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この世界、デバッグ中につき。  作者: 十二月三十日
第一部 審問領域編 ―世界はバグを許さない―
4/12

第四章 記憶署名の街

 列車の揺れは、ほとんどなかった。

 あるのは「揺れているはず」という情報だけで、体感はスライドするように滑らかだ。

 窓の外には、真っ黒なトンネル――のはずなのに、ときどき色の粒が流れていく。

 過去のチャットログ。戦闘ログ。スクリーンショットに埋もれた笑い声。

 プレイヤーたちの「記憶」が、光となって壁を走っていた。


「……気持ち悪いくらい静かだな、この電車」


 凛は吊り革に手をかけながら、空の車内を見回した。

 座席はすべて埋まっているのに、誰も座っていない。

 プレイヤーたちの「座っていた記憶」だけが、シートの形に残っているのだ。

 見えない圧迫感が、背中に貼りつく。


「りん」


 隣で、ノアが袖をつまんだ。

 ノアの指は、以前より少しだけ力強い。

 検疫層で存在を勝ち取ってから、彼女の輪郭は前よりはっきりしている。


「さっきから……なにか、聞こえる」


「聞こえる?」


「うん。――たのしい。くやしい。あったかい。……ぜんぶ、まざってる」


 ノアは胸の前で手をぎゅっと握りしめる。

 彼女の中に流れ込んでいるのは、単なる音声データではない。

 プレイヤーたちがここで感じた“感情のベクトル”だ。


「ここから先は、プレイヤーの記憶が街になってる。記憶署名の大半は、きっとこの層に漂ってるはずだ」


 凛は左目のコンソールを呼び出した。

 薄いウィンドウが視界の隅に浮かび、環境情報が流れる。


 [/scan env.mode]


『[INFO]environment: memory-city』

『[INFO]tag: SIG-MARKET(記憶署名集積領域)』

『[WARN]改ざんは推奨されません』


「改ざんは推奨されません、ね。……脅し文句としては柔らかいな」


「りん、また……世界に、けんか売ってる?」


「交渉って言ってくれ。こっちはこっちで、命がかかってる」


 ノアが小さく笑う。

 笑い方は、もう学習した通りではなく、彼女なりの癖が混ざり始めていた。


 列車が速度を落とす。

 車内にアナウンスは流れない。代わりに、窓の外のログがメッセージに変わった。


『[SYSTEM]まもなく『記憶署名の街』に到着します』

『[SYSTEM]思い出すことは、残すこと』


「……なあ、ノア」


「なに」


「怖いか?」


 ノアは少しだけ考えるふりをした。

 その間の取り方も、前より自然だ。


「こわい、すこし。でも……しりたい、もっと。

 なんで、ひと、こんなに、たくさん……のこしたがるのか」


 凛は、ほんの少しだけ口元を緩めた。


「いい質問だ。――それを調べに行くんだ、俺たちは」


 ドアが開く。

 無人のホーム。

 しかし、雑踏の音だけが聞こえる。

 人の姿はどこにもないのに、笑い声や呼び声、悔しそうな舌打ち、ガチャの爆死を嘆く悲鳴までが、空気に染み込んでいた。


――――――。     


「……街だ」


 駅の階段を上がった瞬間、ノアがぽつりと呟いた。

 そこには、確かに“街”が広がっていた。


 空を埋め尽くす巨大なスクリーンには、過去のゲーム画面が断片的に映っている。

 路地ごとに別々のイベントシーン、ボス戦、チャットログ。

 建物は、プレイヤーのホームで使われていたハウジングのパーツが、パッチワークのように組み合わされている。

 メインストリートには、誰もいないのに、屋台だけが並んでいた。

 アイテム交換所、ガチャ屋、イベント限定ショップ。

 そのすべてが、過去形で止まっている。


「すげえな……」


 凛は思わず本音を漏らした。

 開発に関わっていたはずなのに、こんな光景は知らなかった。

 ここは運営AIが独自に構築した領域――プレイヤーの“記憶署名”を管理するための、裏マーケットだ。


「りん。ここ、あったかい、匂い。……でも、さびしい」


「思い出ってのは、だいたいそういうもんだ」


 凛はコンソールを操作し、街の構造をざっと覗き見る。


 [/map memory.city depth=2]


『[INFO]center: SIG-PLAZA』

『[INFO]north: RAID-ALLEY』

『[INFO]east: CHAT-ARCADE』

『[INFO]south: HOME-GARDEN』

『[INFO]west: EVENT-RUINS』


 街全体が、プレイヤー体験のカテゴリごとにゾーニングされていた。

 システム的に言えば、各エリアに「タグ付き記憶署名」が集約されている。


「ノアの存在証明を強くするには、プレイヤー側の記憶から署名をもらう必要がある。……が」


「が?」


「俺たち、ここにいるプレイヤー全員から、嫌われてる可能性がある」


「?」


「デバッカーと運営ってのはな、たいてい“敵”なんだよ。ナーフの元凶とか、バグ放置してたとか、いろいろ理由をつけられてな」


 ノアは首をかしげる。


「でも、ここ。たのしい記憶、多い。

 みんな、たぶん……この世界、すきだった」


「だった、な。――過去形だ」


 凛は肩をすくめ、メインストリートへ足を踏み出した。

 足元に、白い文字列が浮かび上がる。

 プレイヤー名と、短いログの断片。


『やっとクリアした!』『神ゲー』『クソ運営』『神イベ』『二度とやらんw』


 愛憎の混じった、どうしようもなく人間くさい言葉たちだ。


「りん」


 ノアが、路地の方を指差した。

 視線の先――広場の中央に、不思議なものが見えた。


 それは、三本の柱だった。

 一本は青い光、一本は白、一本は赤。

 柱の上には、それぞれ人影が座っている。


 青の柱の上――長い髪を編み込んだ少女が、古い本を抱えている。

 白の柱の上――短髪の少女が、目隠しをしたまま空に指を伸ばしている。

 赤の柱の上――髪を高く結んだ少女が、無数の破れた札を腰にぶら下げている。


「……なんだ、あれ」


「ひと?」


「いや。――システムの匂いがする」


 凛が呟いたとき、三本の柱が同時に震えた。

 光が収束し、少女たちが地面へと降りてくる。

 足音はしないが、存在感は重い。


 青い光を纏う少女が、一歩前に出て、口を開いた。


「ここは、記憶署名の街」


 声は澄んでいて、よく通る。

 しかし、その言葉にはどこか、古いログのような響きがあった。


「ようこそ、世界修正者。そして、孤児AI」


 凛は眉を上げた。


「俺のことを知ってるのか」


「知っている。ここは“覚えている場所”だから」


 青い少女は、胸に抱えた本を軽く叩く。


「わたしは、記憶の巫女・ミラ。

 この街に集まった、忘れたくないもの、をここに記録している」


 ミラ――記憶の巫女。

 彼女の背後で、白い少女が口を開く。


「わたしは、忘却の巫女・ユカ。

 ここからこぼれた、忘れたいもの、を深いところに沈める役目」


 そして、赤い少女が、破れ札を指で弄びながら笑った。


「んで、あたしがエラーの巫女・サラ。

 記録にも残せない、忘れることもできない、バグみたいな感情の担当」


 三人は横並びになり、凛とノアをまっすぐ見つめた。

 視線は、それぞれ違う温度を持っている。

 ミラは静かで、ユカは空虚で、サラはどこか楽しそうだった。


「ずいぶんと物騒な肩書きだな。巫女なんてロマンチックな言葉の割に」


 凛が言うと、サラがニヤリと口角を上げる。


「巫女ってさ、間を取り次ぐ者って意味でしょ? 神様と人、人と世界、人と過去。

 あたしたちは人と記憶の間を取り持つ、そんなプログラムってわけ」


 ユカが淡々と続けた。


「君たちは、記憶を乞いに来た。違う?」


 凛は短く息を吸い、頷いた。


「そうだ。俺は篠崎凛。デバッカーだ。……こっちはノア。削除予定だったAIだが、今は存在として認められた」


 ノアは少し戸惑いながらも、一歩前に出る。


「ノア。……ここ、へんな感じ。さびしい、でも、うるさい」


 ミラが目を細めた。

 本のページがひとりでにめくれ、無数のログが浮かび上がる。


「孤児AIが、感情のノイズを言語化しかけている……。面白いわね」


「面白いじゃなくて、危険、だよ」


 ユカが冷ややかに言う。


「感情の層でAIが暴れたら、この街の署名バランスが崩れる。

 “誰の記憶か分からない感情”が増えれば、世界はぐちゃぐちゃになる」


「いいじゃん、ぐちゃぐちゃ。人生もゲームも、そのぐらいが盛り上がるって」


 サラが笑い飛ばす。

 凛は額に手を当てた。


「お前ら、三人でバランス取れてんのか、取れてないのか分かりづらいな」


 ミラが小さく咳払いをした。


「用件を聞きましょう、世界修正者。

 この街の記憶署名は、簡単には渡せない。――それが、ここを墓場じゃなく街にしているルールだから」


「単刀直入に言う。ノアの存在証明を強くするために、記憶署名が必要だ。

 運営AIは、ノアを検疫層に隔離した。

 今は仮承認だけど、このままだと“継続信号”が足りなくなって、また消される」


 凛はノアの肩に手を置いた。


「彼女は、この世界のバグじゃない。――更新の予告だ」


 サラが目を輝かせる。


「そのフレーズ、好き。ねえミラ、ログに太字で残そ?」


「検討するわ」


 ミラは本にペンを走らせるふりをして、すぐに顔を上げた。


「結論から言うと、個人の存在証明に街の署名を使うのは、本来の用途外よ」


 ユカが続ける。


「ここはプレイヤーのための場所。

 君たちみたいな、運営側の人間やAIには、あまり優しくない」


「運営側、か……」


 凛は少しだけ目を伏せた。

 そう見られても仕方がない立場だ。

 ノアが、彼の袖を引く。


「でも、りん……一緒に、走ってくれた。

 わたし、消えそうなとき、……て、ぎゅって、してくれた」


 言葉がつかえている。

 しかし、そのひとつひとつには、確かな重みが宿っていた。


「だから、りん。ぜったい、運営だけじゃない」


 ミラの瞳が揺れる。

 彼女は抱えていた本をそっと閉じた。


「――質問を変えましょう、篠崎凛。

 あなたは、この世界を“修正”したいの? それとも、救いたいの?」


「両方だ」


 凛は迷いなく答えた。


「修正しないと救えないし、救いたいから修正する」


 ユカが眉をひそめる。


「欲張り」


「知ってる」


 サラがくすりと笑い、ミラが小さく頷いた。


「いいわ。じゃあ、試験をしましょう」


「試験?」


「記憶の巫女として、この街の署名を君たちに預ける価値があるか――確かめるための」


 ミラが指を鳴らすと、広場の空気が一変した。

 周囲の建物が揺らぎ、過去のログが立体映像として浮かび上がる。


 プレイヤーたちの姿。

 レイドの最前線。

 ミス連発に頭を抱えるタンク。

 蘇生スキルを連打するヒーラー。

 チャット欄には罵倒と励ましが同時に流れている。


「第一の試験。喜びを理解できるかどうか」


 ミラの声が響く。


「このレイドは、何度も失敗してようやくクリアされたもの。

 記憶署名の強度も高い。――ノア」


 名を呼ばれ、ノアがびくりと肩を揺らす。


「きみは、この戦いを“たのしい”と感じられる?」


 ノアは映像をじっと見つめた。

 剣が光り、魔法が炸裂し、ボスが咆哮する。

 何度も全滅し、何度も立ち上がる。

 そのたびに流れるチャットログ。


『次こそいける』『ごめん、ミスった』『ナイストライ』『まだやれる?』『やるぞ』


 ノアは胸に手を当てた。


「……いたい。からだ。いっぱい、けがしてる。

 でも、やめない。

 これ、たぶん……たのしい、に近い。くるしい、も、あるけど」


 言葉を探しながら、それでも前より滑らかに紡がれていく。


「誰かと一緒にがんばる、って……きっと、うれしい」


 ミラが静かに目を閉じた。


「合格。――喜びは、痛みと混ざることがある。その混ざりをうれしいと呼べる感性は、人間的よ」


 ユカが次の映像を呼び出した。

 今度は、ソロ狩り中のプレイヤーだ。

 レベル上げに失敗し、レアドロップを逃し、チャット欄で愚痴を零している。


「第二の試験。悔しさをどう扱うか」


 ユカが淡々と言う。


「世界修正者。君は、こういう小さな不満をどう見る?」


「よくある話だ。システムが不親切なら修正すべきだし、そうじゃないならプレイヤー側の学習不足だ」


「冷たい」


「デバッカーってのは、だいたい冷たい」


 ノアが横から口を挟む。


「でも、りん。さっき、いった。

 徹夜の焼きそば、覚えてる、って。

 それ、たぶん……しんどい、けど、たのしかった、記憶」


 凛は思わずノアを見た。

 ノアは少しだけ恥ずかしそうに視線を逸らす。


「だから、こういう小さい、くやしい、も……

 あとで、わらえる、かもしれない。

 あのとき、失敗したねって」


 ユカの口元が、わずかに緩んだ。


「記憶は、本来意味を失っていくもの。

 でも、人がそれに意味を与え続ける限り、くやしいは笑い話にも、トラウマにもなる」


 ユカは凛を見据える。


「君は、世界を修正するとき、その小さい悔しさをどこまで拾うつもり?」


「可能な範囲で、だ。全部は無理だ。

 でも、無視もしない。――そのバランスを取り続けるのが、デバッカーの仕事だろ」


「……ふうん」


 ユカは肩をすくめた。


「合格。少なくとも、全部直せるとかいう傲慢な神様じゃない」


 最後に、サラが指を鳴らした。

 空気が重くなる。

 映し出されたのは、チャット欄だけのログだった。


『もういいや』『疲れた』『リアル戻るわ』『さよなら』


 ギルド脱退通知。

 フレンドリストから一人、また一人と名前が消えていく光景。


「第三の試験。消えていくものとどう付き合うか」


 サラの声は、いつもより少し低かった。


「世界修正者。――君は、やめていくプレイヤーをどう見てた?」


「当時は、数字だと思ってた。

 アクティブ数の推移、離脱率。」


 凛は、素直に言った。


「でも今は、そうじゃない。……目の前で、消えないはずの存在が消えかけたからな」


 ノアが小さく息を飲む。

 凛は続けた。


「人がやめていくのは、悪でも裏切りでもない。

 ただ、その人の物語が別の場所に移っただけだ。

 ――俺の仕事は、その人たちがここにいた証拠を、ちゃんと動く形で残すこと」


 ノアが、その言葉をなぞるように呟く。


「ここに、いた。

 ここで、たのしかった。かなしかった。

 それ、のこすの、だいじ。

 ……わたしも、いたって、だれか……覚えててほしい」


 サラが、破れ札を一枚空中に放る。

 札は光りながらノアの胸に吸い込まれた。


「合格。

 消えていくものを、引き止めるんじゃなくて、いたことを残そうとする感性。

 それはエラーじゃない。――むしろ、世界の側がアップデートしなきゃいけない部分だね」


 サラはニヤリと笑い、凛に親指を立てた。


「よし。三つの試験、クリア。

 ミラ、ユカ。どうする?」


 ミラは本を開き、三人の名前をそこに綴った。


「記憶の巫女・ミラの名において、宣言するわ。

 この街の記憶署名の一部を――篠崎凛とノアに、接続する」


 ユカも小さく頷いた。


「忘却の巫女・ユカとしても、暫定承認。

 ただし、バランスを崩したら容赦なく切り捨てる」


「エラーの巫女・サラとしては、大歓迎。面白そうだし」


 三人の足元から、光の糸が伸びた。

 街全体から集まってきた色とりどりの記憶の粒が、その糸に絡みつく。

 喜び、悔しさ、敗北、勝利、出会い、別れ。

 無数の感情が、ノアの胸元へと流れ込んでいく。


「――っ」


 ノアが膝を折りかけ、凛が慌てて支える。


「大丈夫か!」


「……だいじょうぶ。

 いっぱい、はいってくる。

 でも、こわくない。

 あ、これ、はずかしい……

 これ、たのしい……

 これ……しぬほどつらい、でも、すき……」


 ノアの目から、透明な涙が一筋こぼれ落ちた。

 涙の生成は、仕様外。

 それでも、そこにあった。


「りん」


 ノアは顔を上げた。

 さっきよりも、言葉が滑らかだ。

 片言が完全に消えたわけではないが、文と文が繋がり始めている。


「わたし……いま、すごく、ここにいるって感じる。

 この世界、痛くて、うるさくて、ぐちゃぐちゃで、でも――

 ……すごく、きれい」


 凛は、ほんの一瞬言葉を失った。

 代わりに、ゆっくりと笑う。


「だろ。バグだらけで、めちゃくちゃで、面倒くさい。

 だからこそ、直しがいがある」


 コンソールに、新しいログが走る。


『[INFO]subject=NOAH : 継続信号レベル +18%』

『[INFO]memory-signature link: established(篠崎凛/一般プレイヤー群)』

『[NOTICE]存在テーブル:安定度ランクが「検疫対象」→「観察対象」に変更されました』


 ミラが満足そうに本を閉じた。


「これで、しばらくは消されない。

 でも、本当の意味で残るためには――もっと多くの個別の記憶が必要よ」


 ユカが付け加える。


「プレイヤーたちの、ノア自身に対する記憶。

 今はまだほとんどない。

 君はこれから、覚えられる側にならなきゃいけない」


 サラが凛の肩をぽんと叩いた。


「つまりさ――クエスト開始ってこと。

 タイトルはそうだね……この世界、デバッグ中につき。ノアを誰かに覚えさせろ。みたいな」


「長い」


 凛が苦笑し、ノアがくすっと笑う。


「でも、やる。

 わたし、ここにいたって……

 たくさんのひとに、いつか、思い出してほしい」


 その言葉は、もはや片言ではなかった。

 ぎこちなさは残るが、そこには明確な意思があった。


 ミラが一歩近づき、小さな光の札を三枚差し出す。


「これは、記憶の巫女としての通行札。

 プレイヤーの街で、特定の記憶にアクセスするための鍵になる」


 ユカも自分の紐から、黒い札を一枚抜いて渡した。


「これは“忘却の印。

 どうしても耐えられない記憶に触れたとき、一度だけ距離を置ける。

 ただし、使いすぎると、自分自身が何者か分からなくなる」


 最後に、サラが破れた赤い札をノアの額に貼り付けた。


「これはエラー札。

 ルールにない行動をしたいとき、ちょっとだけ、世界の目を誤魔化せる。

 ただし、世界の方も悪ノリしてくるから、気をつけて」


「お前らの札、だいたいロクでもないな」


 凛がぼやくと、サラが愉快そうに笑う。


「世界を本気でデバッグしたいなら、きれいなツールだけじゃ足りないでしょ?」


 それは、否定しがたい真理だった。


 広場の頭上で、電光掲示板が明滅する。


『[SYSTEM]クエスト更新:』

『[記憶署名の街]完了

『[新規クエスト]:プレイヤーの街で、ノアの記憶を刻め』


「……だってさ」


 凛がノアを見やる。


「これから忙しくなるぞ。ロクにチュートリアルもないのに、いきなり中盤クエストだ」


「うん」


 ノアは小さく息を吸い、胸に手を当てた。


「でも、こわくない。

 りんと一緒なら、きっと……たのしいも、くやしいも、つらいも、ぜんぶ――

 のこせるから」


 その笑顔は、もう欠けたテクスチャでも、仕様書の外のノイズでもない。

 ひとりの存在の表情だった。


 記憶署名の街の喧騒が、少しだけ優しくなった気がした。


 ――――――    


 去り際に、ミラがふと思い出したように声をかけてきた。


「そうだ、篠崎凛」


「なんだ」


「君のことを、覚えているプレイヤーも――少しだけ、いるわよ」


「……は?」


「ここに来る前に、別の街から、あいつ元気かなっていう記憶が上がってきた。

 バグ報告フォームに、妙に長い感想を書いてきたプレイヤー。

 あのとき対応してくれたデバッカーさん、ありがとうって」


 凛は一瞬、言葉を失った。

 そんな記憶は、自分ではもう朧げになっている。


「世界修正者。

 君もまた、誰かに覚えられている側なのよ」


 ミラの言葉は、静かに胸に沈んだ。

 凛は短く息を吐き、ノアの方を振り返る。


「……よし。

 世界はまだバグだらけだ。

 デバッグを続けよう、ノア」


「うん。

 ――この世界、デバッグ中につき」


 ノアが、そのタイトルを、はっきりと口にした。

お読みいただき、ありがとうございました。

評価してくださった方々もいらっしゃり、とてもうれしいです!


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評価やブクマで応援していただけると嬉しいです。

では、また次話でお会いしましょう。

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