2話 高飛車青年
結果から言おう。マフィンは売り切れだった。
指示された商店に行くと、伯爵家使用人を名乗る者が、お土産にするからと、あるだけ全部、買ってったらしい。
買ったのはオデール伯爵に違いない。リアはひと足遅かったのだ。
配達員さんの馬で時短したのにも関わらず、空は日暮れを迎えようとしていた。
リアは今日は帰るのを諦めて、バスチアンに言われた様に、入り口を目指して街を彷徨った。
デロンの街は古く、田舎独特の自由な街並みで、特徴のない木造住宅がごちゃごちゃと並んでいた。トキメク物どころか、目印になる様な建物すらなくて、迷いに迷ったリアが人気のない教会にたどり着いた時には、日はどっぷり暮れていた。
疲れきったリアは、こっそり教会に潜り込むと、沢山ある長椅子の1つに横になり、体を休めた。
いつの間にか眠っていたのだろう。人の気配に目を開ければ、すぐ近くに男の人がいて、静かに祈りを捧げていた。
教会の中は暗く、正面のステンドグラスからの月明かりだけが、祭壇を前に跪く男の人を、まるでスポットライトを当てるかのように照らしている。
金色の髪をした美しい青年だ。手足は長く仕立てのいい騎士服を着ている。全てが完璧に整っていて、とんでもなく繊細で美しく見えた。
その神々しい光景に、リアは息をするのを忘れた。
金の髪が揺れ、青年が顔をあげる。
「精霊王フェオ様。日々心からの祈りを捧げる貴方のしもべにご慈悲を……。どうか明日、会う人物がリアであります様に。国中を探した。もう、これで最後なんだ……どうかもう一度、リアに会わせて下さい」
途端に青年から沢山の精霊が溢れた。それは、ふわふわと何かを探す様に空中を舞うと、見つけた!とばかりにリアの方にやって来た。
「うわっ!」
光の嵐に襲われ、リアは思わず呻いた。その声に、青年は即座に立ち上がると、冷めた眼差しでリアを射抜いた。
その綺麗に整った顔よ!拝みたくなる位の神々しさ!
でも、次の瞬間、青年は腰の剣に手をかけた。
「……お前。何故そこにいる!!」
「!?」
何故と言われても……。
「疲れたから、ちょっと休ませて貰ってたの……ごめんなさい」
教会って、万人に開かれてたんじゃないの?びっくりして、思わず謝っちゃったけど!!
「いつからそこにいた。俺の声を聞いたか?」
青年は、つかつかとこっちにやって来る。
「私の方が先にいたのよ。起きたら貴方がそこにいたんじゃない」
「俺の祈りを聞いたのかと訊ねている」
「聞いたわ。……リアって、私じゃないよね?」
って言った途端、長い剣の先が首に突き付けられていた。
「お前の様な愚民が、リアな訳がない!その名を騙るな!」
リアは固まった。視線を下に向ければ、鈍く光る剣は鏡面の様。リアの顔がしっかり映ってた。
よく手入れされた剣ね!なんて、言ってる場合じゃない。それがほんの少し動けば、リアの首は無事ではないだろう……ゾクリと震えた。
青年は青くなったリアの目を見つめ、更に圧をかけてきた。
「いいか、俺は愚民の命など容易く消せる立場にある。再び彼女の名を騙る様な事があれば、お前の命はないと思え」
青年はそう言い捨て、剣を引くと踵を返した。その高慢な態度に、リアは憤りを感じた。だって、リアの存在を否定された気がしたから!
リアは思わず立ち上がり、思い切りその背中に言い返していた。
「私はリアよ!偽物じゃない!」
「まだ言うか!」
青年が足を止めた。でも、リアは止まらない。
「リアって名前はね、亡くなった母からの贈り物なのよ!なのに、あなたは、庶民だからって偽物扱いして切り捨てるの?このリアだって一生懸命生きてるのに!」
この世界は庶民に優しくない。そんな事は分かっていたはずだ。リリアは爵位を失い、兄も屋敷も失った。それなのに、今度は命まで奪うつもり?……ん?兄?いたの?
「ふっ。何を言い出したと思えば、そんな事か。お前の名の由来など、どうでもいい。だが、俺が探している人の名を騙ったのでなければ許そう。とっとと消えるがいい!」
許そうって……。この人ったら、どんだけ高飛車なの?
まるで小説の中の悪人の様な言い草に、気付けばリアは、ノリノリで言い返していた。
「分かった。消えるわよ。あなたみたいな高慢チキな人とは、もう関わりたくないし」
プンプン。
「……何だと?」
青年が振り向いた。ヤバい!怒らせちゃった!
リアは命の危険を感じ、バスケットを抱え駆け出した。幸い、教会の出口はひとつじゃない。
リアは教会の横の扉に手を掛けると、急いで外に出た。そこには、沢山の騎士様が!
え?この騎士様達って、オデール伯爵の護衛じゃなかったの?……あの人、何者!?
リアは頭に巻いた布で顔を隠すと、急いでその場を去った。
街灯のない街の中は影が濃くて、とても怖かった。酔っ払いだか、ならず者だか、辻斬りだかがうろつく中、リアは自分の足音に怯えながら、ひたすら走った。
そうだ。ここは小説の中なんかじゃない。リアの命なんて、軽く消されてしまう世界なんだ。
リアはリリアの体を乗っ取る気なんてなかった。リリアが戻ったら潔く消えよう。そう決めていた。なのに、こんな風にリリアを危険に晒してしまうなんて、なんて馬鹿な事をしたんだろう!
「ゴメンね、リリア。リアがもっとしっかりしてたら……」
リリアはまだ15歳だ。リアが守ってあげないといけないのに!
どれだけ走ったか……。
フラフラになって立ち止まったリアの目の前に、見覚えのある門が見えた時には、訳の分からない感情に支配されて泣いていた。いつの間にかリアは、街の入口にたどり着いていた。
そこに、見覚えのある幌馬車と執事服が見えて、リアは崩れ落ちた。忙しいのに、本当に来てくれたんだ!!
「リリア様!こちらにいらしたんですね!ご無事で!」
「バスチアン!!遅くなって、ごめんなさい!!」
リアはその胸に抱え込まれ、泣いた。
涙が溢れて止まらなかった。リアは今ほど、自分が小さくて無力だと感じた事はなかった。
バスチアンは何も言わずリアを御者席に押し上げると、横に座り、すぐに馬を走らせた。
屋敷に戻る馬車の中、バスチアンは何も聞かないでくれた。おかげでリアは、頑張って涙を引っ込める事が出来た。迷子になって泣いてたなんて、恥ずかしいじゃない?
屋敷に着くと、夜遅くにも関わらず、使用人みんなが起きていてくれていて、リアの無事を喜んでくれた。リアは御礼を言いながらまた泣いちゃって、メイドさん達によしよしされる事に!恥ずい。
夜も深け、バスチアンに解散を宣言された時には、リアはクタクタ。でも、自分の部屋である屋根裏部屋に戻れば、それは心地よい疲れに変わっていた。皆のいるここが、今のリアの家。リアは幸せ者だった。
リアは部屋の開け放たれた窓枠に腰掛けると、ポケットから高級お菓子の箱を取り出した。
「さあ、お待ちかねのお菓子ですよ――!」
精霊さん達はお菓子が大好き。メイドさん達には内緒だけど、リアは精霊さんとお菓子をシェアして食べる事にしていた。ちっちゃなお菓子だけど、精霊さんにはちょうどいいからね!
リアがそっとお菓子の箱を開けると、キラキラと沢山の精霊さん達が集まって来るの。
それは、とても暖かな光で、リアの心も体も温めてくれる。って、あれ?いつもよりめっちゃ多くない?
『うおっ!何だこの数!有り得ねぇ!!』
妖精さんが、リアの髪の中から慌てて出て来て、光の中に突入していった。そういや忘れてたわ。
余力があればこの可愛い食玩さんとも、絡みたいとこだけど……今日は色々あって……もうムリ。
リアは訪れた眠気に抗えず、そっと窓辺にお菓子を置くと、チクチクする藁のベッドで丸くなった。
明日は頑張ってみんなのお手伝いをしよう。……マフィン、買って来れなかったけど、怒られないといいなぁ。
『近寄るな!散れ!!俺様のお菓子が――!!』
俺様言ってけど、精霊さんってめっちゃ可愛い声!
リアはちょっとだけ笑いながら目を閉じた。
ドンドンドン!!
「リリア様!申し訳ありませんが、急ぎ、支度をお願いします!」
翌朝、けたたましい音で目を覚ましたリアは、ぼーっとしたまま、はーい。と返事をした。窓の方を見れば、もう日が昇ってる。ヤバい!お弁当!!……は前世の習慣だったね!
前世、莉亜には母親の違う双子の弟がいた。新しい母は仕事が忙しく、長女の莉亜が毎日のお弁当作りを担当してたんだけど、たまに寝坊した時には、本当に冷えたものだ。
なんて考えてる間に扉が開けられ、執事バスチアンが飛び込んで来た。後ろには、同僚のメイドさん達もいて、何故か焦った様子でリアのメイド服をひっぺはがし始めた。
「リア様。領主様がお呼びです!急ぎお支度を!」
しかし、頭から被せられたのは、ピンク色の可愛らしいドレス。入らなくはないが、どう見ても色々短い。……あ!これ、リリアが昔着ていたドレスじゃん。屋敷に入れなくて、取りに行けなかったやつ!
「バスチアン様!このドレスで謁見は無理かと!」
メイドさん達が焦ってる。追い出されてから3年。リア、成長したよ!
「確かに……では、誰か!オレーリアお嬢様のドレスを拝借して来て下さい!」
オレーリアお嬢様はロザリー婦人の娘だ。リアと同じ15歳の小悪魔系女子なんだけど、リアにはキッついんだよね。……リア、精神攻撃には弱いです。
しかし、すぐさま用意されたオレーリアお嬢様のドレスは、リアの身体の何処にも引っかかる事なく床に落ちた。
「無理です!今から詰めるには時間が……!下着を20枚ほど重ねましょう!」
テンパってる。
リア、皆の必死な様子に、申し訳なさが積もります。
「ゴメンなさい。リア、胸ないんだよね」
胸どころか、肩も尻もない。
「仕方ありません。洗濯中という事で押し通しましょう」
それならシャレオツっぽく、ドレスコードがあるのなら事前に教えといて下さらない?……ってのどう?リア、言ってみたかったんだよね!キラリ。
結局リアは、髪だけを整えられていつものメイド服のまま、お隣のロザリー婦人館に連れて行かれた。
久しぶりに入った元リリベル家の屋敷は、豪華な装飾品でゴテゴテに飾られていて、知らない屋敷のようで、緊張する。あれ?これはリリアの記憶?
そうしてリアが通された客間には……。
「……高飛車青年じゃん」
陽の光の元、神々しいまでに完璧なお姿の青年は、リアを見て、飲みかけていた紅茶を吹き出した。
『あ、俺こいつ知ってる!第2王子じゃん?』
耳元で妖精さんの囁きが聞こえる。物知りね!って……。
王子様!?身分高っ!
高飛車正解だわ、ゴメンなさい!!
リアは即座に口チャックした。