魅了と誘惑
「……アル?」
それほど待つこともなく、ステファーノに導かれたオルグが顔を出した。
「……どうした?」
そのオルグの顔を見て、アルは眉を寄せた。
「?何がですか?ステファーノからアルが帰ってきたと連絡を受けたのですが……」
部屋に入ってきたオルグは、一見普通に歩いている。だが、その頬は上気し、なんとなく、目が潤んでいる。
「熱でもあるのか?」
「……そんなことはないと思いますが……ちょっと広間が暑かったので、そのせいでしょうか……」
「何か……ちょっと変な雰囲気でしたね。エリアルド殿が激昂していらっしゃいましたし……」
「エリアルドが?」
腑に落ちないような顔をしたステファーノの言葉に、アルの眉間のしわが深まる。
「それより、アル、何かあったのでしょうか。何もなければ、私はロザリンド殿のところへ戻りたいのですが……」
「はあ?」
ちょっと苛立ったように言われて、アルは素っ頓狂な声を上げた。
「なに…何言ってんだ?お前?」
「ですから、私はあの方のところへ戻りたいのです。……初めてです。あんなに美しく、聡明な方に会ったのは…」
ちょっと頬を染めて、オルグははにかむが。
ちょっと待て!!絶対お前おかしいから!!
三人は同時にそう思った。
あり得ない。あのオルグが、アルよりも会ったばかりの女を優先するなんて。
よしんば、一目でフォーリンラブしちゃったとしても、色恋で周りが見えなくなるような男ではないのだ。オルグレイという男は。
「ちょっとお前、そこ座れ!」
「あ痛!」
アルは乱暴にオルグを手近なソファに放り込むと、ごちん!と音を立ててオルグと額を合わせた。
「あ……アル?」
「黙ってろ!」
抵抗を封じて、目を閉じる。オルグの中へ……奥へ、奥へと意識を沈める。
「…!!」
オルグの深層意識の奥、王族の嗜みとして常時かけている魔法障壁の一部に、綻びがあった。
「この……馬鹿!こんなもんにひっかりやがって!」
「あ…アル?」
オルグの髪を掴んでもう一度頭突きして、アルは額を合わせ直して集中した。
「…守護障壁…」
小さく呟くと、二人を取り囲むように光の輪が浮かぶ。光の輪はそのまま光の玉となって二人を包み込んだ。
その光の中、オルグの深層意識にかけられた障壁が復元され、『魅了』と『誘惑』の効果を打ち消していく。
ややあって光が消え、目を開いたオルグは、いつものオルグだった。
「……今のは……」
「お前、障壁破られてんじゃねーよ。『魅了』と『誘惑』、かけられてたぞ!」
「!?私が、ですか!?」
ずびし!と額を突かれて、オルグはあっけにとられる。
「覚えておられないのですか?」
ステファーノに冷たい水の入ったゴブレットを渡されて、オルグはまだ呆然と首を振った。
「…広間が暑かったのと……なにかの香が焚かれていたのは覚えています。…それから…軍議のときに出たお茶が妙に甘かったこと…くらいでしょうか…」
オルグも、アルも、レティも。
王族はみんな、深層意識に心理的な状態異常を防ぐための魔法障壁をかけている。
今回のような『魅了』や『恐怖』などで操られることを防ぐためだ。もちろん、確実とは言えないが、それでもちょっとやそっとの術など効かないはずなのだが……。
「茶と、香で魔法がかかりやすい状態を作って、『魅了』の魔法を使ったか…」
「ロザリンド殿にご執心だったようですが…術者は彼女でしょうか?」
「それにしちゃあからさますぎねえか?」
ブルムと話しながら、ステファーノは小袋から芥子粒ほどの丸薬を2粒取り出した。
「エリスの花を煎じた薬です。念のため飲んでおいてください。どんな状態異常にも効きますから」
「すみません、ありがとうございます」
礼を言い、オルグは貰った薬をすぐに飲み下す。
「エリアルドが激昂してたって言ったな。ほかの奴ら全員、術中に嵌ってたのか?」
「かもしれません。エリアルド殿は『魅了』の類が効きませんから、術にかからなかったのでしょう…」
「かかった私が言うのも何ですが……王族の私がかかるほどなら、騎士たちはもっと重症かもしれません。…目的は、いったいなんでしょうか」