事故=???
リディアがヴェルナーに連れられて来たのは、屋敷から徒歩数分の場所にある川だった。
流れは穏やかで深さもそれ程深くない。川底が見えるほど澄んだ水の中には、魚の鱗がキラキラと光って宝石のよう。足を入れてみれば、ひんやりと冷たく気持ちがいい。
「浅瀬だが気をつけろよ」
「はぁい」
はしゃぐリディアに注意しながら、ヴェルナーは手際よく針に餌を通していた。付け終わると、手馴れた感じで針を飛ばした。
チャポン…
音を立てて水の中に入っていく。
「このまま餌に食いつくのを待つんだ」
釣りは忍耐力が必要だと言うように、ジッと待つ以外に出来ることは無い。
「…………」
沈黙の中、川の流れる音と風に揺れる木々の音が耳によく聞こえる。時間がゆったり過ぎていくのが分かる。
ガヤガヤと賑わう王都では感じられない空気と時間…心が落ち着くとは、こう言う事なんだと知った。
「そう言えば、君はティルフォートと仲が良いらしいな」
「え?」
落ち着いていた心が、乱されそうな予感にリディアの顔が引き攣る。
「ヴィルから聞いている。あのティルフォートが異性に興味を示したと面白がっていたよ」
あの国王め、余計な事を言ってくれる。
「チッ」と小さく舌打ちをしたが、ヴェルナーには聞こえていたらしく「ふはっ」と笑われてしまった。
「君はどうなんだい?こんなおじさんより、歳の近い王子様の方が魅力的だろうに」
「一般的にはそうかもしれませんが、私は王妃なんて柄じゃありません。殿下が私に興味を持っているのも一過性のもの。その内、目が覚めますよ」
淡々と伝えると、ヴェルナーは眉を下げて苦笑いを浮かべている。「困った子達だ」と呟いた言葉はリディアの耳には届かなかった。
「あ、これ引いてるんじゃないですか!?」
「ん?……あぁ~、これは根掛かりだな」
リディアの持っていた釣竿の糸を引いてみるが、ピンッと張るばかりで糸が戻せない。どうやら、何かに針が刺さっているようだ。
「ちょっと待ってろ。針を取ってくる」
ヴェルナーはズボンを捲り、川へと入って行く。
「大丈夫ですか!?」
「ああ、問題ない」
そうは言うが、見ているこちらは気が気じゃない。
「これは…ん~…」
針が引っかかっている場所に辿り着くと、手探りで針を探しているが、大分苦戦しているよう。
「リディア。すまないが、手伝ってくれるかい?」
「はい!」
一人では無理だと判断したヴェルナーがリディアに声をかけると「よし来た」と言わんばかりに、腕を捲りあげ川に入っていく。
何度かバランスを崩しながらも慎重に足を勧め、ようやくヴェルナーの元へ辿り着いた。
「すまないね」
「いえいえ、気にしないでください。あ、岩に挟まっているんですね」
「そうなんだ。私が岩を持ち上げるから、釣り針を取ってくれるかい?」
「分かりました!」
威勢よく返事を返したが、なにせ慣れない川の中。流れを塞き止めているのも中々しんどい。その上、苔の生えた石に足を取られそう。細心の注意を払いながら作業に取り掛かろうと、足を一歩踏み出した。
「──えっ」
いい感じの苔が生えた石の上に足を乗せてしまったようで、体勢を保てず頭から川の中へ……
「リディア!?──うわッ!!」
バシャンッ!!
助けに駆け寄ろうとしたヴェルナーまで足を取られ川の中へ。
「ぷは」
ヴェルナーに抱かれるようにしてリディアが顔を出した。
「死ぬかと思った…!!」
息を大きく吸いながら、ヴェルナーのシャツにしがみ付くと「大丈夫かい?」と頭上から声がかかった。顔を上げれば、息がかかりそうな距離にヴェルナーの顔がある。
「ヒュッ」と思わず喉を鳴らした。すぐに離れなきゃと思うが、体が動かない。
──目が離せない……
ポタポタとヴェルナーの髪から滴る水が顔に当たる。自分の鼓動が煩い程耳に付く。
(え、ど、どうしよう……)
完全に離れるタイミングを逃してしまった。
「ふっ……」
沈黙を破ったのはヴェルナー。
「あはははは!!こりゃ参ったね」
髪を搔き上げながら笑うヴェルナーにつられて、リディアも笑いが込み上げてきた。
大声で笑ったのは子供の頃以来で、大声で笑い合うのがこんなにも楽しくて爽快だったという事を忘れていた。先ほどまでのドキドキもワクワクに変わっている。この人といると、色んな事に気付かされる。
本当に魅力的な人…
***
その後、びしょ濡れで戻った二人を見た使用人達は、もうてんやわんやの大騒ぎ。とりあえず、濡れた体を拭くようにとタオルを用意する者や、風呂場に走って準備する者と慌ただしく動き回っている。
みんな文句を言いながらも動くのを止めない。あまりにもおかしな光景にリディアはクスクスと笑っていた。




