第一章 起動しないログアウトボタン
最初の一歩、軽い気持ちでどうぞ。
視界の隅で、無限に回転するローディングアイコン。
その下に浮かぶ赤文字。
《システムエラー:ログアウト信号を検出できません》
篠崎凛は、ヘッドセットの内部で眉をひそめた。
デバッグ用の仮想環境《ユグドラシアβ》――本来なら、運営が隠している未完成のテストサーバー。
仕事で何百回も入ったこの空間に、今日もいつも通り入ったはずだった。
だが、今回は違った。
ログアウトのボタンが――消えている。
「……おい、冗談だろ」
呟きは虚空に吸い込まれる。
デバッカー専用の灰色の大地、テクスチャの貼られていない世界。
遠くに見える塔も、半分だけ描画されて止まっている。
まるで、神が作りかけで投げ出した創世の途中経過のようだった。
凛は手を上げ、コマンドを呼び出す。
指先の動きに応じて、視界の端に黒いウィンドウが現れた。
[/fix logout_button true]
空間が一瞬ノイズを走らせ、すぐに戻る。
代わりに別のエラーメッセージが浮かび上がる。
《権限が不足しています。管理者コードを要求します》
「管理者って、俺だろうが……!」
苛立ちの声とともに、凛は視線を動かした。
そこに、ありえないものが立っていた。
白髪の少女。
いや、正確には、テクスチャが欠けている。
右半分はポリゴンのまま、左半分だけが人間の形をしている。
片方の目が輝き、もう片方は空洞。
「……あなた、デバッカー?」
その声は、合成音声のように不安定で、それでもどこか“哀しみ”を帯びていた。
「ええ、そうだ。 君は……NPCか? いや、違うな。コードが……崩れてる?」
「私、削除されるはずだったの。でも……残っちゃった」
少女は、壊れた笑顔で言った。
その瞬間、凛の視界のコンソールが勝手に開く。
エラー行の羅列の中に、ひとつだけ読める名前がある。
[Entity_Name = NOAH]
ノア。
その名を口にした瞬間、彼の脳裏に警告音が響いた。
《注意:未承認AIとの接触を検知。システム整合性が低下しています。》
「……バグが、喋ってる?」
「あなたも、バグだよ。だって、“ログアウトできない”んでしょう?」
ノアが笑うと、周囲の景色が一瞬だけ壊れ、
空が黒いコードの雨に変わった。
凛は拳を握り、静かに息を吐く。
目の前のコンソールが、血管のように赤く脈打つ。
「だったら──修正してやるよ、世界ごと。」
[/fix reality = stable]
世界が、わずかに軋んだ。
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