おいでませ獏羅村①-3
糸浜家は古い田舎の家と言っても差し支えなかった。玄関で靴を脱いで、居間、広間、洗面所、台所を横目で見ながら縦に長い廊下を歩いて、糸浜家の奥へと入って行く。他人の家をずかずかと歩いていくのは、探検家気分でちょっと楽しい。
そんな探検家気分はまだ終わらず、家の最奥であろう離れに近いトイレの奥にはまだ鉄製の扉があった。その鉄製の扉にかけらていた錠を、腰に携えていた鍵の束から一つを選定して糸浜さんが開錠してから扉を引いた。
開かれた扉の奥には地下へと続く階段が出現した。ほうさながら秘密基地か。
そんな呑気なことと、夢の中なのに、ここまで隠匿され、さらには監禁されているような状態にしておかないといけない獏羅とは、いかに繊細で、凶暴な怪獣なのだろうかと、緊張してしまう。
暑さは感じなかったのに、ひんやりとした冷気が階段の奥から漂ってくる。恐らくは現実でエアコンの冷風が頬を撫でたのだろう。
地下への階段は古い木製の階段であり、一踏みごとに魔女の笑い声のような音を上げた。夢の中なんだからもうちょっと良い階段でもいいと思うのだが、これも獏羅の趣味なのだろうか。だとすれば悪趣味だな。
階段を降りると壁面は石で、天井に配線がしてあり等間隔で電球がぶら下がっていて、人が三人程横になって歩けるかどうかの広さの地下道になっていた。
その地下道を玄関から鉄製の扉までの距離の二倍を歩いたところで、大きな紺色の長暖簾がかかげられていて、その暖簾の隙間からは外の日差しが差し込んでいて、足元を照らしていた。
「この先が獏羅の寝床になっています。では保護班の方が糸浜さんの指示に従って保護してください。くれぐれも、保護が目的ですからね」
神呪さんはやけに保護を念頭においておけと釘をさしてくるのは、獏羅が繊細であり、敵意を認識しやすい怪獣だからなのだろうと予想できる。まぁまぁのらりくらりが信念の私が初見で敵意を剥き出しにする訳がないのだ。
神呪さんの指示で私達は糸浜さんの後を追って長暖簾を潜る。
私はぎょっと目を見開いて驚いてしまった。
暖簾を潜った先が、さっきまで薄っすら寒かったのに、過ごしやすい気温に変わったからじゃない。床には苔が生えていて、体重を乗せるとふんわりとした感触と足が少し沈む感覚があるからじゃない。奥に見える荘厳な滝や、ロッククライミングができそうな岩石地帯や、鬱蒼と生えた竹林が広がっていて、屋内とは思えない程に広大だからじゃない。
滝にも、岩にも、竹林にも、全てに蜘蛛の巣のような糸がかかっており、その糸の一本に顔は獏だが、獏要素は鼻が長い程度であり、眼は複眼で合計で八つある、猿のような上半身を持ち、下半身は蜘蛛の身体を持っている怪獣が立っていたからだ。
私の嫌いなもの。それは先日アルカードに話した気がする。
蜘蛛だ。
敵意は抱かなかったが、嫌悪感を抱いてしまった。
小さい悲鳴も抑えたが、獏羅の顔がこちらを向いて、目が合ったので、ゴキブリと相対したほとんどの人間の感情と同様なものと向けてしまった。
カチカチカチカチと音が鳴る。何の音で、どこから発生しているのかは目が合っている私にはいち早く気が付けた。それは長い鼻の下に隠してある、クワガタのような尖った下顎を鳴らしている音だ。想像したくないが、私の感情を獏羅が早くも感じ取ってしまったのかもしれない。繊細な怪獣だし、人を見る目が大変よろしいことだ。
「だ、誰だ。敵意を向けてはならんと言われただろ」
糸浜さんが焦りを見せながら私達の方を振り向く。
私は一歩前に出て謝罪をしようとしたら、それよりも俊敏に蜂起星が声をあげた。
「めーんご☆。まぢ気持ち悪い見た目してるから、むりぽって思っちゃった☆」
蜂起星はまた独特な変なポーズをしながら謝罪をした。だが後ろ手では私に対して人差し指を立てて手を振っていた。ここにも繊細で恐ろしい生き物がいたようだ。
「敵意を向けたらどうなるんです?」
土御門は内心焦りまくりの私と違い、冷静に状況を把握しようとしている。
「攻撃対象に攻撃してくる。見えないが、威嚇行動が始まっている時点で、攻撃されている」
「攻撃とは?」
「こうなっては受け入れるしかない」
「・・・こんなことになっても秘匿か」
土御門は一番近くにいた私にしか聞こえないか細い声でボソリと呟いた。
「死にはしないんでしょ☆」
「場合によってはな」
「じゃあ問題ないね☆」
危機的状況なのに現状を把握するだけ、こんなにも楽観的にいられるのは、それだけの力を持っているからだからか。それとも自分を鼓舞するためのハッタリなのか。まぁ即死しないならば足掻けると言うのは間違ってはいないが、些か狂気的だ。
「おい骨茱さん」
「な、なに?」
「なんとかしろ」
不機嫌そうに四月一日は言う。洞察力あるなぁ。いやそれもそうか。糸浜さん以外は私が敵意に似た感情を持ったのを理解しているのだろう。面目ない。
威嚇音が次第に反響して、大きくなっていき、頭の中でメトロノームのように心地良さを奏でてていく。
「そ、そのつもり、ご」
「なんとかしてから謝れ」
その言葉と共に私は再び夢に落ちたのだろう。




