モテ期の語源を知っているかい
玄関を出ると、爽やかな笑顔を向けるアルカードと、鋭い目つきで私のことを睨む蝶番井がいた。玄関を開けたら二人ともいなかった、私の心的外傷後ストレス障害が作り出した幻覚かもしれないと期待したけど、実在しているようだ。
玄関を開けるまで、外で話し声の一つもしなかったのが、更にこの場の緊張感を高めている気がする。どちらにも目を配りたいが、アルカードのことは一貫して無視した方がいい。さすがの私もここで、気を使うほど優しくはない。
「お、お待たせ。おはよう蝶番井さん」
昨日の不遜豪胆な態度とは反転して、戦々恐々で蝶番井に挨拶をする。だって後ろの男の人が怖いんだもん。
「待ってないわ。さぁ行くわよ」
蝶番井は腕を組みながら目線で先に歩けと指示してきたので、そさくさと先に歩かせてもらう。
「貴方はついてこなくていいわ」
私が蝶番井の横を通り過ぎた時に、初めてアルカードと蝶番井が会話をした。いやこれは一方的な拒絶だが、とにかく言葉を投げかけたのだ。
恐る恐る、成り行きを見たくて振り向くと、アルカードは昨日の朝のような爽やか笑顔で対応するだけだった。
ふん。と、鼻をならしてから、蝶番井が肩を並べて歩いてくれた。
「貴女、自分で言ったわよね?」
家を出て、最初の角を曲がってから暫くして、蝶番井がため息交じりに言った。
「な、何を?」
「夜の王に気をつけるって、言ったわよね?」
「言いました・・・」
「それが何? 自宅を特定されて、モーニングコールされているじゃない。一体どうすれば、その危機感の無さを発揮できるのかしら」
朝からチクチクと、細い言葉の針で刺されるのは、胃が悲鳴をあげるからやめてもらいたい。
「面目ありません」
ただただ言い訳もせず、頭を垂れて、こう言うしかない。だって全面的に私が悪いのだもの。
「貴女の面目なんて元から無いわよ。それで? あの後、第三公園で何があったのかを詳しく教えなさい」
流石はここら一帯を支配している家系の次女様だ。第三公園で祓除案件があったのを把握している。
「えっと、本当に面目ないのですが、完全に惹かれて第三公園に足を踏み入れてしまってました。そこで偶々アルカードと出会って、怪異に襲われそうになったところを助けられて、最後に私のアレがバレました」
詳しく教えろと言われたけど、ところどころ端折る形で説明する。だって掲示板を見ていることとか言わなくてもいいからね。
「はぁ・・・貴女は自分の性質をもっと理解した方がいいわよ。処理する方の身にもなってみなさい」
「はい。すみません」
蝶番井の言う通りなので、もう赤べこのようにヘコヘコと頭を下げて謝ることしかできない。
私は、この髪留めを留めている間は、怪異がいる領域に魅了されたり、憑りつかれたりされやすい体質なのだ。だから昨日の第三公園に侵入してしまったのは、あのアルカードの偽物が私を引き寄せていたからなのだろう。
高度結界外から引き寄せるほどの力を持った怪異なのだと、帰宅してから理解したので、やっぱり私は馬鹿なのだと、生と一緒に噛みしめて寝落ちしたのを覚えている。
憑りつかれないように立ち回ってはいるのだけど、どうしてもそういった場面に陥ることがある。その場合は二乗院教諭か、物部が処理してくれることが多かった。だから蝶番井がこういったアフターケアをしてくれるのは物珍しいことだった。
「そういえば、どうして蝶番井さんが?」
「頼まれたからよ」
「えっ誰に?」
蝶番井に頼みごとをできる人物がいるのは限られているが、驚きのあまりに口に出してしまった。だからか、分かって言っていると思われて、睨まれてから告げられる。
「虞よ」
昨日の昼休みに送って、助け船と言っていたあのメールが、本当に助け船になるとは、物部虞という人物は未来予知ができるのか、それとも未来からやってきた俳人型ロボットなのではないかと、嬉しさのあまりに想像に耽ってしまいそうになる。
因みに蝶番井と物部は旧知の仲である。親友や友達ではない。旧知の仲だ。ここら一帯を支配する華族と、新たにこの街を興そうとする二人は水と油なのは明白だろう。物部家も元は、蝶番井家に仕える家だったのだけども、それは今は関係のない因まないお話。
物部が何か弱みを握っていないと、蝶番井が私のアフターケアなんてしないだろう。蝶番井には申し訳ないことをしたのかもしれない。だが、昨日の土下座問答のこともあるので、この件は不問にしておこう。
「そういえば、今日は山田さんと四月一日さんはいないの?」
気まずい雰囲気を変えるために、話を変えてみる。いつもならば、お友達の二人が蝶番井の側にぴったりといるはずなのに、今日はその姿形さえ見えないのだ。
「いるわよ。対応できる位置に」
「い、いるんだ」
あたりをキョロキョロと見渡してみても、それらしい姿は見えない。目視できないところから対応する事象が起こらないことを祈っておこう。
「・・・それにしても、彼に貴女の特性がバレたのは好ましくないわね」
「それはそう思う」
「特性って、あれは特性と言うよりも、特徴じゃない?」
「確かに、良し悪しあるけど・・・も!?」
突然会話に割って入ってきた声はアルカードの声で、それだけでも驚愕の出来事なのに、発言まで近づいてくる気配が一切なかったのだ。私と蝶番井は同時に息を呑んで、私よりも早く蝶番井が言葉を紡ぐ。
「止まりなさい」
それはアルカードに対して言ったのではなく、アルカードの背後から竹刀を振り下ろそうとしていた山田へ対しての静止の言葉だった。こちらもいつの間に出現していたのかは、私には到底理解できないのであろう。
山田は瞳孔の開いた目でアルカードを見続けながら、振り下ろしかけた竹刀を竹刀袋へと戻す。真剣じゃないのに、竹刀で袈裟斬りをしようとした殺気は真剣そのものだったのが、冷や汗ものだ。
「貴方、ついてこないでって言ったわよね?」
剣呑な目つきと、いつもの髪を指で挟んでなぞる、怒りをあらわにした態度でアルカードに訊ねる蝶番井。
「言ったね」
「じゃあなぜ、ここにいるのかしら?」
「君の言うことに従う理由はあるかい?」
清々しいほどに笑顔で喧嘩を売るアルカード。確かに個人としてはそうだけど、空気を読もうよ、山田が今にも竹刀を再び抜いて、斬ろうとしているよ。
「ないわね。ないけど、警告よ。今後一切骨茱灯命と関わるのは止めなさい」
「どうして君に、俺の行動の制限をされなきゃならないんだい?」
「どうもこうも本人が怖がっているじゃない。ね?」
全員の視線がこちらへと向く、この瞬間が悍ましく感じたりする。
私は恐怖のあまり声が出ずに、大きく頷く。
「と、いうことよ」
「ふーん・・・じゃあさ」
アルカードは緩慢な動作で蝶番井へと近づいて、耳打ちをした。口の動きは手で隠されていて見ることはできなかった。見たところで読唇術など兼ね備えていないので意味はない。
蝶番井の吊り上がった目が少しだけ大きく開いた後に、また険しい眼差しをアルカードへと向けた。その目つきでも小慣れた感じの笑顔を作ってから、アルカードは距離をとった。
蝶番井はここ一番に苛立ちを隠さずに舌打ちをした。
「いいわ。帯同を許すわ」
さっきから私の所有権が、私じゃなくて蝶番井にないかな。ムッとしたのと、裏切りの発言なので、蝶番井へと詰め寄る。
「ちょっと、どういうこと蝶番井さん」
「モテ期が来たのよ。よかったわね」
ならばちょっとは良かった風な声色で言ってほしいものだ。




