無茶振りと契約印
精霊とは──……
この世界のあらゆるものに宿り、人間より遥かに高みに座す畏怖されるべき存在。未だかつてその姿を見た者はいない。空想、非現実…そんな御伽噺のような存在。
そんな者が今目の前にいる。
「自己紹介が遅れて申し訳ありません。私はご存じの通り、父カール・ベルフォートの一人娘リディア・ベルフォートでございます」
人間、驚きを通り越すと冷静になれるらしく、リディアが深々と頭を下げながら名を口にした。
「ほぉ、流石はカールの娘じゃ。我の姿を見て驚かぬとは、随分と肝が据わっておる」
感心するような口ぶりで言われたが、その目は新しい玩具を見つけた子供のように輝いていた。
(……むしろ驚くのが正解だった)
精霊を見た者はおらず、その特性も性質も分からない。父の事を知っているとは言え、下手なことを言って機嫌を損なわせない方がいい。
「そう警戒するな。何も取って喰おうなど考えておらん」
いつの間にか岩の上に寝転び、ほくそ笑みながらこちらを見下ろしていた。
精霊ってもっとこう……近寄りがたいものだと思っていたが、目の前のこの人は何となく接しやすい気がする。……というか、だらしなくないか?
いくら精霊よりも劣る人間だからって、初対面で大岩に寝転がるか?精霊の威厳はどこ行った?
悶々とするリディアを余所に、レウルェは上機嫌で自分の周りを飛んでいる小さな精霊とじゃれ合っている。
「時に、リディアよ。そなた、子はまだか?」
「ブッ!!」
突如とんでもない言葉が聞こえて、思わず噴き出した。
「おや?なんじゃ、そなた生娘か。恋人はおらぬのか?ん?」
「な、ななななな!?!?!?」
「ふふん。なんでそんな事が分かるのか?我を舐めてもらっては困る。これでも名の知れた精霊じゃ。隠し事は出来ぬぞ?」
得意気に鼻を鳴らしているが、プライバシーな問題に土足で踏み込まれたリディアは、顔から火が出そうなほど真赤に染まっている。
「オブラート!!」
「良いではないか。別に隠す事でもない」
「隠す事です!!」
リディアの年齢を考えれば婚約者がいるのは当然だ。だが、それは普通のご令嬢の場合。リディアは爵位は持っていても底辺の貧乏貴族。誰が婚約者に選んでくれるものか。
「しかし、それは困ったな……」
「え?」
急に神妙な面持ちに変わった。
「この地は代々ベルフォート家に継がれると言うのは知っておろう?」
それは爺やから聞いた。
「そなたに子が出来ねばこの地を受け継ぐ者がおらず、我はこの地と共に朽ちてしまう。そうなれば、この地一帯は瘴気に満ち、いずれ人々にも影響を及ぼすことになる」
「はぁ!?」
リディアは初めて聞く新事実に戸惑いを隠せない。
レウルェが言うには、この事は受け継いだ者にしか知らされない。というか、受け継いだ時にはすでに婚約者がいたり子供がいた為、そう重く考えてはいなかったらしい。
「まさか、忘れかけた頃になってケツの青い生娘が引き継ぐ事になろうとは…」
盛大な溜息を吐きながら、頭を抱えている。随分な言われようだが、本当の事なので言い返せない。
頃合いを見て養子でも取れば?と提案してみたが、ベルフォート家の血が通っていなければ、意味が無いと一蹴された。
「因みに聞くが、好きな男子はおらぬのか?」
「残念ならが好きな人は愚か、万年独り身でして…」
困ったように頬を掻きながら伝えたら「はぁぁぁ~……」と分かりやすく崩れ落ちた。
「年頃の娘ぞ?好きな者もおらんだと?カールの奴、どんな育て方をしたのじゃ。箱入り娘にも程がある」
岩に向かってブツブツと呟く姿は何ともシュールな光景だ。声をかけていいものか悩んでいると、ムクっと起き上がった。
「単刀直入に言うぞ。そなた、今すぐ子を成せ」
「──ンなッ!?」
何を言い出すのかと思えば、強気に猥雑なことを言ってきた。
「本来なら愛を育んでから行為に及ぶが、恋愛に関して赤子同然のそなたでは、適正な歩み方では埒が明かん。少々、強引だが致し方ない」
当然の如く言い切った。
あまりの事に、リディアは口をパクパクさせて声にすらならないと言った感じだ。
「──とは言え、今すぐは酷じゃな。そうじゃな……三年じゃ。三年待ってやる。その間に相手を見つけ、子を成すのじゃ」
恩着せがましく言っているが、そもそもの問題はそこじゃない。
「なぁに、簡単な事じゃろ?そなたは女子。少し色仕掛けでもすれば一発じゃ」
親指を立てて、自慢気に猥雑なことを言う精霊が何処にいる?精霊と言うのは、全部がこんな話の通じないイカれた奴ばかりなのか?
「因みに、三年経っても出来ぬ場合はそうじゃな……我と共に朽ちてもらうか」
「!?」
「もしくは、我の伴侶となるか?」
クスクスと揶揄っているのか馬鹿にしているのか…
リディアが思い描いていた慈悲深い精霊像が粉々に崩れる音がした。
「そうと決まれば…」
レウルェの手が光ったのが見えた。それと同時に、自分の太腿が熱くなるのが分かった。慌てて見てみると、そこには花の蕾のタトゥーが……
「それは、我との契約印じゃ。子種がその胎に注がれたら消える様になっておる」
「なんて事……」
「先に言うておくが、その花は満月の夜開花する。開花したその花は種を欲するように、そなたの身体を熱くさせる。月日が経てば経つほど、身体の熱感は増していくぞ?」
リディアの顔色は徐々に悪くなっていく。
「逃げようと思うても無駄じゃ。何処にいようと、関係なく花は咲く。なぁに、いざとなれば我が相手になってやろう?」
完全に楽しんでいるのが分かる。
目の前にいるのは精霊と呼ばれような者じゃない……!!こいつは悪魔だ…!!
目の前でほくそ笑むレウルェに、リディアはギリッと歯を食いしばり鋭い眼光で睨みつけた。