おいでませ獏羅村⑤
現実ではないと理解しても、どういった虚実なのかは判別できない。
幻術なのか、それとも私だけが違う現実にいるのか、はたまたは意識だけが現実を彷徨っているのか。可能性は指折りだけど、それを証明しようにも試せる手段が少ない。
まず幻術を祓う札は効果は無かった。これは単純に効果が無かったのか、それともこの札の効果を発揮させない程の幻術なのかも分からない。後者ならば、虞美人級の怪異が関わっていることになる為に、私に抗う術は殆どと言ってない。
「ム(止まって!)」
糸浜家を出て、ゆるい下り坂を当てもなく小走りで降りていると、晴日の声を真似た獏羅の声がした。
獏羅はポケットの中から半身を出していた。
「な、なに?」
最初に思ったことは、獏羅を寝床から連れ出してしまった。ということだ。今後の私が然るべき場所で裁判を受ける姿を連想できる。だけど直ぐにそんなことよりも、もっと危機的状況なのは、下り坂の先にある曲がり角から、忍者が一人現れて、目が合ったということだ。
虚ろながら、使命を宿したような瞳だ。それが私の眼からジャージのポケットへと視線を動かして、再度私の眼を見た。
「・・・」
「・・・」
次の瞬間、忍者は腰に携えている短刀に手を回しながら駆け寄ってくる。
「た、たま様!」
懐にしまってあるたま様の式札を出したけど、反応しなかった。たま様を出せる感じはあるのだけど、反応はしない。なんで、どうして、と頭の中が混乱する。混乱している間にも忍者は短刀を抜いて、その日差しを反射する銀色の獲物を私の首に向かって突き刺す。
「ム」
喉に刺さるかと思って、走馬灯が駆け巡る瞬間に、獏羅の鳴き声と共に目の前にいたはずの忍者は消えてしまった。
最後の瞬間は目を瞑らずに焼き付けてやろうと、要らないプライドで目をかっ開いていた私は、忍者が獏羅の鼻に吸われていくのを目の当たりにしていた。それは本当に一瞬の出来事で、瞬きをしていれば消えたと錯覚してしまうだろう。
「ム(大丈夫?)」
「あ、あんたが助けてくれたの?」
「ムム(君には死なれちゃ困るからね)」
打算的な怪獣だことで。
「とにかくありがとう。・・・あんたは、何が起こっているかは理解しているの?」
「ム(何がって?)」
「ここは現実じゃないのは分かったわ。だけど幻術なのか、何なのかが分からないの。今まで一緒にいた同級生たちも、操られているとかじゃなくて、そもそも本物じゃない。一体何が起こっているの?」
「ム(ここは現実じゃないよ)」
「やっぱり何か知ってるのね。教えて!」
「ム(ここは夢だよ)」
「夢? 夢って眠っている時にみる夢?」
「ムム(そう。あれ? 君たちは僕達がどこで飼育されているかを知らないの?)」
「え、さっき自然の中って言って・・・」
「ムムムムム(それは夢の中の話さ。僕達は現実にはいない。夢の中のだけの存在。だけど夢の中でもああやって囚われたように飼われているのさ。君の質問にだけ答えるなら、ここは夢の中さ)」
「うっ・・・」
ズキリとまた頭が痛み、今度の痛みは強かったので小さい呻き声をあげてしまった。
「ムム ムムム(大丈夫かい? 理解せずに夢に入ったんだね。そのうち慣れるさ。忍者は僕に任せて、夢だからこそ、夢に侵入してきたものは僕達は吸える)」
「待って待って。追いつけてない。これは夢なんだよね。だったら他の皆は夢の中の住人ってこと?」
「ムム(この場所は夢。君以外は夢の住人さ)」
「だったらどうやってあんたらを保護するの」
「ムム(特殊な術で夢から吐き出すのさ)」
「この場では私だけが夢の住人じゃないってこと?」
「ムム(僕もそうさ)」
「・・・分かった」
「ムム(分かってくれた! じゃあ)」
「あんたが私を騙そうとしていることが分かった」
私は獏羅を握って、無い握力で握りつぶした。圧力をかけられた獏羅は顔面を膨張させて、パンと風船のように割れてしまった。
「ム(なん・・・で)」
「なんで? だって夢の中なら私も夢の住人じゃないとおかしいじゃない。ここが夢ならば、私の身体は違う場所にあって、意識だけがここにいるはず。なのに夢の住人は私とあんたは夢の住人じゃないっておかしい話でしょ」
「ム(勘が良いんだ)」
「会話と顔と声の色を見て変えて生きてきたからね」
「ムム(分かったとしても、ここからは出られないよ。この夢は特別だからね)」
「私、王子様のキスで目覚めるタイプじゃないから大丈夫」
そう言うと獏羅の声は聞こえなくなった。
考えよう。私にできることは考えて夢の中から脱出することだ。
獏羅の話を、つまりここが夢であり全部が夢の産物だと仮定して考えよう。
まず獏羅の目的だ。獏羅は本当に私を使って外に出たかったのだろうか。守屋流が獏羅を文化財と名目を打っておいて、獏羅を占有していて、その占有環境が獏羅にとっては劣悪だったのならば、外に出たい。これは夢を変えたいと同義かは知らないが、守屋流から離れたいというのは真実かもしれない。だから部外者が夢の中に入ってきたのを逃さなかったし、腕が折れてる間抜けそうな私に白羽の矢がたったのかもしれない。
それに獏羅は直接手を出してきていない。忍者や同級生も夢の産物ならば、それらに襲わせればいいのに、そうしていない。しかも忍者から私を助けた。どうせ信頼を得るために自作自演で襲わせてきたんだろうけど。そう考えると、この夢そのものは獏羅の掌の上ということになる。
でも獏羅は私を排除しようとしない。握りつぶしても、余裕と言う感じであった。つまりここから出るが最終的な目的であるのは真実味があって、私にそれを手伝わせようとしている。夢を掌握されていて、私は脱出手段を知らないから、どうあがいても獏羅に頼るしかない状況か。
たま様は呼んでも来ない。助けてくれる人間もいない。ほぼ絶望的な状況。
だからといって諦めないのが私。
この理不尽な呪いを宿して、絶望しかない身体を持っているのに、状況一つで絶望していてどうするんだ。
私はまだ試していないことを試す。
髪留めを後ろ手で取ろうとした。
「ん?」
しかし髪留めは一向に取れない。外れない。何かに固定されているかのように動かなかった。これも私の奥の手を潰す獏羅の仕業だろうか。
諦めて私は次の行動に移す。
夢から脱出する手段は現況を絶つか、入ってきた手段で脱出するか、外部から起こしてもらうか、自発的に起きるかだろう。既に試したが、獏羅を倒すのは高確率で無理だ。
では外部から起こしてもらうのは、これも呑気な話しだ。夢の一秒が現実の一秒と同じとは限らないから、それを期待するのは希望的観測過ぎる。
自発的に起きる。夢から目覚めるのには夢と知覚していても、明晰夢がある時点で、それだけじゃ覚めない。一番は自分を傷つけるのがいい。特に命を絶つのが最も最適だろう。だけど、それは本当に最終手段。もしかしたら本当に死ぬかもしれない。
じゃあ最後に残るのは、入口兼出口を探す事だ。夢に入ってきたのだ、出口もあるはずだ。
他愛のない会話をしていながらも、廃校舎への道はしっかりと記憶している。
小走りで息を切らしながらも、最初に転移した廃校舎へと戻ってこれた。
近くの草の中に落ちていた木の枝を拾ってから、転移紋を描く。これまた記憶しているので、転移紋自体は描けるのだ。
「ふー、こんなものでしょ」
少し時間をかけて描いたが、問題に突き当たる。転移紋は描けるのだけど、それを起動させる仕方が分からない。通常転移紋は、紋の中に現在地と転移地を繋げるための位置情報を書かないといけないのだ。あの時はそれが無かった。見逃したとかじゃなくて、無かった。
夢の中にいくから特殊な転移紋だったのか? そんなことがあるのか?
獏羅が言っていた特殊な夢との単語から推察連想するとすれば、通常の転移紋では転移できない。とか?
いやいやまてまて、そうじゃない。
ぶんぶんと頭を振る。
そもそもだ。ここが夢だとするならば、そもそも私はいつ夢に入ったんだ? 転移紋で夢に入れるものなのか? 肉体を転移させるだけで、意識を転移させられるのか? 意識を転移させたのだとすれば私達の身体は校庭に残されていることになっているが、そんな状態で放置するのか?
もしも。もしもこの仮説が正しかったら、転移紋は出入り口ではないんじゃないか。
じゃあ本当に、私はどこで寝て、どこで夢を見ているんだ?
「ム―ムームー」
蝉の声だけが不気味に響く環境音の中、微かなバイブ音がして、手荷物の中が揺れた。これは獏羅の声じゃない。携帯のバイブレーション機能の音だ。
音を頼りに手荷物の中を探って、携帯電話を取り出す。確か電源を切っておいたはずだけど。
携帯にはチャクシンチュウと表記されていて、開くとそこには滅多に電話してこない相手の名前が表示されていた。
「も、もしもし」
私は恐れもせずに通話ボタンを押した。
「君が声、夢に見んと、昼寝かな。どうだい?」
「さいってー・・・でも心強いよ、虞」
通話してきたのは我が親友、物部虞だった。




