おいでませ獏羅村⑦
私は起きた。
陽気な日差しを受けながら、眠い目を擦る。しかし違和感に気がつく。瞼を擦った時に、粘着質な感触がした。
慌てて自分の身体を見ると、蜘蛛の糸が毛布のようになって、私の身体を覆いつくしていた。硬度はなく、少しの力で千切れるし、起き上がれるが、ちょっと粘着質でジャージにひっついているのが気分が悪かった。
「まだ我らを忌み嫌うか」
太鼓の音かのような腹の底に響く重低音の声がした。
数歩離れた先に、獏羅が猿のような毛深い腕を組み、私を警戒し更には憐れんでいるような立住まいだった。
「・・・ごめんなさい」
真っ先に謝罪をするしかなかった。私は相手の見た目を、自分の物差しだけで差別して、それを感情に乗せてしまったのだから。人間としては最低だ。だからこそ、感情を言葉に乗せて謝罪する。彼らは敵ではない。
「いい。聞き飽きたし、お前の根源的記憶に刻まれた因果な性質なせいである。私達の見た目が人間に受け入れられないのと、お前が受けた呪いが嚙み合った結果だ。だからお前の感情を抑制しようとした動向が見られただけでも、私達は少々怒り過ぎたと謝罪する」
獏羅に反対に謝罪された。私の蜘蛛嫌いのせいで、獏羅に嫌な思いをさせて夢に落としたが、夢の中で敵意や害意がないことを知って、敏感になり過ぎて夢に落としたのを謝罪しているってことか。なんだ話せば分かり合えるじゃないか。
「えっと私の呪いと私の蜘蛛嫌いって意味があるの?」
「意味。とは知らぬが、お前に呪いをかけた奴をお前は自身は覚えて・・・いないのだったな」
私に呪いをかけたのは透明人間だ。見た目も何も、全てが透明なのだから、覚えようがないのだ。
「私達は記憶を夢で見ることができる。例えそれが本人が忘れた記憶だろうが、呪いで消えた記憶であろうが、人生で体験した場合の記憶ならば見ることができる。お前は覚えていないが、圧迫するような手が頭に伸びて、その奥では蜘蛛のブローチが光を反射させているのを記憶している。その手と蜘蛛のブローチの記憶の後に、恐怖が染みついているからこそ、蜘蛛が苦手なのだろう」
言葉が出なかった。何に対して発言すればいいのか、まるで雁字搦めになった糸を解く様な作業を要されているように言葉が纏まらない。
透明人間は文字通り透明なのだ。帰宅路の中に呆然と立ち尽くしていたとしても、気が付けない。私の記憶の中には、誰だとか、どんな人だったとかは、ない。ただ透明人間に呪われたんだという事実だけが、成長と共に残っているだけだ。どう呪われたとかも覚えていないのだ。
「とっ、透明人間って・・・見えるの」
「怪人に身を落としても、所詮は人間。実態はある」
「だ、誰なの。どんな人なの」
「男だ。未就学児のお前とは背丈は二倍半はある。服装は・・・神父服・・・か。腰には経典を携えている。顔は・・・夕日で陰っていて見えない、だが湖畔のように青緑に光る眼だ。お前はブローチに目が行き、そして頭を撫でられる。そこからは記憶が途切れている。次の記憶では、お前の兄が泣いているお前をあやしている」
獏羅に説明されても実感がない。泣きじゃくる私を兄があやしてくれているのは薄っすらと記憶に残っている気もするが、あの時にかけられた言葉は思い出せない。でも獏羅の言うことを信じるならば、私に呪いをかけた透明人間は神父服を着た、青緑の眼をした男。これは今まで一生のお付き合いだと思っていた呪いとおさらばできる機会を得たと考えられる。
アルカードによって呪いを軽減してもらうのは、尊厳が傷つく。他に呪いを解く方法は、呪いをかけた奴に、その呪いを返すのが定石。透明人間だから探すのが厄介だったが、透明人間の過去を知れば、透明人間に辿り着ける可能性があるのだ。だから、これは、進歩だ。
「・・・でも、どうして私にそんなことを教えてくれるの?」
「言葉だけの謝罪では謝意が伝わりにくいと思ってな。それに・・・お前には夢の中で言ったように、ここから我々を解放してもらいたからな」
「解放って・・・そんなの私にはできないって言ったよね」
「自ら夢を夢と認識して、夢から出てこられるのは外部からの支援がなければ稀だと言うことを教えておこう」
「それはどうも」
「そのうえで、これらを見ろ」
獏羅が合図を送ると、他の獏羅が糸で雁字搦めにした保護活動に来ていた全員と管理人全員がぶら下がった移動型の巣を持ってきた。寝ぼけた頭が衝撃の事実で覚醒して、周りに誰もいないと不思議に思っていたところだったんだ。
「悪党みたいなことをするんだね」
「人間ほどの悪党を我らは見たことはないが、まぁその反応は正しい。お前は言葉だけではどうにもならない理不尽を知っているだろう。だからこそ、我々にも手段を選んでいられる場合でもなく、好機を逃すつもりもないのだ」
私以外の全員を人質に取られた。人質を返してほしければ、獏羅の要求を飲めってことだ。私の喉元には要求をのんだ場合の処刑用の刃物と、のまなかった場合の自刃用の刃物が突き付けられている。究極の選択だろう。
「我々は与えられた自由ではなく、我々の自由を要求する。その為に、お前がこの夢を壊せ。でなければ、こやつらは永遠に自らの夢の中で死に果てる」
もうイデオロギーはクラス内で懲り懲りなのに、ここでも発生するのか。つくづく陰陽師と言うものはそういう渦中にいてしまう職業らしい。
「・・・夢を壊すって?」
「この夢は我々が作った特別な法によって形が成っている。しかしその法は我々が破壊できる場所にはなく。さらには破壊できるのは陰陽師であり、呪われた人間だけだ」
保護活動に来る学生ならば呪われた人間がいるかもしれないって訳か。このことを管理人は知っていないのだろうな。知っていたら呪われている人間を受け入れたりはしない。
「夢を壊すとどうなるの? あんた達が解放されるだけじゃないでしょ」
「我々が解放されるだけだ。人間に復讐をしようなどとは思ってもいない」
真っ先にそれを否定するのは、少しは復讐心があると言っているようなものだが。
「あんた達が人間に危害を加えるなら、私は加担できない」
「約束しよう。人間には危害は加えない。そもそも我々は夢を見る生物の夢の中でしか生存できない。さらには人間の夢は高解像度であり住みやすい。だからこそ人間に危害を加える必要はない。それでもこの言葉だけでは、信じられないのがお前なのは記憶を見て理解している」
「人質取られてる時点で印象悪くて、信用ならないからね」
「であろう。ならば我々の弱点を教えよう」
「弱点?」
火が怖いとか、蜂とか鳥とか蟷螂に負けるとかだったら断ろう。
「我々は糸を使って、生物に夢を見せ、夢を移動することができる。そしてこの糸は記憶の正誤に脆い」
「・・・夢の中で間違った記憶があると、糸が切れて夢から脱出するってこと?」
「そうだ」
私は夢の中で更に夢を見ていた。その夢から脱出できたのは、アルカードという存在しないものを判別したからだ。それも虞に言われなければ脱出できなかったし、虞が助言しようとしていたことは、このことだろう。確かに、弱点ではある。
「うん。嘘じゃないね」
「今、お前はここにいる全員を解放できる手段を知った。だが解放しようとすれば再び夢に落とす。お前の情に訴えるのは卑怯だが、我々を解放してほしい」
卑怯者は卑怯だと自覚しているから卑怯なのだ。私に残された選択は獏羅を裏切って、一発逆転で全員を叩き起こすか、それとも守屋を敵に回して極刑にかけられるか、黙って見逃して私だけが夢から脱出するか。どれも現実的じゃない。
「夢を壊して、あんた達が人質を解放する補償は」
「夢が壊れた時点で、目は覚める。そこは信じてもらうしかない」
人間の記憶しか知らない怪獣だ。信頼関係を築くの苦手らしい。まるでどこかの吸血鬼みたいだ。
うん?
・・・あ、そうか。私って阿保だなぁ。現実的じゃない選択ばかりだけど、現実的な正解があるじゃないか。
「紙コップある?」
「作り出せるが、何故だ?」
「必要だから」
獏羅は訝し気に思いながらも、紙コップを無の空間から作り上げて、私の前に落とした。
私は紙コップを拾うと、徐に歩き出して、人質が乗せられている蜘蛛の巣の下へと移動する。
流石に獏羅達が警戒態勢に入って顎を鳴らしているものもいるが、私と対話していた獏良がそれをやめさせた。
「何の真似だ?」
「夢から出してあげる。だけど、その為に私が出せる最大限の譲歩の行動」
「容量が得ないうえに、その言葉が信用に値しない」
「それはお互い様でしょ。だから、ん、巣の糸を伸ばして頂戴」
骨折している右手を差し出す。夢の中ならどうやら怪我も関係ないらしい。
獏羅はお互いに見合って相談している。会話できているのはテレパシーのようなものだから、私に聞こえないテレパシーで同族同士で会話しているのだろう。
暫くして話が纏まったのか、するするとお釈迦様の糸よろしく、私の頭の上に糸が降りてきた。それを掴んで、紙コップの底に落ちていた小枝で小さく穴をあけて、糸を通す。
「こういうのさ子供の頃に工作で作るんだよね」
「郷愁に浸りたかったのか?」
どうやら獏羅はこれの存在と用途を知らなかったようだ。
「いんや。どっちかと言うなら強襲しにきた」
私が大きく息を吸って糸電話と化した紙コップに叫んだ。
「私は!!!! アルカード・ウラド・ラキュラが!!!!! 好きだあああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!」




