6 後継と告白
夜はぐっすりと眠れました。
泣き疲れて眠る夜ではありませんでした。
しかもマクサージー様とダンスの練習をする夢を見ました。侯爵家で練習していた頃の夢でしょうね。
ジョアンニ様と踊るとタイミングをあちらに合わせなければならないのに練習なんてさせていただけなかったので、最初の頃はよく足を踏んだり踏まれたりしましたが、マクサージー様と踊るとこちらに合わせてくださったり呼吸を合わせるのにカウントを言ってくださるので踊りやすかったのです。
起きて着替えて、朝食に呼ばれたので部屋から出ます。
朝食の場にはまたしても祖父母に父に姉と義兄が揃っていました。
昨夜に引き続き朝食も揃うとなると、さすがに意図があると考えてしまいます。
「おはようございます」
一番不思議な光景に見えるのが、すでにマクサージー様がいらっしゃるところでしょうか。
私が一番最後に来てしまいました……。
「おはよう、フィアネル。よく眠れたか?」
「ええ、お父さま。それはもう」
「マクサージー卿には少し相談があったから早めに来てもらったのだ。フィアネルも座りなさい。朝食にしよう」
「そうだったのですね。ですがお客様であることをお忘れになってはご迷惑になりますからね?」
敵認定されて攻撃されるよりは良かったが、相談とは図々しくはないだろうか?
念のためにマクサージー様の顔色を窺います。
「おはようございます、フィアネル嬢。僭越ながら私にできることであれば協力したく、お話をうかがっておりました」
「……ありがとうございます。マクサージー様は優秀でいらっしゃるので、間違いなくお力になってくださったのでしょう」
笑顔のマクサージー様に胸を撫で下ろしつつ、椅子に座ります。
私が座ったのを見計らって、朝食の皿が運ばれてきました。
「協力いただいたのなら、お礼をしなければなりませんね」
そんな風に会話を一度切り上げようとしたつもりだったのですけれど、あろうことか言葉が返ってきました。
「見返りならばすでに、あなたへ求婚をする許可をいただいたのでお気になさらず」
朝食直前の一言にしては、爆弾発言がすぎませんか?
この場にいたのは私とお母さま以外の全員です。というか、当主の認が下りる求婚って、最終的に選ぶのは私のはずだと思うのですが、間違っていますか?
一応は美味しく朝食をいただきましたが、かつてないほど早く食べ終えたと言いきれます。
これほどまでに落ち着かない朝食があったでしょうか。きっとありません。
朝食を食べ終えても、誰も立とうとしません。詳細を聞きたい私の雰囲気が伝わったからだと思います。
まず口火を切ったのは、ファルネルお姉さまでした。
「実はね、フィーネ……。私とキリアンは隣国に行くかもしれないの」
「お姉さま……?」
食後の紅茶を淹れてもらっているのですが、飲む気が失せてしまうほどショックを受けています。
「キリアンの家から、子どものいない親戚の方が病気を宣告されたという手紙が届いてね? 私たちに継いでくれないかという打診なの。養子を取るくらいならって……。まだ返事はしていないのだけど、ここはほら、お父さまはまだまだ現役だし、おじいさまもいらっしゃるわ。だから、あっちで二人以上子どもを産んで、こちらを継がせるかどうするかを以前から話し合っていたのよ」
「その親戚は小さい頃に二年ほど預けられていたこともあって、断りづらくてね」
お姉さまの言葉に義兄さまも続きます。
爵位があるから余計に断れないのだと聞かされて、私は何も言えません。爵位も子爵と言われては、受けた方がお姉さまたちにも良いと素直に思えてしまいます。
返事に困っている時に、私が婚約破棄されて帰ってきたというのですね。
私がドロテ男爵家の後継者になれば、お姉さまと義兄さまは安心して隣国――義兄さまの祖国に行ける、と。
私が結婚せずにお姉さまの御子を養子として招けば直系にもなります。
「だから、お前が帰ってきたときには驚いたのだ。婚約破棄の内容には腹が立つが、フィアネルはこの男爵領に戻るべき運命だったのではと思ったのだ」
お父さまが申し訳なさそうに視線をずらして言います。
おじいさまもおばあさまも、微笑んではいますが私に対してどこか懇願するような顔をしています。
「いい、のではないですか? 私もこうして帰ってきましたし、お姉さまと義兄さまのお手伝いをしてこれからは生きていくつもりでいたので、驚いてはいますが……」
はて、と一つ疑問が浮かびます。
これまでのお話の中で、マクサージー様に相談する内容とは何だったのでしょう?
侯爵家の優秀な側近の方に相談するまでもない内容だったかと思いますが。
「フィアネル、お前が男爵の位を譲るに十分な素質かどうかをマクサージー卿に聞いていたのだ」
お父さまの言葉は、私の胃の中を重くしました。
お姉さまが義兄さまと隣国に行っても、お父さまもおじいさまもおられる現状から大きく変わるわけではないと思っていました。
お姉さまが二人以上子どもを産めば、一人をドロテ男爵領の次の領主にするという話でしたから、私は予定通り領地に残ったり王都に通ったりして私なりに領地に貢献すればいいのだとばかり。
けれど、私が浅慮だったのだと突きつけられたのです。
お姉さまの子が跡継ぎになると仮定しても、お父さまの次の領主の席をそれまで空けておくわけにはいかないのです。
それに、本当にお姉さまが二人以上の子を産めるとも限らないのです。
「お前は侯爵家で目一杯努力したと聞いた。今後我がドロテ家が子爵以上になったとしても問題ないとマクサージー卿は評価してくれている。あとは領主としての教育をすれば問題なく後継者になれるとも」
「…………」
衝撃です。
ジョアンニ様に婚約破棄を宣言された時以上の衝撃です。
要するに、私が中継ぎの――次代の男爵になるのですか?
「今はまだ退くつもりはないが、それでも次の者への教育はしておかなければならない。男爵だから侯爵家のような教育とまでは言わないが、それでも自領の統治という教育は必要になる」
「覚える内容としては、通常の嫡子よりも少なく済むと思います」
お父さまの説得にマクサージー様も付け足すように言いますが、どうしてお父さまたち側に立っているのかが分かりません。まるで後は私だけ――なんですよね。そうでしたね。
いえ、男爵領に戻って仕事を手伝ってほしいと言われるだけならばすぐに頷くのですが、ことが次の当主の話なので慎重になってしまいます。
というのも、正直に、はっきりと言ってしまうと、侯爵夫人という肩書きですら私には重いと思っていたのです。
貴族の家を背負うのに相応しい精神を持っていないのです。
お姉さまは私が王都に行くことになった頃にはすでにお父さまに付いて領地内を視察に行ったりなどをしておりました。責任感の強いお姉さまを尊敬しております。
お母さまも研究に熱心で、その背中を見て私も研究職に就きたいという夢を抱きました。女性ながらに強いお母さまを尊敬しております。
私はずっと、そんな二人の女性の後ろに控える立場だったのです。お手伝いやお助けする立場を受け入れていたのです。
「フィアネル……今すぐ返事がほしいわけじゃない。だが、引き受けてくれたならすぐに婚約者候補を探さないといけないし」
「え」
婚約者、必要なんですか?
結婚、しないといけないんですか?
それは、ちょっと、どうしましょう。
狼狽えるのを隠せない私にお姉さまが「お父さま、今日はもう止めておきましょう?」とこの場の解散を提案しました。
助かったのは助かったのですが、この場の解散ということはマクサージー様の王都お帰りの時間をも意味しています。
なのでお見送りです。
ドロテ家の前には馬車がいつでも出発できるように待機していて、荷物もすでに積み込まれた後です。荷物と言っても突発的な宿泊でしたのでほとんど無いようでしたが。
マクサージー様が乗り込んで御者に出ることを伝えれば帰って行かれます。
本来であれば「わざわざありがとうございました」で終われるのですけれど、どういうことなのか、私への求婚を示唆されてのご帰宅になります。
私は私で男爵家の継承について悩まなければならなくなってしまったので、中途半端です。
「フィアネル・ドロテ男爵令嬢」
馬車に乗り込むためのステップに片足をかけた状態で名前を呼ばれます。
「また来ます。あなたが領のために努力する手助けをするために。そして、次はあなたの忘れ物を届けるのではなく、あなたのための花束をお持ちします」
「マクサージー様、私は……もう婚約や結婚に疲れたのです。ですから、あなた様はどうか優しく可憐なお嬢様を見つけて幸せになってください」
マクサージー様が私に求婚をしてくださるなんて、きっとマクサージー様がお優しいからに違いありません。慰めのためだけに求婚なんて、お互い虚しいだけです。
ここではないどこかで幸せに暮らすマクサージー様を想像して微笑みます。ですが、マクサージー様は一瞬だけ悲しそうな目をされたかと思うと、顔が近付きました。
驚くよりも先に、耳元で囁かれます。
「ジョアンニ様との婚約破棄を唆したのが私だということも、忘れましたか?」
――あの方はあなたの顔が好みなだけですので、飽きたり嫌気が差したら解消もあり得るのでは?
ハッとして顔を上げると、頬にキスをされてしまいました。
慌ててキスをされた頬を押さえて距離を取ります。
婚約破棄されるように行動したきっかけがマクサージー様だと思い出したのですが、今のキスの意味を考えれば、もしかして、マクサージー様はあの時にはすでに私のことを……?
「やっと訪れた機会を逃すわけにはいかないので、またお会いしましょう」
馬車の中に乗り込む足取りが軽いように見えました。
御者の方が馬車の扉を閉めて、マクサージー様とは窓越しに視線が合います。
「私もあなたとのダンスの時間が、侯爵家の中で一番良い思い出でした」
「マクサージー様……あの、私……」
どう返せばいいのかまとまりません。
お気持ちに応えられないのに、あのダンスの時間を思い出すと何も言えなくなるのです。
言葉に詰まっている間に馬車が走り出してしまいました。
またいらっしゃるとマクサージー様は言いました。それまでに、お返事を少しでも考えておかなければなりません。
このまま最終回もどうぞ。