7 未来と幸福
カレンシオ・マクサージー様が王都に戻られた後のお話をしましょう。
戻られた後、となれば時間経過としては数日後以降になると思われるでしょうが、なんとなんと、馬車が見えなくなって屋敷の中に戻りましょうかとなった本当に直後からのお話。
ファルネルお姉さまが、倒れたのです。
病気ではありません。
お姉さまのお腹には、キリアン義兄さまとのお子が宿っていたのです。発覚したのはその日の夜。お医者様に診ていただいて分かりました。
そこからはドロテ男爵領総出でお祝いやら何やらで忙しい時間になりました。
子どもが生まれるまでは隣国への移住の話は停止となり、移住先――義兄さまの親戚の方も様子を見に来られました。病気を宣告されたこともあって健康という意味でのお元気はありませんでしたが、お姉さま夫婦の吉報に居ても立っても居られなかったようです。
お母さまも王都から領へと戻られ、お姉さまのお世話に加わります。その間、私はお母さまの代わりに王都の研究所に行ったり、領内の視察にお父さまやおじい様と出かけたりと忙しい日々を送りました。
その間にアダムス様は正式に婚約を発表して後に結婚されました。結婚式に招待されて、素直にお祝いしましたが、お相手の女性が何ともふんわり可愛らしい方で、見るからにお似合いだったのが幼馴染として嬉しかったです。
マクサージー様は私に返事を求められませんでした。
予告通りランドル侯爵家での側近の座を辞して、てんやわんやな我が家――私個人ではありません――を支えてくださいました。
お母さまの代わりに王都の研究所で働いていると、ランドル侯爵家のその後の話も入ってきます。マクサージー様が予感していた通りに私の後に婚約者となった伯爵家の令嬢とそのまま結婚され、あれよあれよの間にランドル侯爵家は乗っ取られてしまいました。
どうやらマクサージー様はジョアンニ様に婚約者にするのはどうかという苦言をきちんと呈されていたのですが、聞く耳を持たなかったのだとか。
不安になるのも無理はありませんね。
ランドル侯爵領もいつの間にか占領されたようですが、運営の手腕はイマイチだったようで、結婚から三年後には別の家が領地を運営されるようになりました。
ランドル侯爵家の名は聞かなくなり、代わりに聞こえてくるようになったのはマクサージー侯爵家の名でした。
ええ、そうです。
カレンシオ・マクサージー様のご実家です。
三人のお兄さまのおられる四男なので、交流のあった他家の側近の仕事をなさっていたようです。辞めると言った時も反対はされず、私のような男爵家の令嬢に入れあげていても何も言われないどころか、弟が秘めた想いを寄せた令嬢を捨てたランドル侯爵家には見切りを付けていらして、結婚して家を乗っ取られたのを幸いにすべて覆うように手にしてしまいました。
元ランドル侯爵領もマクサージー侯爵家の三男が治めて平穏を取り戻したとの話も王都に流れてきます。
ファルネルお姉さまは生まれた子どもが一歳になったのをきっかけに隣国へと渡りました。
ドロテ家はいまだにお父さまが当主で、私も勉強中です。
たまにお母さまのいる王都へ通い、研究を続ける毎日を送っています。
そしてドロテ男爵家は子爵へと爵位が上がりました。お母さまの研究が認められたのです。そして今後、私の活躍次第では伯爵へと上がるのも時間の問題かもしれないと国王陛下がおっしゃったと聞かされて重荷に潰れそうです。
というか、なぜか国王陛下は私とマクサージー様のことをご存じで「カレンシオ・マクサージーと結婚するのならば男爵のままではちょっと」と零されたとか。
言われてみれば四男とは言え侯爵家の子息です。
侯爵家の嫡男に見初められて婚約破棄をしたはずなのに。
私の人生はどうなっているのでしょうか。
男爵家に生まれ、おばあさま譲りの外見を持ち、将来を夢見る幼馴染を残してお母さまのいる王都へ行って格上である侯爵家の方に見初められ婚約者になり、そして破棄されて幼馴染に会いに行って失恋。一生独身を覚悟してお姉さまと義兄さまの手伝いをしようと思った矢先に家を継ぐように言われる私の人生。
幸せとは、どこにあるのでしょう。
幸せとは、何なのでしょう。
思えば、おばあさまから受け継いだ外見を褒められることは多く、実際にキリアン義兄さまはお姉さまの外見に惚れて隣国から単身でいらっしゃるほどでしたし、私も夜会などで自慢されるような扱いをされました。
もちろんキリアン義兄さまはお姉さまの外見以外の魅力にもその後惹かれていったのですが。
では、マクサージー様はどうなのでしょうか?
婚約破棄されてから三年経ったある日、ドロテ家で次期領主である私の決裁待ちの書類を持って来られたマクサージー様に聞いてみました。
「あなたは、私のどこがいいのですか?」
それまでまったく求婚の言葉を口にしていなかった相手に尋ねるのは無粋もいいところなのではありますが、たまに部屋に飾られる花がマクサージー様からのものであることは使用人たちから教えられるので知っています。
花言葉に気持ちを込められていることも、分かっています。
返事を聞かれたことはありません。一生このまま私の側近みたいな仕事をしていそうな方に聞けば、関係に変化が出てしまう懸念もあります。
ですが、言葉は勝手に出てしまったのでもう引き返すことは不可能です。
マクサージー様は目を丸くして私の質問に驚いていらっしゃいます。
「……忘れてください。私は何も聞きませんでした」
急に恥ずかしくなって、強引に引き返そうとしますが、二度瞬きをした後に答えはありました。
「あなたが努力家であることを知っています。その姿を見てきましたし、今も目にしています。逃げる道だっていくらでもありましたし、請われれば私が逃げ道を用意しました。ですが、あなたはそれをしない。ご自分にできることがあるならばと考えて行動できる方です。そういうところが……愛おしいのです」
目を細めて、瞳に感情を乗せて伝えてくるのが分かります。
赤くなったであろう顔を隠しますが、きっとマクサージー様には見られています。
「……フィアネル嬢のそういうお顔を、ジョアンニ殿も幼馴染殿も見られたことがないと思うと最高の気分です」
にっこり屈託のない笑顔を浮かべられてはいますが、腹の底に色々と思ってのものであると知ったのはここ半年です。
人は一面だけではないと教えていただいたのは絶対にマクサージー様です。いえ、それまでも見てはいたのだと思いますが、意識したのはマクサージー様がいたからです。
いっそ「マクサージー様のせいです」と言ってしまってもいい気がします。
「あなたの、フィアネル・ドロテという存在すべてが好ましく、恋しく、愛おしいのです。年々大きくなる想いに自分でも驚いておりますよ。あなたの手掛ける研究にも、豊かになる領地を見るのも楽しくてなりません。これほどまでに満ち足りた時間を与えてくださるのです」
決裁待ちの書類を重要度順に説明しながら並べてくださる手腕もさることながら、私への愛を惜しげもなく口にしてくださる。
こんなにも愛を示してくださるのに未だに受け入れられないのはどうしても恐怖が勝ってしまうからです。どうして受けないのかというお声はたくさんいただいております。それでも、婚約破棄直後に受けた初恋の失恋は私に恐怖を植え付けて消えないのです。
「いくらでも待ちますので」
私の心の声が聞こえたような間でマクサージー様が言います。
「気にすることなど、私たちにはありませんしね」
何でもないように言いますが、聞いている私には響いてしまうのです。
お姉さまの一人目の懐妊から三年して二人目の報が届いているのです。
一人目は男の子でした。二人目の性別はまだ分かりませんが、どちらにせよ、意欲があればドロテ家の、私の次の当主になるかもしれません。
そういう状況でもまだマクサージー様に返事ができない私は弱いです。
怖いのです。誰かに期待することが。
期待して裏切られるのが恐ろしくてたまらないのです。
ジョアンニ様は簡単に私を切り捨てました。
アダムス様は無邪気に私の恋心を砕きました。
マクサージー様も同じように私から離れていくのだと考えてしまうと辛くて悲しくて仕方ないのです。
「…………」
「フィアネル嬢?」
書類に目を通していた動きが止まってしまい、声をかけられます。
「……私の顔、どう思います?」
「お顔、ですか?」
「よく整っていると言われます」
「存じておりますが、それが何か?」
「何か……って」
まさかそんな風に返されるとは思っていませんでしたし、私が自分の顔に自信があるように聞こえたらどうしようと焦ります。
かと言って卑下してしまうとおばあさまやお姉さまのことまで酷く言っているように聞こえそうで言えません。
「外見というのは、環境で変化することがあります。生まれは美しくとも、その後の生活によって醜く変化する場合もあります。王都にいると多くの貴族がいますので、よく分かりますよ。つまり、外見なんて最優先にするものではありません。もちろん外見は第一印象に深く関わってくるのでまったく関係がないとは言いませんが、リーン様のように今でもお美しくあられるためには、慈しみ、大事に守ってくださるガンティ様のような存在が不可欠です」
「おじいさまとおばあさまのこと、そんな風に見ていたのですね……?」
「素敵なお二人ではありませんか」
案外祖父母をそういった見方で考えたことがなかったのですけど、言われてみればそうです。おじいさまはおばあさまを本当に大切になさっています。
外見の美しさを保つためには努力が必要で、愛されることが重要だと。
「顔の造形云々より、私は笑顔を見せていただいた方が嬉しいんですよ。好きな人が自分に笑顔を向けてくれたら、これ以上に幸せなことなんてありません」
「言いたいことは分かると思います」
アダムス様に恋していた頃は笑顔も多かった自覚が強すぎて、過去の初恋に顔を上げられなくなってしまいます。
好きな人が笑顔だと、嬉しくなるものです。
好きな人がいるだけで、笑顔になってしまうものです。
深呼吸を繰り返して落ち着いてきたので顔を上げたのですが、目の前に並べられていたはずの書類が綺麗さっぱり消えていました。
まだ決裁待ちのものがあったと思うのですが、とマクサージー様を見ます。
マクサージー様は使用人たちに命じて仕事部屋の家具を移動させて広いスペースを空けさせています。
一体何をするつもりなのでしょうか。
不思議に思っていると、マクサージー様の顔が近付きます。思わず仰け反って距離を取りますが、たまに彼はこうして触れ合ってしまいそうなほど近付いてくるので油断なりません。
仰け反ってできた距離に、すっと手が差し出されました。
「フィアネル・ドロテ嬢。休憩がてらダンスを一曲お相手願えますか?」
「……喜んで」
こうして、時折私たちはダンスを踊ります。お昼のティータイムの前に、夜寝るには早い時間に、誘ってくださるのです。
音楽は流さず、過去に練習していたステップを踏んで、タイミングを合わせて、呼吸を合わせます。
基本的な組み方と、今では目と目を合わせるだけで一歩目が揃うほどにまでなりました。
癖らしい癖のない、踊りやすいステップです。
自然と笑顔になって、私の中にいつの間にか存在していた単純な気持ちが溢れそうになるのです。
――あなたのことが、好きです。
今はまだ言葉にする勇気がないのですが、そう遠くない内に言うだけ言ってみようと思います。
私の努力は、きちんと見ていてくださっているようですので。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
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自分の中ではストレートな恋愛物が書けたと思います。
楽しんでいただけたなら幸いです。
もっとタグを増やした方がいいと思うんですが、何を足せばいいのか分からずシンプルにしています…。