秘密の共有は墓場まで⑥
悪い予感と言うのはとことん当たる。この怪異は人を記憶するのだろう。これが姿を模しているのか、それとも姿を取り込んでいるのか。どちらにせよ、雨月晴日という人間は、今、存在していない説が濃厚になってくる。
雨月晴日の姿だが、腹が臨月を迎えたように出ており、身重の母のように腹を優しく抑えながら、すそすそと畳を擦り足で移動し、私の目の前までやってくる。
「・・・食べたの?」
「食べる?・・・食生活は大事だよ。一日三食、栄養のあるものを食べなければいけません。コレはまぁまぁな呪力を持っていたからの。この子の収集物も気になるところね。だが、そんなことよりも、お前が来た」
食べた。それはとてつもなく絶望的な答えであった。私があの呪符を渡したから、雨月は目をつけられて、この怪異の栄養素となってしまった。私が信念に従っていれば、彼女は腹の足しになることもなかったのだろう。
「憤怒。喪失。嫌悪。人間おもれ~。じゃっどん、きさんは喰わん。お前のように無限の呪力を持っている人間は稀人なり。丁重にこの館にておもてなしするでございます」
そういうことか。怪異の食事は人間同様に動植物の血肉もあるが、呪力を孕んでいるものでなければ、力にならないものもいる。こいつはどちらも欲していて、呪力を際限なく放出するタイプの呪いにかかっている私を飼い殺しにするつもりだ。
「雨月さんは、生きてるよね」
「・・・身の安全が保障されたから他人の心配かしら。それともただの阿呆か。どっちでもいいけどよぉ。質問するのはあたし。君は答えるだけさ」
「生きてるかどうかを聞いているんだけど」
「・・・保火」
「ぎっっ」
腕を強く捻られる。いや、折られた。関節があらぬ方向に曲がっているし、熱を持った痛みが、じんじんと体を火照らせてくる。
「殺さないけど、痛めつけないとは言っていないぜ。痛みは良いかな。素直だからの。じゃけん、痛めつけましょうね」
反対側の腕もおられるのかと思ったが、折れた腕をさらに曲げられる。自分の悶える声だけが屋敷に響き渡る。その声を聴いても、誰も反応はしない。薄ら笑いも、悲哀の表情もない。ただ無情に教育が続けられる。
「まだ反抗の目あり。助けを懇願せよ。なんで助けを求めないの。この女もそうであった。痛みで悲鳴は上げるけど、助けを求めないのはどうして」
そんなのは分かり切っている。私達が陰陽師であり、助けを求めても、それが届かない状況だと知っているから。それでも求める者もいるかもしれない。今でも救援を叫びたがっている。それだけで割り切れるものかと思うが、陰陽師の教訓だ。自分を助けられるのは自分だけ。
「教えてあげてもいいけど、そっちも教えてよ」
涙と唾液が垂れた口で言うと、怪異はついに呆れたような顔をした。
「なんだね?」
「どうして吸血鬼に怯えるの?」
私の質問は空気を一変させるものだったらしく、無言の重圧をかけられる。痛みを緩和させるほどの禍々しい気を当てられて、今度は吐き気と過呼吸になる。それでも私は減らず口をやめない。
「そんなに怖いんだ。確かに吸血鬼は西洋怪異の王だもんねあぐっっ」
保火の極める強さが腕をあらぬ方向へと曲げる。折れている腕を更に曲げるなんて鬼だ。なんて考えている余裕もなく、周りを気にせずに痛みに声を上げる。首を捻って頭を揺らす。シュシュが落ちて、まとまっていた髪が口の中に入ってくる。
「それ以上言の葉を紡ぐならば、口をきけなくする」
「かっ・・・はぁ・・・はぁ・・・無理だよ。私は口達者なんだもん」
「わからぬか」
「わかってないのはあんただよ」
今にも私の口へと手を伸ばして、口をきけなくしようとしていた怪異が手を止めた。私の減らず口がただの時間稼ぎや、本当に強がりで言っているだけじゃなくて、他に真意があるのだと、目を見て察された。だけどもう事は終わっているので、私は続けて言葉を紡ぐ。
「私、口達者って言ったけど、芸事の方も中々達者でね。コインを消すのはお手の物、鳩を消すのもお手の物。誓約も消すのもお手の物ってことだよ」
後ろ手を持っている保火は慌てて、私の手を怪異へと見えるように床へと叩きつけた。私の手には誓約の印は跡形もなく消えていて、うっ血した手だけがそこにはあった。
「残念。もう遅い」
私が言いきった瞬間に、突風のような風が吹いた。目の前から怪異の姿は消えて、圧迫されていた腕が解放されて、力もなくぶらりと揺れた。私の前には怪異の代わりにアルカードが立っていた。アルカードの右手には首の折れた保火が、怪異はアルカードの膝蹴りによって、蚊帳の奥の壁を突き破って飛んで行ってしまったようだ。
「誓約を違わせるとは、やはり面白いな」
「まぁね。これも処世術だよ」




