王女の覚悟
コンコン、と控えめなノックの音。
与えられた私室でベッドに寝転んでいた依那は、ゆっくりと身を起こした。
あれから。
無言のままの二人は私室に案内されていた。
ショックの大きい様子に配慮してくれたのだろう、颯太が来た時には祝宴が開かれたらしいが、今晩は部屋に食事が運ばれ、そっとしておいてくれているようだった。
「…………どうぞ」
「……よろしいでしょうか。聖女様」
気怠く返事を返すと、おずおずとレティシアが顔を出した。
「お休みのところ失礼いたします。もしよろしければ、お茶を…」
「……ありがと」
依那の答えにホッとしたように笑って、レティシアはお茶の準備を始めた。
依那もベッドから這い出してソファに座り、慣れた手つきでお茶を淹れるレティシアを眺める。
「どうぞ」
「ありがとう」
手渡された香りのいいお茶を一口飲めば、優しい甘さにほんのりと胸が温かくなった。
「……美味しい…」
「!よろしゅうございました」
紅茶のようなお茶をもう一口飲み、依那はソファの背に身を預けて天井を見上げた。
「………帰れないのね………あたしたち……」
「聖女様……」
「……いいの。むしろ、ちゃんと教えてくれて、すっきりしてる」
〈導きの声〉は魔王を倒すまで扉は開かないと言っていた。ということは……魔王さえ倒せば帰れるのかもしれない。
「……今までの勇者や聖女で、帰った人はいるの?」
「この地に留まった方がほとんどですが……歴史書には、お帰りになった、という記載もあります」
促されて向かいのソファに座ったレティシアが答える。
「勇者と聖女って、どんな基準で選ばれるの?」
「……わかりません。ですが、こちらの世界と縁を結ぶ資質がある方が選ばれると聞いたことがあります。皆様がお身内同士とは限りませんが」
「……そういえば、アルツ―ル……だっけ?あの赤毛の人が、聖女ならもういるって言ってたけど…」
「アル兄様は、召喚に反対だったのです」
そう言って、レティシアは目を伏せた。
「異世界に救いを求めるのではなく、まずは自力で対処すべきだと。創生神アルスに仕える者を神官、星女神ヴェリシアに仕える者を小聖女と呼びますが……たまたまわたくしの小聖女としての力が強かったものですから、聖女様をお迎えする必要はない、と……」
……ですが、聖結界を張ることはわたくしにはできません。
「そもそも、召喚の儀は軽々しくできるものではありません。魔王が復活し世界が本当に危機に陥った時、初めてアルス神殿の竜珠が光を放ち、門を繋げることが可能となるのです。……我が国以外でも召喚の儀自体を執り行うことはできますが……他国での召喚の成功例はほぼ皆無だと聞いております。また、召喚の儀は犠牲を伴います。……召喚の儀を執り行う術者の何割かは命を落としますから」
「ちょっ…ちょっと待って!」
さらりと告げられた言葉に依那はお茶を吹きそうになった。
「命を落とすって……」
「あ、ソータ様は大丈夫ですよ?勇者様や聖女様が召喚に参加される場合には危険はありません」
「そうじゃなくて!」
颯太の話では、颯太が呼ばれたときはレティシアの姿を見たと言っていた。
「レティシアさんも……命を懸けたってこと?」
「わたくしは運よく生き残りましたが……魔導士が三人亡くなりました」
「……そんな……」
「異世界の方々をお呼びし戦いを強いるのです。わたくしたちが命を懸けるのは当然です」
凛として胸を張る姿に、依那は言葉を失った。
他力本願、誘拐、と文句を並べていたが……この世界の人々もまた犠牲を払い、覚悟を決めているのだ。
深く息を吸って、目を閉じる。
依那も腹をくくるしかなかった。