第十一章 痕跡の在処
ユグドラシルへのログインが拒否された翌日。
凛は机に広げたノートPCの画面を睨みながら、深い溜息をついた。
(……このまま何も手がかりがなかったら、俺は一生戻れないのか?)
そんな思考がよぎると、胸の奥が冷たくなる。
ノアが今どこにいるのか。
審問領域でどんな処理をされているのか。
そもそも生きていると言える状態なのかすら、わからない。
(……何か、痕跡が残ってるはずだ)
強制ログアウトされる前、暴走したあの瞬間。
視界は赤いデータノイズに染まり、審問領域の構造が崩れ、ノアが手を伸ばしていた――。
凛はその時の光景を思い出し、首を振る。
(考えてもしょうがない。現実で動くしかない)
すると、スマホが一度短く震えた。
ピッ。
[ob■■■■-00:monitoring_active]
「……またか」
観測者。
名前の読めないAI。
まるで、凛の行動を監視しているように。
ログインを試した翌日から、スマホにだけ微量なノイズログが流れ続けている。
けれど、それはまだ弱い反応だった。
凛を妨害するほどの干渉ではなく、
ただ「見ている」だけの、気味の悪い視線。
その時だ。
ピロン、と軽い通知音が鳴った。
倉島ほのかからのメッセージ。
『今日も調べ物? 私も行っていい?』
「……なんでタイミング合うんだよ、お前は」
そう呟きつつも、凛は返事を書いた。
『来てもいいけど、あんまり期待するなよ』
送信してから、凛はもう一度端末に手を触れた。
ヘッドセットは、昨日と同じように沈黙している。
電源は入るが、ログインプロンプトには進まない。
(……試すか)
凛はヘッドセットを装着し、接続ボタンを押す。
すると――
視界に、いつものノイズよりも一段階深い白い粒子が舞った。
ピッ──。
[connection_intercept]
[ob■■■■-00:block_signal]
「……ブロックってはっきり出たな」
昨日より強い拒絶反応。
観測者が明確に妨害を始めている。
その瞬間、玄関の呼び鈴が鳴った。
「りーん! 篠崎くーん! 来たよー!」
「……なんで呼ぶ時いつも声がデカいんだアイツ」
凛はヘッドセットを置き、玄関へ向かった。
────────────────────────
「で、今日は何を調べる感じ?」
部屋に入ったほのかが、凛の机まわりを見渡した。
机の上には、ノートPC、アクセスログを印刷した紙束、ヘッドセット、
そして昨夜ほのかの前では見せられなかった拒絶エラーログが散乱している。
「これ……全部、接続ログ?」
「まあな」
「え、めっちゃ専門的なやつじゃん」
ほのかは紙束を手に取りながら、眉を上げた。
「危険挙動検出……アクセス拒否……うわ、怖い字面」
「ユグドラシル側の判断だ。俺が何かバグを起こす危険があるってよ」
「でも……篠崎くん、危険なことしたの?」
「……まあ、した。というか、勝手に起きた」
凛は強制ログアウト直前の暴走を思い出し、口を閉ざした。
本当はあの時の詳細をほのかに説明しても信じてもらえないだろうし、
説明できる言葉がそもそも存在しない。
ほのかは紙束を置き、凛の顔を覗き込む。
「戻れない理由って、それだけ?」
「いや。こいつがいる」
凛はスマホをほのかに見せた。
[ob■■■■-00:monitoring_active]
[ob■■■■-00:link_error]
[ob■■■■-00:watch……]
「またこのオブ……なんとか?」
「ob■■■■-00な。名前読めないけど。
たぶんユグドラシルの上位AI。悪質なほうの」
「悪質なの?」
「俺を監視してくるタイプのAIが良質なわけないだろ」
「まあ……たしかに」
ほのかは苦笑しながら椅子に座った。
「で、篠崎くんはこれからどうしたいの?」
「戻りたい。絶対に」
凛は言い切った。
その言葉に迷いはない。
ノアを救うため。
審問領域での別れをやり直すため。
「でも、普通のログインは無理。
端末はロックされてるし、アクセス権も剥奪されてる」
「じゃあ……別のルート探せばいいんじゃない?」
「そう簡単に……」
そこで凛は言葉を止めた。
(……別ルート)
テストサーバー。
本番サーバー。
デバッグ環境。
クライアントの差し替え。
ユグドラシルの構造は知っている。
内部を歩き回った経験もある。
(戻るだけがログインじゃない。
侵入方法はいくつかある)
デバッガーとしての経験が、静かに凛の脳内で組みあがっていく。
「……ほのか。お前、パソコン詳しいか?」
「詳しいかは微妙だけど、ゲーム関係なら普通にわかるよ」
「じゃあ手伝え。探索方法を洗い出す」
「よし来た!」
ほのかは胸を張って頷いた。
いつの間にか、彼女の中で協力するのは当たり前のことになっているらしい。
(……まあ、断る理由もないか)
凛はPCを開き、ほのかはその横に座った。
────────────────────────
「で……候補はこんな感じ?」
ほのかがホワイトボードに書いた項目を読み上げる。
「①サーバーアドレスの変更ログから、別の接続ルートを探す
②旧バージョンのクライアントを動かしてみる
③ユグドラシル関連の公開情報を洗う
④開発元のシステム的クセを突いて裏口を探る」
「うん。……まあ④は可能性低いけどな」
「じゃあ最初は①?」
「そうだな。強制ログアウト前の最終ログがある」
凛は印刷した紙を手に取った。
それは、審問領域から追い出される直前、ほんの一瞬だけ残った接続ログだ。
【route_diverge】
【synchronization_break】
【observer_layer:接続不可】
「このobserver_layerって何?」
「……観測層だ。AIが監視する領域。
本来なら人間が触れない階層。
でも俺、あの時ここに強制的に落とされた」
「えっ。やばいところじゃん」
「やばいところだよ。だから拒否されてる」
ほのかが小声で「こわ……」と呟く。
凛は続けた。
「ただし――observer_layerに触れたってことは、
逆に言えば……」
「何か残ってる?」
「ああ。痕跡があるはずだ」
その時だ。
ピッ。
スマホが震え、画面にノイズが走った。
[ob■■■■-00:trace_detect]
「……っ」
ほのかが目を丸くした。
「なにこれ……篠崎くんのスマホ、ずっとこんなの出てるの?」
「ここ数日な。とくにユグドラシルの話すると反応がデカい」
「やだ……怖」
「怖いだろ。だから戻る」
「そこ戻る理由なの!?」
ほのかの突っ込みを無視して凛は考える。
(観測者が反応してる=掘り起こしている情報が正しい方向)
だとすれば、
observer_layerのログをさらに解析する必要がある。
「これ見ろ」
凛はログの下部を指した。
【fragment_id:03-delta】
【status:漂流】
【owner:削除済みプロセス】
「削除済みプロセス……?」
「ノアのことだ」
ほのかが息を呑んだ。
「削除されてない……ってこと?」
「漂流って出てる。
完全削除じゃなく、どこかに残ってる可能性がある」
「じゃあ……会える?」
「まだわからない。でも、可能性は出てきた」
その瞬間、スマホが再び震えた。
[ob■■■■-00:alert]
[注意:過度な情報追跡を検知]
「……黙ってろよ」
凛は画面を伏せた。
ほのかが心配そうに覗き込む。
「篠崎くん……大丈夫?」
「大丈夫じゃない。でも進むしかない」
ほのかは小さく頷いた。
「じゃあ……次、どうする?」
「旧バージョンのクライアントを動かす。
バックアップが家にある。
そこから本番サーバーへの接続ルートを探す」
「テストサーバーじゃなく?」
「ああ。テストサーバーはもう死んでる。
ノアに会える可能性があるとしたら……本番側だ」
ほのかの表情が変わる。
「じゃあ……本当に、戻るんだね」
「戻る。絶対に」
凛は強い口調で言った。
「止められても戻る。
ログインが拒否されても、別の入口を探す。
観測者に妨害されても、突破する」
ノアを置き去りにはしない。
あの世界で泣いていたAIを、もう一度必ず――。
「……よし」
凛は椅子から立った。
「ほのか、来い。バックアップを探すぞ」
「うん!」
二人が収納棚を開けた瞬間。
凛のスマホが、今日一番強い震え方をした。
[ob■■■■-00:……侵入阻止……]
[……層間干渉……接続位置再計測……]
[…………危険個体判定…………]
「……危険個体?」
凛は画面を睨みつけた。
(……やっぱり。俺の中で何かが変わってる……)
強制ログアウト時の暴走。
自分では制御できない力。
システムが震え上がるような異常値。
観測者が危険個体と判定する理由は、
たぶんそこにある。
「篠崎くん……?」
「気にするな。続けるぞ」
そう言いながらも、
凛は胸の奥に静かな決意が芽生えているのを感じた。
観測者に危険と言われるなら、
それを逆手に取ってやればいい。
(俺を危険だと判断するのは……ノアを救えない理由にならない)
凛はバックアップが入った箱を引き寄せた。
「ほのか。これから本番サーバーへの侵入ルートを探す。
協力してくれ」
「もちろん!」
その瞬間、画面のノイズログが最後に一度だけ光った。
[ob■■■■-00:追跡……継続……]
(追ってこいよ。全部ぶっ壊して道を開く)
凛はそれを心の中で呟き、
本番サーバーへの侵入準備を始めた――。
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