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「お、奥様…!」
挨拶もそこそこに入室してきたメイドに、私は思わず声を上げた。
「も、申し訳ございません」
メイドは弁解するも見るからに青い顔をしていたので、咄嗟に出ただけの言葉だと分かった。それ程に、何かに心をとらわれている様である。
彼女は普段、どちらかと言うと冷静に行動できるタイプだ。そんな彼女がここまで動揺するとは一体何事だろうかと、少し心臓をざわつかせながら口を開いた。
「ど、どうしたのです?」
「その、旦那様が…」
恐る恐る発された“旦那様”という言葉を聞いてピクリとこめかみが反応する。
まさか、と咄嗟に察しがついた。
「戦地にて…意識不明の重体との事です」
一気に体が冷えていく感覚。
ついに恐れていた事態が起こってしまったのだ。
私、ハルリナ・オルレアンが夫のゼストと出会ったのは4年程前。
私達の結婚は王命だった。
多大な功績を認められて爵位と屋敷を与えられた元平民の彼と、貴族の娘である私。かなりの待遇だと話題になったが、それくらい彼はこの国に貢献してきた。
戦いにおけるスキルが高いのは勿論、兵士時代から頭角を表していた彼の機転の良さは、何度かこの国を救ったという。
異例の出世で30歳で指揮官まで上り詰め、国王までも彼を称えた。
『私の様な者の所に嫁ぐことになってしまい、申し訳ございません』
初めての顔合わせの日、彼はそう言った。
凄腕の騎士と言われて、もっと強面の粗暴な人物が現れるかと思っていた私は少々驚いた。
実際の彼はとても低姿勢で、垂れた目が印象的な優しい顔をした人だった。
しかも、彼が言った事は正直図星だった。
私は16の頃から城の侍女として勤めていた。それは両親の思惑からであり、王族、もしくはその関係者から見染められればかなりの良縁となるからだ。
私もそれが役目だと思い、少しでも気品や教養がある様に、一つ一つの行動に気をつけた。
そのお陰もあって仕えていた王妃様に気に入られ、21歳を迎えた時に例の王命を授かる事ができたのだ。
でもそれは私と両親が望んでいたものではなかった。彼は爵位を与えられたといえど、元は平民。
私の家に齎される利益というものはなく、ただ彼の後ろ盾を強くする為だけのもの。
彼が国王から気に入られているという、ある種利点ではあるが、それが永遠かと言われるとそうではないだろう。
約5年間努力してきた結果がこれかと正直落胆した。
そんな思いが伝わっていたのだろうか、彼はそれに対して怒る訳でもなく悲しむ訳でもなく、心から申し訳なさそうに言った。私は自分を恥じた。
彼は13歳の時に病気で両親を亡くし、生きていくために兵士になった。
地道に積み上げた実績と信頼が身を結んだ訳だが、彼は慢心する事はなかった。
むしろ「僕みたいな人間は胡座をかいてはいけないから」と、折角爵位を得て家庭を持っても、仕事は忙しくなる一方だった。
それでも彼はなるべく私を蔑ろにしない様に、気遣ってくれていたと思う。
泊まりが続いた時は必ず休暇を入れて一緒に1日過ごしたり、どこかへ出かけたり、食事に連れて行ってくれたり。
彼は第一印象通り、とても優しくて誠実な人だった。
だけど夫婦になって4年経った今でも、私達の間には遠慮がある。
それは私のせいかもしれない。こんなに気遣ってくれる彼に対して、最初だけといえど確かに落胆してしまったから。
彼はきっと私に対して情はあれど、愛してはいないと思う。
あくまで夫としての義務と責任を果たそうとしてくれているだけで、それらを優しさのベールに包んで上手に隠している。
でも一つ言える事は、愛はなくとも大切にしてくれようとする気持ちは変わらないという事だ。
最近は更に忙しくなって、半月に一回顔を見られれば良いぐらいすれ違う様になってしまったけれど、彼の優しさは変わらないし、私はただ信じて帰りを待つだけだ。
私はそれで構わないのだ。
本当にそれで、構わないのだ。
「いってらっしゃいませ」
「ええ」
執事長のベイを筆頭に、屋敷の使用人達が見送ってくれる。みんな、彼の事を案じる表情を浮かべていた。
私はすぐに馬車に乗り込み、彼が運ばれたという現場近くの病院へと急ぐ。
これまでも怪我をする事はあっても、意識不明になったのは初めてだった。
それも今回は領地同士の紛争の収拾に向かっていただけで、今までもっと大規模な戦争など過酷な現場の中でも彼は生き抜いてきた。それなのにまさかこんな小さな紛争で、彼の命が危ぶまれる事になるとは。
何かの爆発に巻き込まれたのか、誰かに襲われたのか、なぜかそこの具体的な情報が入って来ないのでただただ考えるしかない。
とにかく彼の元へと向かった。
「ゼスト卿の奥方でございますね。ご案内致します」
然程大きくない病院だが、怪我人で溢れかえっていた。恐らくその紛争で傷ついた領民達だろう。彼と同じ騎士の様な格好をした人達もあちこちにいた。
「あの、夫に何があったのですか」
案内してくれるという女性に問うと、彼女は歩きながら教えてくれた。
「騎士団の方達のおかげでとりあえず紛争を抑える事が出来たのですが、逆上した民が暴走して小型爆弾をゼスト卿に向かって投げたのです」
思わず立ち止まってしまう。
「…あ、あの…」
「奥様、大丈夫です。接触型ではなく時限型だったので咄嗟に避けられましたから、身体のどこかが欠損したという事はありません。それに意識も戻りました」
ほっと胸を撫で下ろす。
しかし、その女性の表情が曇った。
「何も、聞いてらっしゃらないのですね」
「え?」
「実は…」
彼がいるという病室に案内される。
特別に個室を用意してくれたらしく、扉を開けると頭に包帯を巻いた彼がベッドから起き上がっていた。
外を眺めていたらしい彼はこちらを向く。そして私の顔を見て、こう言った。
「…誰だ」
初めて見た鋭い眼光で、彼が私にそう問う。
「…ハルリナ・オルレアンと申します」
「オルレアン…?」
「あなたの…妻です」
私がそう言った瞬間、彼の顔が信じられないといった表情で歪んだ。
そして次の瞬間、頭を抱えて悶え始める。
「…ああ!もう何なんだよ!!知らねえよ!誰だよお前!!」
「ゼスト卿、落ち着いて下さい」
「触んな!くそ!!…ああもう何だよこの声気持ち悪い…何もかも気持ち悪い!!」
彼が突然騒ぎ始めて、私はその場に立ち尽くす。
たくさんの人が部屋に入ってきて彼を抑え始め、私はいつの間にか部屋から出されていた。
「申し訳ございません。奥様の顔を見たら何か思い出すかと思ったのですが…お二人に辛い思いをさせてしまいました。
目覚めた時もあの様にパニックになりまして」
「…彼は、彼は本当に記憶が」
震える手を胸の前で強く握りながら、何とか問う。
女性は、静かに頷くとこう言った。
「はい…何故かは分かりませんが、ゼスト卿は今、13歳の頃の記憶に戻っておられます」
強く握った指先が、どんどん冷えていく感覚と共に、私は膝から崩れ落ちた。




