3 側近と謝罪
「この、ドレス、はっ、いつ、どこで買われたのですか⁉」
初めて見るドレスを着付けられ、ウエストを締め付けられながら聞きます。本日お世話をしてくれているのは羊飼いの旦那さんを持つ奥様のコリンナさんです。細い体のどこにそんな力があるのか分からないほどウエストを細く締め上げられております。
「王都にいる奥様より届けられたものです。お嬢様が到着された次の日に届きました。悲しい思い出は煌びやかなドレスで上書きしてしまえばいいのです、とメッセージが添えられておりました、よ!」
「ぎゃんっ!」
三日三晩泣き続けていたせいで色んな新情報に驚きが止まりません。
真っ赤な布を惜しげもなく使われたAラインのデイドレス。白い布が刺し色として胸元や裾にあしらわれ、濃い紫のリボンでウエストやスカートの裾などに彩りを足しているのでとにかく派手なドレスです。
男爵の位の貴族には分不相応極まりない配色としか言いようがありません。
ただ、光の当たる加減で真っ赤な布は深みを増して落ち着いて見えてしまうところにお母さまの考えが伝わってくるようです。
お姉さまとお揃いの明るい茶色の髪も巻いてもらい、ドレスのものと同じ紫のリボンで結ばれます。
目元の赤みは完全には取れなかったので、メイクで隠してもらいました。
今日コリンナさんが選ばれたのはウエストを締める力もそうですが、メイクの技術も伴った方だったからのようですね。
そうして完成した今日の私を鏡で確認すると、大変驚きました。
派手な色のドレスを着ているからなのか、メイクの完成度なのか、私が初めて見る私でした。
王都に行くと決まった頃の私はまだまだ子どもだったのだと思い知らされます。
「コリンナさん、すごいです……」
「私なんて、奥様から贈られたドレスに似合うように仕上げただけですよ。……美しい淑女になられましたね、フィアネルお嬢様」
「コリンナさん……」
「さあ、淑女の戦装束と言えばドレスです。憎き侯爵家から派遣された側近など圧倒してさしあげましょう!」
曖昧に笑うしかできません……。
特に憎くも思っていないのです、とは言えません。
けれど、アダムス様のことを言えば次の怒りの矛先がアダムス様のワイドウェン子爵家に向きそうなので黙るしかありません。
お隣の領地で家族ぐるみで仲の良い家なので、これからも変わらず過ごしていただきたいのです。
まだ初恋に敗れた胸は痛みますが、戦火の原因になるくらいなら潜めていた方が無難です。お姉さまには言ってしまいましたけれど。
お姉さまとキリアン義兄さまに呼ばれて部屋を出ます。
ランドル侯爵家の馬車が到着したとのことです。出迎えがないのはせめてもの抵抗だそうで、側近の方は応接室に通されているようです。
応接室の前に到着すると、すでにお父さまとお話されているのか、声が聞こえてきました。
扉越しでは具体的に何を話されているのか聞こえないのは、お父さまが怒鳴っていないことの証明でしょうね。
お姉さまが扉をノックします。
「お父さま、ファルネルです。フィアネルを連れて参りましたわ」
「開けなさい」
すんなりと許可を得て扉が開きます。
応接室の中、お父さまの向かい側に座っていたのはやはり、ジョアンニ様の側近のカレンシオ・マクサージー様でした。
すっと立ち上がったマクサージー様は胸に手を当てて頭を下げます。
「ジョアンニ・ランドル侯爵令息側近のカレンシオ・マクサージーと申します。本日は謝罪の場を設けていただき光栄に存じます」
お姉さまとキリアン義兄さまが私に返事をするようにと移動します。
「マクサージー様。本日はわざわざ来ていただいてありがとうございます。何やら私の忘れ物を届けていただいたようで申し訳ございません」
ドレススカートの裾を持ち上げて腰を下げて、戻します。
マクサージー様と目が合うと、目を細めて微笑まれました。
「とても美しい装いですね。ジョアンニ様は本当に見る目がなかったとしか言いようがありません」
「お褒めいただき恐縮です。ですが、私では身に余る装いでありますので、ランドル侯爵令息様の目は確かだったのでしょう」
私とマクサージー様のやりとりにお父さまもお姉さまも目を丸くしています。
こういったやりとりは下位貴族の間ではほとんど起こらないと聞き及んでいますので、驚くのも無理はないのでしょう。
婚約破棄したうちの主がすみません。
いいえ、婚約破棄してくださってどうもありがとうございました。
それが今のやりとりのすべてです。
つまり、このやりとりだけで謝罪は終わりました。そして、謝罪はオマケであったことの証明です。マクサージー様は私の忘れ物を届けに来たのが本当の理由だったようです。
「……フィアネル、ファルネル、キリアン君、掛けなさい」
「申し訳ありません。お掛けいただく前にこちらをフィアネル・ドロテ様にお渡しさせていただきたい。手紙に書いた渡したいものでございます」
お父さまが私たちに座るように促す言葉を遮って、マクサージー様が連れてきていた使用人から花束を受け取ります。
オレンジ色の大輪の花で作られた大きな花束です。
「これは……!」
お姉さまが思わずと言ったように声を上げ、キリアン義兄さまが寄り添います。
お姉さまが驚くのも無理はありません。
この花は、お姉さまが好きな色ですから。
ただのオレンジ色ではありません。
お姉さまがお好きなのはオレンジと――白色です。
花も当然そのような色合いになっているのです。
内側は白、外側はオレンジ。そういう配色になるように――私が研究して生み出した色なのです。
配色のバランスに苦労したものです。
「マクサージー様、ありがとうございます! 私が育てていた花を持ってきていただいたのですね!」
「当然です。あなた様が大事に育てていた花を持ち帰る暇すら与えられず、申し訳ありませんでした」
「いいえ、いいえ! それでも持って来ていただけたのですから謝罪は不要です! ああ、夢のようですわ!」
ランドル侯爵家の庭の一部を借りて作っていたのはこの花のことでした。
お姉さまの好きな配色で咲かせることこそ、虚しい花嫁修業と高位貴族教育の慰めでした。
マクサージー様から花束を受け取り、すぐにお姉さまに向けます。
「お姉さま、受け取ってくださいますか? いえ、義兄さまも! この花に名前はまだ付けておりませんの! 最初はお姉さまの名前にして寂しい心を慰めるつもりでいましたけれど、今となってはその必要はございませんわ! お二人でどうか名前を付けてくださいませ!」
王都にいた頃、お母さまはいてくださったけど研究を優先されるお母さまと侯爵家にて教育を施される私。そんな私の光がこのお姉さまを想った花でした。
それを持って来てくださったマクサージー様には感謝の言葉だけでは足りないほどです。
突然花の名付け親になれと言われて困惑しているお姉さまと義兄さまを放って、再度マクサージー様に頭を下げます。
「此度のことだけならず、婚約破棄の書類の作成から提出までしていただいたマクサージー様には深く御礼を申し上げますわ」
「……では、こちらは必要ありませんか?」
そう言うマクサージー様の言葉に頭を上げれば、両手に白いハンカチを持ち、開いていきます。中から現れたのは、花の種でした。
「こちらは!」
「忘れ物の方、先ほどの花束の種にございます。フィアネル様がお部屋で大事に保管されていたものを持ち出されなかったのでお持ちしました」
「ありがとうございます!」
思わずマクサージー様の手ごと握りしめてしまいました。
せっかくお持ちいただいた種は無事でしたが、私の興奮は冷めません。マクサージー様の手は離しましたが、それでももう一度御礼を申し上げました。
「それほど喜んでいただけたのであれば、お持ちした甲斐があるというものです」
そうしてようやく、入室して初めて私とお姉さまと義兄さまはソファに座ったのでした。
「お部屋、暑かったでしょうか?」
対面にお座りになるマクサージー様のお顔が赤くなっていたので、もしかすると緊張から体が熱を発していたのかもしれません。もう一度立ってせめて応接室の扉を開けて風通りをよくしようとすると止められました。
「い、いえ、問題ありません。お気遣いいただき……恐縮です」
そう言いながら手で隠されていても赤い顔は隠しきれていません。けれど、追及しすぎても嫌がられるだけでしょう。私は座り直すだけになります。
私の隣に座っているお姉さまが微笑んでいますけれど、どうしたのでしょうか?
元婚約者の側近の方と普通に話している私に安心してもらえたのでしょうか。そうだと嬉しいのですけれど、どことなくお姉さまの微笑みに懐かしさを覚えました。
なぜでしょう?
私が少しだけ考え事をしてしまいましたが、マクサージー様の咳払いで我に返りました。
深く、深く頭を下げていて、マクサージー様の後頭部まではっきりと見えます。
「先ほどドロテ卿にもお伝えしましたが改めて、フィアネル・ドロテ男爵令嬢には大変申し訳ないことをしました。主に代わり、謝罪申し上げます」
「はい、謝罪を受け取ります。ですので頭を上げてくださいませ、マクサージー様」
「……ありがとうございます」
すんなりと謝罪を受け取った私だったのですが、中々マクサージー様は頭を上げてくれません。
「マクサージー様……でしたね? 本来ならランドル侯爵と夫人、もしくはご本人からその言葉を聞きたかったですわ。ですので、妹の言うように頭をお上げになって?」
お姉さまの少し尖った声に、マクサージー様がゆっくりと頭を上げます。
「わざわざ謝罪と慰謝料をお送りいただいてご苦労様でした。何より、妹が侯爵家に置いてきてしまったものを届けてくれて本当にありがとうございます。ですが、次期侯爵の側近にしては少々……主思いが過ぎるように見えますわ」
「返すお言葉などございません」
お姉さまの苦言にも即答です。
どこまでを想定して来られたのか見当もつきません。
お姉さまの言うように、側近にしては出来すぎな方です。それは侯爵家にお世話になっていた私も同意見です。お仕事のしすぎで顔色が悪くなっているのを何度か目にしましたし。
出来すぎ、というよりも、ジョアンニ様にはもったいない方だと言えます。
「ねえ、お父さま。王都からこの屋敷まで確か馬車で三日もかかると記憶しているわ。フィアネルの言うように婚約破棄の書類作成や謝罪のために来てくださったこともあるのだし、今日はお泊りいただいたらいかがかしら?」
「えっ、それはしかし、ご迷惑になるかと」
「そうね、今からお部屋を用意しなければならないので少しだけ領地を堪能していただけると助かりますわ。案内はフィアネルに任せます」
「お、お姉さま?」
「ふうむ。ファルネルの言うことも一理ある。何せあのランドル侯爵家の話を聞かされた中で唯一と言っていいほど味方してくれた方のようだし、フィアネルも貴殿のことは悪く言っておらん。マクサージー殿さえよければ、一晩身を休めて戻られたらと思うのだが、いかがか?」
お姉さまもお父さまも、一体どうしたというのでしょう?
確かに王都からここまでは三日も馬車で揺られるので、疲れます。しかしどんな気持ちで単身我が家に来られたか計り知れないマクサージー様を引き留めるような真似は理解できません。
マクサージー様も返事も困っておられます。
ですが、私が止めようと口を開いた瞬間にお姉さまに腕を絡めとられました。
「何より、お母さまから贈られたこのドレスを、家族や身近な人間以外にも見ていただける機会を逃せませんの。そう言えばマクサージー様は最初にフィアネルのドレス姿ごと褒めていただいていましたわね? できることならもっと褒めて差し上げていただけます? この子ったら、帰ってきてしばらく塞ぎ込んでいたもので、自信を無くしてしまっているのです。謝罪と仰るならば、この子に自信を戻していただけるとありがたいですわ?」
徐々に早口になるお姉さまをキリアン義兄さまが窘めるように肩に手を置きましたけれど、最後まで言い切ったお姉さまは満足げです。
マクサージー様もお姉さまの勢いに圧されたのか、それとも謝罪に来たという引け目からか、これ以上の拒否をされようとなさいません。
それどころか、
「それでは……お言葉に甘えさせていただきます」
見事に屈されてしまいました。
続きはまた明日投稿します。