1 破棄と失恋
「お前のような下民じみた女と結婚することはできない!」
そう叫ばれて流れるように婚約は破棄になりました。相手様の側近の方が深く頷いたのを見て、きっと適切に書類を作成して提出してもらえるんだろうなぁと確信してから私は立ち上がり、この上なく深く頭を下げた。
「お世話になった覚えはありませんが、婚約関係の解消は大変嬉しく思います。どうぞこれからもご多幸のあらんことを――と祈るほど強固な関係でもありませんでしたね。とりあえず……ごきげんよう」
言いたいことも言い残すこともなく、挨拶だけはしておかなければの気持ちだけで言い切って応接間を出る。廊下をはしたなくはないギリギリのスピードで進み、屋敷を後にする。
――やった、やった、やりました! 晴れて自由の身になりました!
全身を駆け巡る解放感と高揚感を隠そうともせず、スキップしそうになる足をなんとか堪えて私は生まれ故郷の領地に帰りましょう。
王都で花嫁修業なんぞをさせられていましたが、それももうありません。
王都にある、ほとんど過ごすことなく終わったこじんまりとした屋敷に戻るなり「領地に帰るので馬車をお願いしていいですか? それから手紙を書くのでどなたか先に馬で届けてほしいのだけど」と使用人たちに用事を伝える。
そうして領地に戻れたのは三日後のこと。
馬車は真っ直ぐ家に向かおうとするが、途中で下ろしてもらう。
すでに手紙は届いているはず。
婚約はなくなりました。
結婚の予定は消えました。
特定の相手はもう、おりません。
「アダムス様、今すぐあなたにお会いして、今度こそこの気持ちを伝えますわ!」
胸に秘め続けた想いを、諦めなくて良かった。
なんという言葉で伝えよう。言葉だけでは足りないかもしれない。そんな希望と期待を持ちながら訪れた隣の領地。
想い人は、私を屋敷に招き入れた直後、挨拶もそこそこに言った。
「フィアネル、僕は一世一代の求婚に成功したんだ!」
☆
自己紹介は大事です。
フィアネル・ドロテ。
ドロテ男爵領を治める家の次女。それが私です。
ドロテ男爵領は小さな領地ながらも穏やかな気候と気風が自慢で、特別貧しいというわけでもないのに領主の家族自ら農作物や土産物の生産などを手掛ける素朴な家族は、領民との距離が近いのが特徴でしょうか。
長女のファルネル・ドロテと次女のフィアネル・ドロテという、年の差はあれど双子のように似た姉妹が有名と言えば有名でもあります。
現在領主を務めておりますジャンガ・ドロテの母――私の祖母になりますリーンが大変美しかったため、領地には祖母目当ての観光客が増えたと聞いております。おかげでそれまで貧しかった暮らしが嘘のようだと笑っていたのは未だに現役で鍬を振るう祖父のガンティの言葉です。
姉のファルネルは次期男爵を継ぐことが決まっており、二年ほど前の十九歳で結婚しました。お相手のキリアン様はお隣の国の生まれではありますが、ファルネルに一目ぼれをして一心不乱に勉学に励み、かなり求婚を頑張って婿の座を掴んだようです。
本当はまだ結婚までに時間を使うようでしたが、なんと私が原因で早めてしまったのです。
と言うのも、ドロテ姉妹と言えば国内では有名な美人姉妹だったようです。
ようです、とは私にその自覚がなかったからですね。もちろん姉のファルネルにも。
祖母が美しく、その血が流れたため容姿が整った状態で生まれてしまった姉妹。もちろん父も見目麗しいのですが、いかんせん生まれが男爵。そして外に出て働くことが当然の我が家なので令嬢の皆様からは敬遠されてしまいました。母のリアンノは父の幼馴染である王都に暮らす変わり者の植物学者です。今も領地と王都を行き来して栽培しやすい野菜などを研究しております。これもまた領地にとって有益な資源をもたらしてくれているので尊敬されております。さすがお母さま。
話が逸れましたね。姉の結婚が早まった理由ですが、妹の私も祖母の血を受け継いでおりまして。
ええ。あの、整った容姿と言われることは多いです。姉や当時の祖母には劣ると思うのですが。
そうして目を掛けていただいたのが王都住まいの侯爵家の長男であらせられる方でした。
ジョアンニ・ランドル様。
侯爵家の方が男爵家の次女を見初めるなんて本当ならばありえませんが、ジョアンニ様が王都の母の元で手伝う私をお見掛けになったようで、すぐにお声がかかり婚約者になってしまいました。それが三年前。私が十四歳の話です。
そして三年の侯爵家の教育――並びに高位貴族の教育が完了した後に結婚する流れになりました。
なので自動的に妹よりも後に結婚するのはよろしくないからと、妹の婚約の一年後に姉は結婚しました。
二年経っても後悔はしていないようで、それだけは安心しております。
ちなみにまだ子は授かっておりませんが、どうやら私を心配しているようです。
何せ強引に結ばれた婚約でしたもので、当然こちらから断れるわけもなく、男爵家の生まれですので何かと嫌味を言われるのではと思われておりました。
正解でございます。
ランドル侯爵家は名家と言われておりまして、王宮での仕事を賜っておいでです。そんな名家の嫡男ともあろうお方が男爵家の娘を見初めたなどと、噂をしてくださいと言っているようなものでした。
婚約披露の宴では王都に暮らす他の年頃の令嬢方からたくさんの嫌味や暴言をいただきました。
侯爵家に挨拶に行く度にご家族や使用人の方々から蔑まれました。
唯一私を守ってくださったのは、ジョアンニ様の側近として教育中のカレンシオ様でしたでしょうか。守るというか、庇ってくださったことは多かったように思います。
彼の方にしてみれば、いずれ嫁いでくるかもしれない女性相手に無碍な扱いをするわけにはいかなかっただけでしょうけれど。
婚約破棄を告げられた今となっては、彼の方も気を遣う相手が一人減って清々していることでしょう。
と、まぁ、ざっくばらんに私のことを話したわけですけれども、それは年頃になって以降のこと。
言い換えれば、家族のことと三年前からこちらのことです。
三年前――正しくは三年と半年前くらいですけれど、王都の母の元で手伝うようになったのは母が私を呼び寄せたからに過ぎません。手伝いがほしいと。手伝いがあれば領地に戻って休めるからと。そういった内容から私が送り出されたのです。
姉は後継者の指名を受けたばかり。他国からの客人に右往左往していたので姉と同等に領地の作物を理解する私が選ばれただけです。婚約者の選定にも難航しているという悩みもありました。その頃にはキリアン様からの熱烈なラブレターも大量に来ていましたし。
ですが、私だって恋愛感情を抱えておりました。
ええ。それがアダムス様――アダムス・ワイドウェン子爵令息様です。
私の一つ年上で、家族ぐるみで仲良くさせていただいていました。
ファルネルを姉と慕い、私にも優しくしてくれていた方。本当の最初の頃は兄のように私も慕っておりましたけれど、彼は、アダムス様はいつか私と子爵家を継げたらいいねと言ってくださったのです。
当時はアダムス様も子供でしたので、きっとそれが求婚に等しい言葉だと意識はしていなかったのでしょうけれど、私はその瞬間からアダムス様に恋をしたのです。
幸せでした。
私もいつか結婚をして家から出なければならないことはうっすらと理解していたので、すぐ隣の領地で家族間の交流も多いワイドウェン家ならばと喜んだのです。
私が五歳、アダムス様が六歳の頃のお話です。
姉はこの時九歳でしたので、私たちのことを微笑ましく見ていました。
十四歳で王都に母の手伝いに行くまで、この将来は確実のものだと思って疑いませんでした。
全七話です。
よろしくお願いします。
三話まで一気に更新します。