大きな桜の木の下で
ピクシブの企画で投稿した小説です
卒業証書が入った筒と通学バッグを持って、舞い散る桜の花びらが制服や髪にひっつくのも構わず、私は走り続けていた。
中学校を無事に卒業できたことを、今すぐに伝えたい人がいるからだ。
学校からそう離れていない場所に小高い丘があって、そこには、それはもう大きな大きな桜の木が植わっている。
私の目的地はそこだ。
そこに辿り着くと、大きな桜の木の下に、その人はいた。
「卒業式、終わったのね。おめでとう、ミオちゃん。」
ピンクの着物を着た、真ん中分けの黒いストレートヘアーが魅力的な美人が、私に向かって笑ってみせた。
彼女は根本春香さんといって、私にとっては誰より特別な存在なのだ。
1年生の秋頃に同級生と揉めてしまってクラスで孤立し、このままだと明日からいじめられ、学校で居場所を失うのではないかと不安になり、家に帰る気も起こらなくなったとき、この丘へと駆け上がった。
そのときに出会ったのが春香さんなのだ。
桜の木の下で泣いていた私に、どうしたの?と声をかけてくれて、ひたすら話を聞いてくれた。
それ以降、何か辛いことがあると春香さんのところに行くようになり、次第に何かいいことがあったときも春香さんに報告するようになった。
気がつくと、毎日のように春香さんのところに行くようになり、学校が終わったらここで春香さんといろんな話しをして帰ることが日常になっていた。
クラスでいじめられたりすることはなかったけど、特別親しい人もできなかったし、両親や先生たちは優しいけれど、そんな悩みを理解してはもらえない。
春香さんだけは、私の不満や不安をしっかりと受け止めてくれた。
だから春香さんは、私にとってなくてはならない特別な存在なのだ。
友達でも家族でも教師でもないし、そのどれでもある大切な人だ。
あと、誰に言っても信じてもらえないと思うけど、春香さんはきっと幽霊なんだと思う。
毎日毎日、それこそ1年中、薄い生地のピンクの着物を着て、歳を聞いても住所を聞いてもはぐらかされるし、一緒にどこかに行こうと誘ったときは「私、ここから離れられないの」と断られた。
え、どういうこと?とその言葉に疑問を抱いた矢先、春香さんの体が透けていてハッとした。
そのときに、ああこの人は幽霊なんだな、と確信した。
気のせいなのか、その日から体が透けて見える頻度が多くなってきたし、日を追うごとに体の薄さが増していってる気もした。
でも不思議なもので、あまり怖いとは思えなかった。
何の根拠も無いけど、きっと悪い幽霊じゃないんだと思う。
どういう未練があってここに出るのか解らないけど、いつか成仏できたらいいな、いわゆる地縛霊ってヤツなのかな、くらいにしか思わなかった。
もっとも、春香さんが成仏する前に、私はもう春香さんには会えなくなるのだけど。
「あのね、私、合格した高校がすっごく遠いの。親の都合で引っ越すことになったから、だから、私、もう、ここに来れないの。」
今日も春香さんとひとしきり話した後、今日、一番伝えたかったことを告げた。
言ってるうちに涙が流れてきた。
わかっていたはずなのに。
覚悟はできてたはずなのに。
春香さんが私の頬に伝う涙を人差し指で拭ってくれた。
「私も、明日から遠いところに行くことになったの。」
春香さんはそう言うと、悲しげに微笑んだ。
私は春香さんの言う「遠いところに行く」の意味をしばらく考えて、ようやく悟った。
春香さん、成仏するんだ。
「そうなの?」
「そう、だから、私たち、今日でお別れ。これから、別々に生きてくことになるわ。」
春香さんが早く成仏できたらいいな、とずっと思っていたからだろうか、春香さんと会えなくなることは残念だけど、今は嬉しさの方が大きくて、思わず笑みがこぼれる。
「高校に入っても、私のこと忘れないでね。」
「うん!春香さんも、元気でね!」
私は春香さんに背を向け、通学バッグと卒業証書が入った筒を掴んで丘を下っていった。
これからのことで不安はあるけど、きっと大丈夫。
新しい高校にはマンガ愛好会があって、オープンキャンパスに行ったとき、その愛好会の人たちにすごく親切にしてもらった。
好きなマンガやアニメ、声優の話で盛り上がって、とても楽しかったし、友達もできそうな気がする。
そうきっと、大丈夫よね、春香さん!
ミオの背中を見送った翌朝、根本春香、いや、名も無き桜の花の精は自分がこの世に留まり続けた数百年を振り返った。
いつからこの丘にいたのかも、いつから人の形を纏えたのかも、もう覚えてはいない。
だが、この丘に訪れた人々の顔は忘れていない。
あるときは親同士が決めた相手と結婚するのが嫌だと嘆く娘を慰め、あるときは枝にロープを括りつけて首を吊ろうとした少年を引き止め、あるときは談笑する少女たちの輪の中に入った。
本体であるこの桜の木がこの丘の土にしっかり根を張っているせいで、ここからは離れられないという不自由があったが、人の身を得て、こんなに素晴らしい思い出ができたことを、桜の精は嬉しく思った。
土地開発が進んだことにより、もうすぐこの丘は平地にされ、自分の本体である桜の木も切り倒されて取り除かれてしまう。
ニッカボッカを履き、ヘルメットをかぶった男たちが自分の周りにたくさんいる。
そのうち1人が、チェーンソーを持って自分に近づいてくる。
ああ、もう、この世とはお別れか。
チェーンソーがギイイイーーン!と唸りを上げたとき、桜の精は空を見上げて微笑んだ。




