おいでませ獏羅村
夢を見た。
それは幼いころの夢で、どうしてか私は泣いていた。
悲しかったからか、寂しかったからか、安堵したのか、不安が押し寄せてきたのか。どうして私は泣いていたのだろう。ただただ涙が止まらなかった。
私はただ泣きじゃくるだけで、年の離れた兄がどう泣き止ませればいいのかが分からずに、隣でおたおたしていた。
このころの兄は陰気で目立つのを好まない為に、男らしくないと大人らしい人達に言われていた。
そんな庇護欲を掻き立てるような男の子だったからか、同級生の女子からは案外人気だったりもしたらしい。
まぁただ隠れ人気だっただけだし、直接同級生と会話とのやり取りをしなかったので、年下の妹の扱い方もままならないのだ。
兄は、私の名前を呼んだ。何度も、何度も、私の泣き声でかき消されても呼び続けた。それで私は大粒の涙を流しながらも、ようやく兄の顔を見た。
兄は私の手を優しく、だけどどこか力強く握ってくれた。
「 」
兄が何を言ったのかは朧気で思い出せない。そこに当てはまる言葉は、目が覚めて、頬に伝う冷たい筋をなぞっても思い出せない。
私の思い出は確かに記憶されているはずなのに、この呪いのせいで消えてしまう。
良い思い出も、悪い思い出も、泡沫のように弾けて消える。
もしかしたら、こうやって起床しても、これが夢なのかもしれないと思わせるほどに、呆気なく消えるのだろう。
だからこそ、私は人と関わり合いを持つ。私と言う存在が消えても、誰かに記憶されているのなら、私と言う存在がいた証明になる。まぁ・・・進行が酷くなったら他人の記憶からも消えてしまうのだけども。足掻くのは生物の特許だよね。
「とうとうおはよー」
夢見の悪い起床から一転、溌剌とした元気な挨拶で晴日が私の腕にまとわりついてくる。まだ片腕ギプスしているんだから、もうちょっと手加減したスキンシップをしてほしいものだ。
「朝から元気だね」
「僕はいつでも元気かな」
「それは何よりで」
本日は例の課外活動の日だ。学校の校庭に集められて、行先さえも知らされずに、動きやすい服装(ほぼ学校指定のジャージ)と、飲み物、軽食、タオル、常備薬に、その他諸々を詰め込んだナップザックを背負って、監督の教諭が来るのを待っている状態だ。
もうすでに人はほぼ集まっており、我らB組からは八人、A組からは一人、C組からは二人、そしてD組からは一人と生徒数計十二人がいるはずだった。
いつも私の近くにいる奴が、見渡してもいない。どこを見渡してもアルカードはいない。
集合時間はもうそろそろなのに、奴は現れない。
漫画を貸してから三日目だが、ここ三日は姿形を見かけていない。どうやら学習してから実践してくれるようだ。
「ある君遅刻かな?」
「自由奔放そうだし、まぁ来るでしょ」
「あれだけ辟易していたのに、来てほしいのかな?」
アルカードに張り付かれています助けてください。愚痴を聞いてください。と、メールや電話で晴日とやり取りする関係になっていたので、私とアルカードの関係性は晴日はよく知っている。
「なにかあったのかなって心配はするよね」
「ツンデレってやつかな!?」
「人として当たり前の感性なだけです。まぁ仮にも吸血鬼なんだし、多少の揉め事では大事に至らないでしょ」
ずっと一緒にいた・・・居座られた奴が、突然姿を消すと、寂しさを感じるのは人間の感情としては真っ当だ。気を揉むこともないが、気に掛けるくらいはしたって罰は当たらない。
「はい、お待たせー。本日の君たちの面倒を見る担当教諭の守屋茶でーす。皆集まってるかな~? ひぃふうみぃよぉ。わかんないや。点呼とるか点呼」
着崩れしたスーツと、少しおどけたような髪型で、おちゃらけ系教諭であり、数学担当であり、守屋の名を持つ男である。担当教諭は守屋流だから、この人が来るのは予想できていたけど、私はこの人苦手なタイプなんだよな。
二乗院教諭はかっ怠いが、この人は疲れる。
「A組の土御門は、いるな。えーっと、B組がBの土御門と、繭杜に、天生に、大守に、酒澤と、雨月に、四月一日と、骨茱か」
守屋教諭は参加用紙と、私の顔を交互に見て、頬を掻いた。
教師人は私の呪いの事を当たり前だが、承知済みだ。しかし殆どは担当である二乗院教諭が基本的に対処する方向で進んでいるので、こうして他の教諭が責任を持ったり、対処しなければならなくなった時は、はた面倒なのだろうと言うのは、この呪いを受けてきてからは身を持って知っている。
腫れもの扱いも、その空気を察するのも慣れたものだ。
「んで、C組が蜂起星と武刕口 で、D組からアルカードね・・・あら? アルカードがいなくない?」
顔写真が張ってあるわけでもない参加用紙と、生徒の顔を交互に見ながら、最後にまだやってきていないアルカードを、先程の私と同じように見渡して探す。
「誰かアルカードの連絡とか知らない? 参加申し込み用紙にも家電さえも書いてないからさ」
だったら電話すら持ってないんだろっていう沈黙の空気が流れた。
「すみませーん。遅れましたー」
その沈黙を破ったのは当の本人だった。いつものどこかの学校の制服のままで、手荷物もなく校舎側から小走りで私達の方へと駆け寄ってくる。
守屋教諭は大きく分かりやすいため息をついてから。
「滑り込みセーフにしておくね。と! いうことで、これで全員揃ったから、出発しよっか」
そう言うと守屋教諭は指を鳴らした。指を鳴らしたと同時に、足元に白い線が浮かび上がった。一見すると白い線だけど、恐らくグラウンドに白線で書かれた転移紋だろう。私達はその真ん中に集められていて、いつでも出発準備完了だったようだ。
「酔い止めは飲んだ? 準備は万端? 覚悟完了?」
守屋教諭は私達の間に入ってきて茶化した風にいう。
「せんせー、どこ行くんですかー?」
誰も訊かなかった質問をしたのはアルカード。
「ふっふっふー、着いてからのお楽しみ。他に転移止めたい人はいない?」
誰も守屋教諭に取り合おうとはしない。私の守屋教諭に対しての評価は、生徒全体の評価と言っても過言ではない。アルカードは編入生だから知らないんだろう。
「よし。じゃあ、出発進行」
守屋教諭が札を紋の真ん中に置いた瞬間に、白線が発光し始めて、私達の身体は光に包み込まれる。
光が治まった時には、ただのグラウンドだけが残っていた。




