秘密の共有は墓場まで⑤
誓約。固く誓う事。私とアルカードが交わした誓約は、アルカードがあの場から一歩も動かないこと。互いに了承を得て、約束事を取り決める事で、誓約は交わされる。誓約を破れば、何かしらの不幸な出来事が誓約者達に降りかかるので、破るのは基本御法度である。そのため、保火は誓約の紋章を見ただけで、アルカードをその場に留めれるたのだと理解した。
保火の後を追い、木の根っこを飛び越え、伸びきった枝をくぐり、緩やかな傾斜を上り、軽いハイキングをしながら十分程経っただろうか。ようやく林が開けてきて、石造りの道へと変わった。結界に入った時に転移させられているのだろうが、果たしてここは我が国の土を踏んでいるのかは、甚だ知らない。
移動中保火とは一言も会話はしなかった。というか私がついていくので精一杯だった。追いつけると思ったら、いつの間にか保火は先に行っていて、歩を緩めると、それに合わせて緩めてくれていた。悪い夢でも見ているようで、気持ちは悪かった。
道を歩いていると、今度は長ったらしい階段と、その階段に等間隔に置かれた灯篭が目に入ってきて、用心深い私としては、これは拷問であって、注文の多い料理店のように下ごしらえをされているのだろうと勘繰り始めた。
保火は私の気も知らずに、肩で息もせず、とんとんとんと、リズムよく階段を上っていく。保火の雪駄の音を聞きながら、私も必死についていく。脹脛に溜まった乳酸が心地よいを通り越して、痛い。
計百二十八段の大階段を上りきると、ようやくお目当てであろう、ご主人様がいそうな、和風建築の社が現れた。もう無理。一歩も歩きたくない。そう弱音を吐いてやりたいが、乱れた呼吸を頑張って深呼吸をして整える。
玄関の扉がひとりでに音をたてて開いて、潜ると、またひとりでに閉まった。どうやら帰す気は更々ないようだ。社の庭は武家でも住んでいるのかと勘違いするほどの荘厳な庭園であった。幻術ではなく、これは実物なので、ここまで綺麗に手入れできる度、この場所に定住できている怪異なのだろう。
「ようやっと来たか」
社の奥から声がした。艶のある女性の声だった。社の奥は蚊帳がかけられていて、奥にいる人物までは暗くて、目を凝らしても見えなかった。だが、沸々と邪な気は感じられる。
「お待たせして申し訳ございません。骨茱灯命様をお連れしました」
奥の女性から、選定されるような視線が飛んでくる。へとへとで疲れが露呈しているので、その視線に含まれた邪気を諸にあてられて、一瞬だけ眩暈を起こしてしまう。だが気力でなんとか持ちこたえる。こちとら肉体派じゃないけど、肉体派には負けない精神は持っている。伊達に呪われてない。
「確かに本人のようだね。海老で鯛を釣るとはこのことね。あの女陰陽師もいい餌であったようじゃな。して鬼は不在のようだけど、どうしたのだ?」
奥にいる怪異が初めて言葉を紡いだが、内容があまり頭に入ってこない。この怪異の言葉遣いがちぐはぐで、個というものを掴めないからだ。
「鬼は骨茱灯命様の誓約において、白寿の森へと固定しております」
「・・・そうですか。では心配はないね。あの鬼に邪魔をされるのが、一番の懸念点ですわ。そいじゃあ骨茱灯命、こちらへちこう寄りなはれ」
一瞬言葉通りに身体が動いてしまいそうになるが、留まった。
「その前にいい?」
「よくないよ。妾の命令は絶対である。早くこっちに来い。貴殿は私の賓客ではあるが、分相応の対応をせねばならない。我を立てよ」
「招待状を貰っていないけど」
「なら土足でここへ入り込んだ蛮族だね。処す。殺してしまっても構わない。だがしかし、許す。本来は処刑モノであるが、余は寛大であるのだ。じゃから、はよう、ちこう寄るのじゃ。害意はないのですよ。悪意もないかな」
疲弊していた頭が働いた瞬間だった。楽観的な私が、疑心暗鬼になるも、優しさ最終的に選ぶ私は、この怪異の言葉通り、害意も悪意も感じとれない。それもそのはずだろう。この怪異は言葉通りに害も悪も感じていないのだから。ただ近寄ってはいけないと、私の中の警鐘が鳴る。
この怪異の言葉の語尾がちぐはぐなのは、それらの喋り方をする人間に出会ってきて、それらを真似ているからだ。だから標準的な喋り方を知らないとかではなく、これらの話し方をする人間を学ぶ機会があった。長年生き続ける驚異的な怪異という事前情報を照らし合わせれば、のほほん馬鹿な私でも理解できる。こいつに近づくのは拙い。
「あんたをたててもいいけど、私がここに来た理由は、学友である雨月晴日さんを取り戻すために来たの。彼女の安否を確認したら、近くに行ってもいい」
雨月の姿はここにはない。気配を探る能力には長けていないので、近くにいるかどうかも分からない。
「保火」
「御意に」
今まで、大人しくしていた保火が、目にもとまらぬ速さで、私の後ろへと移動してから、私の右腕を取って、背中へと回した。キリキリと筋肉がきしむ音が聞こえた気がしたが、疲労と痛さでその音をしっかりと捉えることはなかった。
「手荒い歓迎だね。いっつつ」
軽口を訊くと、右腕を強く捻られた。痛みから逃れようとすると、体が前に出てしまう。それを利用して保火は私を主様とやらの前へと移動させていく。
私の予想が正しければ、この主様は、私の手に余る。教師数名連れてきても、死傷者が出るのではないだろうか。だから無駄な抵抗をするのは得策ではない。抵抗したところで、足搔きにすらならない。
「もっと近くに来て」
多種多様な無機質な言葉が脳を劈く。
「もそっとちこう」
近くに行けば行くほどに、声の影響力が出てくる。精神感応されて、どうでもよくなってくる。ヘアゴムを取って、より耐性をあげたほうがいいのだろうけど、目的が明確ではないから、呪いを解放する行動はとれない。
「よきかな」
外縁の前まで連れてこられてしまった。ハッキリと怪異の存在を感じる。蚊帳の奥にいるのに、まるで真横にいるように緊張する。疲労とは違う呼吸の乱れだ。今すぐ逃げ出したいけど、そうはいかない。
「雨月晴日。そう言ったっけ?」
吐きそうだ。助けを求めて叫びたい。それほどまで重苦しい。ただの言葉なのに、ただの言葉ではない。
「・・・そう。私の学友」
「最近は人に会いすぎてわからないのですけど。コレかな?」
蚊帳の奥の影が動いて、姿を現した。その姿は女性であり、私が探し求めていた人物、雨月晴日そのものであった。




