秘密の共有は墓場まで③
「ようこそ。いらっしゃいませ~」
元気溌剌な歓迎のあいさつをされた。目の前には雛罌粟柄の着物を着た少女が、三つ指つけて頭を玄関の前で下げていた。
当の私はキャリーバック片手に、趣のある旅館の玄関で立ち尽くしていた。左には靴棚と高級そうな、風車が描かれた西洋の絵画。右手には固定電話とメモ帳が乗った台子。玄関を上がった先には、憩いスペースがあり、その奥には土産屋も用意されていた。
「おひとり様でご予約の、え~」
「骨茱です」
「骨茱様。骨茱様ですね。私、こちら当旅館の女将をしております。保火と申します。宿泊中はなんなりとご用件ご要望お申し付けくださいな」
「今日は、よろしくお願いしま・・・す?」
頭痛がする。頭の奥を強く掴まれているような痛さだ。
「どうかされましたか?」
保火が心配そうに覗き込んでくるので、痛みを振り払うように頭を振る。すると頭痛はどこかへ飛んでいってしまった。
「いえ、ちょっと頭痛が」
「それはそれは、ここまで長旅でしたから疲れがでておられるのでしょう。ささ、どうぞどうぞ、お部屋へへと案内致しまする」
布が擦れる音さえもたてないように立ち上がってから保火は、私に上がるように促す。確かにここに立ち往生していても旅館に迷惑だろう。靴を脱いで、スリッパを履いて旅館にあがる。簡易スリッパにはイギリス国旗のシールが貼ってあった。どのスリッパか分かりやすく分別するためであろう。
保火の後をついていく、三回曲がり角を右に曲がって、ようやく部屋の前に辿り着いた。
「暁月の間でございます」
「おぉ」
扉を開けると、新品の木の匂いが充満した、一等旅館の部屋が現れて、感動の言葉が漏れてしまう。
六畳間には檜机に二つの座椅子に、固定電話に高級感を出すアクセントの掛け軸だけがあった。スリッパを脱いで、掛け軸の前まで行ってみる。掛け軸にはか細い筆で、覚醒と達筆にも書かれていた。
「御用がありましたら、そちらのお電話をおかけになってください。お休みの前に、当旅館自慢の露天風呂へ行かれてはいかがでしょうか? 滋養強壮効果もありますので、お疲れになった御身体にも効果があるかと」
確かに、これほどまでの一等旅館へとやってきて、露天風呂に入らずに寝てしまうのも勿体ない。
「それじゃあ入ろうかな」
「はい。ではご案内いたします」
私は荷物の中から着替えを取り出してから、また保火の後ろを着いていく。今度は左へ三回曲がり角を曲がると、男、女と書かれた暖簾が見えてきた。
「それではごゆっくり」
保火はそう言い残して消えてしまう。
女の暖簾をくぐって脱衣所へと入る。どうやら誰も入浴しておらず、私一人のようだった。つまるところ、貸切露天風呂と言う訳だ。少々高揚感を覚えて、さっそく学生服を脱ごうとする。すると頭に軽い何かがぶつかって、ぶつかった何かは床に転がった。
転がったものを見ると、どんぐりであった。どこから落ちてきたのかと天井を見るも、吹き抜けでもなくしっかりと天井は蓋をされていた。ならばどこかから飛んできたのかと、辺りを見回すも、しんとしていた。
不思議なこともあるもんだと、カッターシャツ姿になる。ボタンを外そうと手にかけると、スコンとどんぐりが正面から飛んできた。
流石に脱衣箱の空間からどんぐりが飛んでくるのを目の当たりにして、頭が酷く混乱して、さっきと同じように頭痛が発生する。
「やっと入れたぞ」
今度は何だと言おうと思って振り向くと、露天風呂の方から脱衣所へとアルカードが入ってきていた。
「んなな、なんで入ってきてるの!?」
「灯命を助けるためだ」
「助ける? 助けるって何から? 私は今からお風呂に入ろうとしてるんだけど!?」
「何を言っている。ここには風呂などない」
「いやいや、ここ旅館だし、露天風呂くらいあるよ。というか喋り方が変わってない?」
「血を吸ったからな。言っただろう興奮状態ではこうなる。と」
喋りながらアルカードは何もない空間へと横に拳を振りぬいた。
「そもそも、灯命。どうやってその旅館とやらに辿り着いた」
「どうやってって・・・」
どうやってだっけ?
「・・・お前は本当に魅入られやすいのだろう。な!」
今度は前蹴りをしているアルカード。魅入られ易い。その単語に頭痛が激しくなる。頭が割れそうだ。前頭葉から根が張って、それが後頭部まで蝕むような感覚。あぁこの感覚はあれだ。現実と虚実の違いを理解しようとして、頭が処理できずにいるのだ。
カッターシャツの胸ポケットに入っている札を一枚取り出して、額に貼る。その瞬間に目の前の脱衣所は消え去って、辺り一面腐葉土の臭いが漂う鬱蒼とした森へと変わる。
どうやら結界に足を踏み入れた瞬間に、かどわかされたらしい。




