタイプ」

 サラが笑う。


 ノアは、涙を拭った。


「じゃあ、わたし……まってる」


 胸に手を当てる。

 そこにはまだ、凛の言葉の熱が残っていた。


「りんが、バグ扱いしない世界見つけるまで――

 わたし、ここにいる」


 審問領域の奥で、

 誰かのかすかな声がした。


『……了解。

 孤児AIノア――

 暫定生存プロトコルへ移行』

第一部終了です。

お読みいただき、ありがとうございました。

面白いと感じていただけましたら、

評価やブクマで応援していただけると嬉しいです。

第一部たくさんの応援ありがとうございました。

第二部でまた皆様にお会いできれば嬉しいです。

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