秘密の共有は墓場まで⑧
「狐栗娘やな」
禁煙ガムを口に放り込みながら二乗院教諭はそう言った。あれから一日経って、市内の病院の一室。私の担当官でもあり、教育的責任者でもある二乗院教諭がお見舞いとお説教を兼ねて、ベッドに横たわる私の隣でパイプ椅子に座っている。
「コクリコって、ひなげしの仏蘭西名の?」
「そや。そのコクリコを捩った怪異や。狐憑きに似とるけど、狐に憑りつかれてるんやのうて、狐が憑りつかれてるんや。虞美人って知っとるか?」
「楚漢時代の武将、項羽の妾?」
「物知りやなぁ。ひなげしの別名でもあり、名付け親みたいなもんや。虞美人が狐ちゅう話もあるねんで。ほんで虞美人は狐であって、吸血鬼でもあったちゅうのは、世間一般では知られとらへんやろうなぁ。骨茱も勉強になったな」
「高い勉強代過ぎる」
片腕が全治一か月半の骨折で、邪気に充てられて、放課後暫くは邪気を払うために二乗院教諭が入っている宗派の寺でお祓いをしなければならない。貧乏苦学生には払えない程であり、蟹漁にでなければ払えない程の料金を請求されたが、呪いに関する保険に入っているので、必死にバイトをすれば数か月で何とか返せる値段に落ち着いていた。
「狐憑きと違うんは、狐の特性よりも、吸血鬼としての特性の方が顕著にでよるちゅうところやな。血を吸い、精気を吸い、果てにはグールと同等の存在へと変貌させよる。骨茱の報告からすると、骨茱も吸われたらグールになっとったかもな」
「燃料タンク扱いだったよ」
「そら、無限に湧いてくるご飯処あったら絶対欲しいやろ」
「私だったら絶対飽きる」
「ふりかけや佃煮でも用意しとったんちゃう?」
「人を白米に例えるな。・・・ってことはあれは虞美人だったってこと?」
雨月晴日の姿をしていた吸血鬼もどきは、歴史の教科書で偶にみるかもしれない虞美人本人だった。それはそれでどこか感慨深いのだけど、無限ご飯処にされるのは御免だ。
「知らへん」
「いや、大事な話じゃない? 虞美人だったら祖でもあるんだし、そんな奴がここに縄張りを作っていたのは大問題じゃないの?」
「そら、今上層部はてんやわんややろうな。けど、知らん。儂が直接見た訳でもないし、骨茱とアルカードが虞美人やと思ったんやったとしても、指標にはならへんからなぁ。それに身重の姿やったんやろ? 狐栗娘が身重になったら、人前には絶対現れへん」
「なんで? 事例がないから?」
「事例もないし、狐と鬼の習性で考えてみ。骨茱、お前身重の人間が、用もないのにホイホイと出歩くと思うか? 手足は仰山おんねんで? 召使みたいなのおったやろ?」
「うっ・・・思わない」
「せやろがい。アルカードが瞬殺したのなら、それは影やな。本物の妖力を持っとるけど、本物とは遥かに違うものや」
「式神ってこと?」
「簡単に言うとそうとも言えるが・・・まぁこの続きは授業でしたる。せなあかんようになったしな。とにかくお前が対峙したんは、狐栗娘の影や」
質問形式で答えを導き出して、勝手に気持ちよく説明してもらおうと思ったのに、講釈垂れるよりも、だれている方が性に合っているせいで、中断させらてしまった。坊主だったら講釈垂れとけよと、思うのは偏見であろうか。
「ほなら、元気そうやし、後は若い者同士で仲良うしいや」
二乗院教諭はパイプ椅子を引いて立ち上がると、そう言って病室を後にした。廊下で挨拶をするような声が聞こえた後に、入れ替わりにアルカードが顔をひょっこりと覗かせた。とりあえず露骨に嫌な顔をしてやった。
「灯命。元気そうだね」
「元気も元気。三度の飯も喉を通るし、見舞いなんて必要ないくらい元気だよ」
「それは良かった。これケーキだけど、食べられるね」
「いただきます」
遠回しに帰れと言っておいて、ケーキを出された瞬間に態度を変える現金な奴と言われようが、私にはケーキは一大イベントにしか食べられない代物であり、貴重な甘未の栄養源なのだ。つまり、どうしても食べたい。
「・・・あのさアルカード」
「どうしたの?」
アルカードは手に持っていた箱を移動式の縦に長いテーブルの上に置いて、箱の中身を取り出した。その中身を見て私は疑問に思ったことを言う。
「普通ケーキって言ってもホールを等分にしたショートケーキじゃない?」
箱の中には苺の生クリームホールケーキが入っていた。しかも四号じゃなくて五号とみた。
「ショートケーキ全種類が良かった?」
「違う、色んな種類が食べたいんじゃない。私はそんなに選り取り見取り食いしん坊じゃない。私が言いたいのは、見舞いの品にしてはカロリーが重いってこと。どこの誰が、ホールケーキを見舞いの品で持ってくるのよ」
ここにいるのだけども。
「だって灯命はショートケーキじゃ足りないでしょ?」
「そんなことは・・・・・・」
ないとは言い切れないのが今の現状だった。病院食じゃ足りていないのだ。病院側としてもこれ以上食べさせるのは健康に害するので、我慢してくれとのこと。死ぬことはないけど、常に腹が鳴るのは華の乙女じゃなくても恥じらう。
というか、どうして私が能力を使うとエネルギーを消費すると知っているのだろうか。ストーカーなのか。
そんな失礼なこと(割と本気に)考えていると、また腹の虫が鳴いた。二乗院がいた時はニコチンガムに鳴りそうになったけど、流石にケーキを前には我慢ができなかったようだ。
「ほらね。食べられるだけ食べたらいいんだよ。残ったのは後で処理するから」
「・・・じゃあ食べる」
ムスッとした表情なのは、取り分けようにも、片手ではどうしようもないせいで、全てアルカードに任せてしまうからであり、決してアルカードの思い通りに事が進んでいることに不満を覚えているからではない。
用意が良いのか、持参のナイフで切って、これまた持参の紙皿の上にケーキを取り分けてくれる。なんで八等分じゃなくて四等分に切って出されたのかは、絶対私の事を腹ペコキャラだと思っているからだろう。心外である。二等分でも構わない。
アルカード自身は何も取り分けずに、そのままパイプ椅子に座った。
「食べないの?」
「後でね。はい。あーん」
そう言ってアルカードはプラスチックの使い捨てフォークで切ったショートケーキを私の口元へと持ってくる。なにやってんだこいつ。
「食べないの?」
口元まで持ってきたケーキに一切口を開かないことに疑問に思ったのか、私が言ったのと同じ言葉と調子で言う。その顔は悪戯心なんてなくて、純粋に私が食べないことが疑問なだけのようだった。
「一応自分で食べられるから」
「そっか・・・」
これまたしゅんとした悲しみ顔になる。くそっ、あの薄ら寒い笑顔には騙されないけど、この子犬のような叱られ顔は心の片隅を擽られる。
「だーっ、わかった。食べます。溢して看護師さんの手を煩わせるのもなんだしね」
「じゃああーん」
元の表情に戻って再びケーキを口元へと持ってくるアルカード。こいつ、私の弱点を把握して使い分けてやがるな。絶対次はないと思え。
渋々口を開けると、するっとショートケーキが口に入ってきて、プラスチックフォークが出ていった。ケーキの甘さと、過剰な糖分にうっとりと舌鼓を打つ。
「はい。あーん」
アルカードは気分よく、再びケーキを持ってくる。一回開城した門は、再度開くのは簡単なようで、ムカつくがケーキに篭絡させられたのだと割り切って、二口目を頂くことにする。
「おほー、お二人さんアツアツかな。もしかしてお邪魔だったかな?」
「んぐっ、ケホッケホッ」
突然の珍客の訪問と、恥ずかしい場面を見られてケーキが喉に詰まる。アルカードが背中をさすりながら、またまた用意が良く、持ってきていた缶ジュースを口元まで持ってきてくれた。
「なんで、どうしてあんたが」
私が驚くのも無理はない、だってそこにいるのは死んだはずの雨月晴日なのだから。




