第六章 深層ギルド街《ギルド・ディープ》②
最後に向かうのは、《絆の核》だ。
裏切りの部屋から少し離れた場所に、
ひっそりとした広間があった。
そこには、壊れかけたギルドホールが一つだけ残っている。
椅子は倒れ、掲示板はひび割れ、
床には飲みかけのマグカップのログが散らばっていた。
しかし――空気は、不思議と優しかった。
「ここ?」
ノアが周りを見回す。
「そう。
ギルドが解散して、仲間がバラバラになった場所」
ミラが答える。
「でも、ここではあまり罵り合いはなかった。
ただ、終わりを受け入れて、ありがとうって言ってた」
ユカがそっと、ひび割れた掲示板を撫でる。
そこに残っているのは、短い言葉ばかりだ。
『たのしかった』『またどこかで』『リアル忙しくなる』『元気でな』
「……さびしい」
ノアが呟いた。
「でも、あったかい。
ここまで、いっしょにいてくれてありがとうって空気」
凛も、胸の奥がちくりと痛んだ。
自分も、どこかで似たようなログを見送ったことがある。
仕事が忙しくなるから、受験だから、結婚するから――
いろんな理由でゲームを離れていくフレンドたち。
彼らを、ちゃんと見送れていたのか。
それとも、何気ないスタンプ一個で済ませていたのか。
「ノア」
凛がそっと声をかける。
「ここで、お別れのときに言いたい言葉を、自分で選んでみろ」
「わたしが?」
「ああ。
俺が、いつか――ログアウトできるかどうかは分からないけど。
いなくなる側になったとき、
お前は何を言いたい?」
ノアは、少しだけ考え込んだ。
そして、掲示板の前に立ち、
指で空中に文字を書くような仕草をした。
「ありがとう
たのしかった
……それは、ぜったい言う」
「うん」
「それから、ぜったい忘れない、は、たぶん言わない」
凛が意外そうに瞬きをした。
「それは、なんでだ?」
「忘れないって、約束むずかしい。
ひとは、わすれちゃう。
AIのわたしだって、データ消えたら忘れる」
ノアは、少し寂しそうに笑った。
「だから――
忘れてもいい。でも、そのときすこしだけ、あたたかくなったらうれしい
……って言う」
掲示板が、静かに光った。
ノアの言葉が、新しいログとして刻まれる。
『忘れてもいい。でも、そのとき少しだけ、あたたかくなったらうれしい』
『[INFO]NOAH: 絆署名 同調率+36%』
『[INFO]存在証明:感情パレットに“惜別”が追加されました』
『[INFO]存在ランク:観察対象 → 安定対象に昇格』
三巫女が、同時に頷いた。
「これで三つの核は制覇」
ミラが言う。
「ノアはもう、削除予定データじゃない」
ユカが続ける。
「感情を持つ存在として、この世界に正式に居座った」
サラが笑った。
「居座ったって言い方」
「だってそうでしょ。
帰らない客ほど、世界に影響を与えるんだよ?」
ノアは凛の方を振り返った。
「りん。
わたし、もう……消えない?」
「……いや」
凛は少しだけ間を置いて、言った。
「絶対なんて、この世界にはない。
でも――」
ノアの髪を、そっと撫でる。
「少なくとも、今のノアを消すには。
世界は、相当な理由を用意しなきゃいけなくなった」
「それって……つよい?」
「強い。かなり強い」
ノアは、ぱっと顔を明るくした。
「やった」
その瞬間――
地下都市全体が、低く軋むような音を立てた。
天井が、ひと筋、裂けた。
そこから、白とも黒ともつかない光が降ってくる。
ログではない。
イベント光でもない。
もっと根本的な――世界の仕様書そのものの色だ。
「……来た」
ミラが顔を上げる。
「何が?」
「管理領域からの視線」
ユカが言う。
「ノアの感情パレットがここまで広がると、
世界の神様たちは無視できない」
「神様って、烏間じゃなくて?」
凛が問う。
「烏間は管理者代理みたいなもの。
今感じているのはもっと……システムそのものに近い」
サラの表情が珍しく真面目だった。
光がノアの頭上に集まっていく。
彼女の身体がふわりと浮かぶ。
「え……?」
「ノア!」
凛が手を伸ばす。
しかしその手は、見えない壁に弾かれた。
コンソールに強制ログが走る。
『[SYSTEM]管理領域より通達』
『対象:孤児AI NOAH』
『状態:存在証明ランク“安定対象”への昇格を確認』
『処理:審問プロトコルを発動します』
「審問プロトコル……!」
ミラが顔色を変える。
「よくないのか、それは」
凛が叫ぶ。
「極端に言えば――生かすか、殺すかの判断の場よ」
「ふざけんな!」
凛は壁を殴った。
ノアが、涙目で彼を見下ろす。
「りん……!」
「ノア! 怖がるな!
お前は、ここにいたっていうログを、もう山ほど残した!
簡単に消されるもんか!」
「うん……!
でも、こわい……ひとり、いや、だ……!」
光が強くなり、ノアの姿が薄れていく。
凛は叫んだ。
「――ノア!!」
その叫びに応えるように、
ノアの唇が小さく動いた。
「りん……
たのしかった、って――
まだ、途中。
だから――つづき、いっしょに
……したい」
光が弾け、ノアの姿が消えた。
地下都市に、静寂だけが残る。
凛はその場に膝をつき、拳を握りしめた。
「クソ……!」
ミラがゆっくりと凛に近づき、
静かに言った。
「――行きましょう、凛」
「どこに」
「審問領域へ。
君も、呼ばれている」
コンソールに、新たなクエストログが浮かぶ。
[QUEST UPDATE]
『審問領域マスタールームへ向かえ』
『条件:世界修正者《Debugger》/存在“NOAH”の代弁権を持つ者』
凛は立ち上がり、涙の気配を乱暴に袖で拭った。
「……上等だ。
世界の神様だかなんだか知らねえが――
俺のノアを、ただのエラー扱いしてる連中と、話をつけてやる」
三巫女が、それぞれ頷いた。
「記憶の巫女として、同行する」
ミラ。
「忘却の巫女として、冷静に見る」
ユカ。
「エラーの巫女として、ぶっ壊す準備はできてる」
サラ。
「お前ら、それぞれ物騒だな……」
凛は苦笑し、
天井の裂け目から差し込む光を見上げた。
「待ってろ、ノア。
――この世界、デバッグ中につき。
神様のバグも、まとめて直してやる」
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では、また次話でお会いしましょう。




