大団円
半壊した聖堂内に厳かなこどもの声が満ちる。
跪き、一心不乱に祈りを捧げるルルナスを、金の光を放つ魔法陣を、その中を走る銀と白の光を、周りを取り囲む一同は食い入るように見つめていた。
口に出さずとも、人も亜人も獣人も、種族の違いを越えてその場の全員が心から彼女の帰還を希う。
どれほどの時間が経っただろうか。
「!?」
両手を握り締め、涙を堪えながら睨むように魔法陣を見つめる颯太の前で、不意にオルトの刃が光を増した。
同時にアルタの刃も同じ光を放ち始める。
「おお……」
息を飲む一同の見守る中、二つの神剣の刃は混じり合い、溶けあって、魔法陣の中央に大きな光の渦を描く。そして、それを取り巻くように輝く、4つの宝玉。
「っ……姉ちゃん!」
堪らず、颯太は一歩踏み出していた。
「何してんだよ!みんな心配してるのに!帰って来いよ!姉ちゃん!」
「エナ!!」
怒鳴った颯太につられるように、アルも叫ぶ。
「戻って来い!エナ!」
「エナ姉さま!」
「エナ殿!」
「エナ!!」
皆が口々に彼女の名を呼んだ、その瞬間。
魔法陣から眩いばかりの光が迸った。
光は瞬く間に天と地を結び、柱となって立ち昇る。
やがて、数瞬ののち光がふっと掻き消えた、その魔法陣の中央には。
「あ……ああ……」
がくり、と姫たちが膝を付く。
ほっと息をついたセオがルルナスの肩を叩く。
「っこの……バカ姉ちゃん!!!」
今度こそ手放しで泣きながら、颯太は依那に飛びついた。
「ちょっ……バカとは何よ!バカとは!」
「エナ!!」
生還したとたんに罵られて、文句を言おうとした依那を、颯太ごとアルが抱き締める。
「エナ!」
「聖女!!」
続いて、フェリシアが、ミーアが。
「エナ!」
「エナ殿!」
「ちょ……ちょっとお!!」
しまいには、ラウとダリエスまでが依那に抱き着いて、もはや収拾がつかなくなる。
みんな、泣いていた。
泣きながら、笑っていた。
やっと……やっと終わったのだと、勝ったのだと、心の底からの喜びに身を震わせて。
「………お見事でした」
少し離れた場所からその光景を見守るルルナスを、ナルファが労う。
「ありがとうございました。ルルナス様……あなた様がいてくださらなかったら、ぼくらは一番大切な仲間を取り戻せなかった。心から感謝いたします」
《 ……ううん。もとはと言えば、ぼくの罪だもの 》
零れる涙をぬぐい、ルルナスもそっと微笑んだ。
《 それに……ぼくも彼女にお礼がしたかったんだ。ぼくを見つけてくれただけじゃなく……かれを救ってくれた彼女に…… 》
「ルルナス様!!」
号泣するレティとシャノワをまとめて抱き締めた依那が手を振る。
小さく手を上げると、依那はもう一度二人をぎゅっと抱きしめてからこちらへ駆けてきた。
「ルルナス様!ありがとうございました!!」
《 ぼくの台詞だよ、聖女。体におかしいところはない? 》
「はい!!」
目の高さを合わせるように、ルルナスの前で跪いた依那はそっとルルナスの手を取る。
「ルルナス様とヴェリシア様のおかげで、完全復活です!」
《 ………ん?エナ……そなた……まさか…… 》
そのとき、にっこり笑った依那を見て、悠然と構えていたセオが眉を顰めた。
「あー……やっぱり神様には判っちゃうかぁ……えっとですねえ……その……ヴェリシア様だけじゃなくて……エリシュカ様とコンラートさんの魂もまとめて宿しちゃって……」
《 …………それでか…… 》
えへへ、と頭を掻く依那に、セオは特大のため息をついた。
「セオ?どうした?」
《 ……アルよ…… 》
心配そうに寄ってきた自分の器ともいえるアルに諦めたような一瞥を寄越して。
《 お前の嫁はとんでもないな……ヴェリシアだけでは飽き足らず初代の二人の魂の残滓まで取り込んで、あろうことか、神を宿しおった 》
「「「「はああっ!???」」」」
その爆弾発言に、思わず周りは素っ頓狂な声を上げる。
「えっ?ちょっと待って、神様宿したって……姉ちゃんが!?」
「それでは、エナ姉さままでアル兄様と同じように!?」
「永遠の時を生きるというのか!!」
「だって!ほっといたら、エリシュカ様、コンラートさんにくっついて地獄行きだって言うんだよ!?そんなの許せないじゃん!だから……」
周り中から詰め寄られ、依那はごにょごにょ言い訳をし……それからアルを見た。
大騒ぎする仲間の中でただひとり、目を見開いて自分を凝視する、その人を。
「……えっと……そういうわけだから……これからも末永くよろしく……ね?」
「……そういうわけ……って………おまえなぁ……」
何も言ってくれないアルの顔色を窺うようにそう言えば、彼はセオに負けないくらいの特大のため息をついて、やにわに依那を掻き抱いた。
「ギャーーーーー!!!」
「おお……綺麗に決まったの」
途端に真っ赤になった依那の平手打ちが炸裂するのにラウが感嘆の声を上げて。
「ってえな!!いい加減、ちったぁ慣れろ!」
「慣れるわけないでしょ!!」
「慣れろ!」
「無茶言うな!」
「……っく、ふふ、あははははは」
途端に始まった口喧嘩に、唖然としていたルルナスが噴き出した。
「……ルルナス様ぁ……」
《 あはは……ごめんごめん、だってさ…… 》
まだ赤い顔で口を尖らせる依那のジト目に、ルルナスはまだ笑いながら滲んだ涙を拭う。
《 ……きみたちなら、大丈夫だって思って。ほんとうに……良かった…… 》
「!ルルナス様!?」
満ち足りたように微笑むルルナスの姿が、ゆらりと揺らぐ。
《 もう……思い残すことはない……ありがとう…みんな…… 》
指先から、つま先から―――少しずつ、ルルナスの姿が揺らいで消えていく。
「なんで!?待って!ルルナス様!!」
「ルルナス様!?」
同時に、一部始終を見守っていたステファーノの裡から、エノクの残滓が光となって抜けだした。
「っエノク!?」
――ぼくも行くよ、ルルナスと一緒に
――ありがとう、ステファーノ。ぼくを連れ出してくれて。ルルナスに会わせてくれて
光はふわりとステファーノの周りを飛び、それからまっすぐにルルナスの許へ向かう。
――ルルナス!
《 エノク!! 》
胸元へ飛び込んできた光を抱き締めて、ルルナスはこどものように幸せそうに笑った。
「ルルナス様……」
その姿は、ゆっくりと薄くなり、半透明になっていく。
《 ……ルルナスは……すべての力を使い果たしたのだ 》
目の前の光景を見守るしかない一同に、セオは重々しく告げた。
《 アスナスは、エナの魂を繋ぎ止め、道を繋ぐために。ヴェリシアは、エナを取り戻すために。そしてルルナスは……自分の所業のけじめをつけるために。……すべて、覚悟のうえでのことだ 》
「そんな……」
「なんとかできないの!?セオ様!!」
《 無理だ。ここまで力を使い果たしてしまっては、神とて存在を保つことはできぬ。依り代でもあれば話は別だが、それでも…… 》
「「だったら!!」」
颯太に縋りつかれるセオの言葉を聞いて、依那とステファーノが同時に声を上げた。
「あたしが!!もう、3人分取り込んで神様が宿ってる状態なんだもの!あと二人くらい増えたって、どうってことないわ!」
「いえ、ぼくが!!もともとエノクを宿してたのはぼくです!ルルナス様もどうかご一緒に!」
口々に叫んだ二人は一瞬顔を見合わせ、それからまた叫ぶ。
「駄目だよ!ステファーノさんは!神様宿すことになるんだよ!?イっちゃんが待ってるんだから!!」
「エナさんこそ!エナさんの中にはコンラート殿がいるんでしょう!?ルルナス様と一緒にするのはいかがなものかと!」
「いや、二人とも。ここはどうあっても譲ってもらうぞ!」
その時、お互いに譲らない依那とステファーノに、竜の気全開のラウが割って入った。
「我はドラゴニュートの王子!守護竜アスナスが直系の子孫、いわばルルナス様にとっても子孫のようなものだ!ルルナス様を宿すに、これ以上の器はあるまい!」
「ラウ!?」
ぎょっとするアルを尻目に、ラウは半透明のルルナスの前に膝を折り、凄まじい勢いで口説きにかかっている。
「ルルナス様、なにとぞこの我に!!我は長年寿命を延ばす手立てを模索しておりました!千載一遇のこの機会、断じて逃すわけには参りませぬ!!!」
《 ……え……え?え? 》
静かに消えゆくつもりだったルルナスはその勢いに若干怯えてすらいるが、ラウはそんなこと知ったこっちゃない。
「なにとぞ!!我は、なんとしても生きねばならんのだ!ミュウを……この世で一番大事な女を置いていけるものか!!」
「まあ!ラウ様!」
「ラウさん!」
掴みかからんばかりのラウの漏らした心情を聞いて、ドン引きしていた女性陣がちょっとばかり色めき立つ。
「ルルナス様!どうか、わたくしからもお願いいたしますわ!ミュウ様……リュドミュラ様は湖の精霊を宿しておられますの!!このまま孤独の中で生き続けるなんて、あんまりですわ!」
「見直したわ!ラウ!あんた、ただの生きたがりじゃなかったのね!クルトの王宮にしょっちゅう霊薬買いにきてたのも、薬師脅迫したのも、全部リュドミュラのためだったなんて!」
「頼むよ!ルルナス様だって、ただ消えちゃうより、人助けできた方がいいだろ!?」
《 え?ええええ?ちょ……ちょっと待って? 》
四方八方から姫&獣人の援護射撃を受けて、ルルナスは慌てた。
《 言っておくけど、ぼくはもう力使い果たしてるし。ぼくなんか宿しても、聖女みたいに永遠の命が得られるとは限らないよ? 》
「それでも!」
――ああ、ならば我らも加わろう
――ドラゴニュートに宿るというのも、また一興
「みんな!?」
食い下がるラウに、どこからともなく加勢したのはなり損ないのうちの2体だった。
――ほとんどのなり損ないは聖女のうたで帰るべき場所へ還った
――俺たちは、最後まで見届けることを望み残った変わり者よ
――ドラゴニュートの王子よ、我らがルルナスの一部として宿ることに異論はないな?
「無論!!」
なり損ないに尋ねられ、ラウは即答した。
「ミュウとともに生きられるのなら!我が悲願が叶うのなら、手段は選ばぬ!だから……だから、どうか!ルルナス神よ!」
真摯な瞳に貫かれ、ルルナスは天を仰ぐ。
自分のしでかしたことを考えれば、ここで消えゆくのは当然だと思っていた。いや、こんな満ち足りた思いで消えゆくのは、あまりにも過分ではないか、とすら。
それなのに……この人間たちは……アスナスの子孫は、自分に消えるなと言う。
ラウの悲願を叶えるという形で、世界に居場所を与えようとしている。
《 ………ああもう……本当にきみたちは…… 》
泣き笑いのような顔で微笑み、ルルナスはほとんど輪郭だけになってしまった掌をラウの胸に当てた。
その背中に、なり損ないたちが吸い込まれるように消える。
《 後悔したって、知らないからね?……どうか……末永くよろしく……アスナスの……兄さんの、子孫よ…… 》
ため息のようにそう言って。
ルルナスの姿は光の粒子となってラウの中へ消えた。同時に、がくりとラウが膝を付く。
「ラウさん!?」
「おい!ラウ!?」
慌てて駆け寄った依那とアルの前で、ゆっくりと顔を上げたラウは、にっと笑って親指を掲げて見せた。
「「「……っっしゃあああああ!!!」」」
おもわず雄叫びを上げた三人を、誰が咎められよう。どっと笑いが起こり、お祭り気分が盛り上がっていく。
「もう……エナ姉さまったら!」
「ああ……これは、帰ったら大騒ぎになりますねえ……」
くすくす笑うレティの隣で、指輪を拾い上げていたオルグが大仰にため息をついた。
「まあ、しょうがねえさ。心配かけた罰として……後始末、よろしくな?王子様?」
遠くから聞こえてくる鬨の声と蹄の音に耳を澄ませながらダリエスが肩を竦める。勝利に湧く騎士たちが、夢幻城へと駆け付けてくるのも時間の問題だろう。
「私ですか!?」
「当り前じゃない!どんだけ心配かけたと思ってんのよ!シャノワもよ!?」
「……返す言葉もありませんわ」
オルトを拾い上げたフェリシアに叱られて、エリシュカのヒルトを抱いたシャノワが肩を落とす。
「……そうですね。心配かけた者同士、ふたりで頑張りましょう」
「!ええ、オルグ様!」
そっとその肩に手を置くオルグを見上げ、シャノワは晴れやかに微笑んだ。
―――そうして。それから…………それから?
魔王の完全な討伐、そしてエンデミオンの王子とカナンの姫の生還は、動揺が広がっていた世界を喜びに染め上げた。
聖女のうたにより、そのなり方に関わらず、欠片でも人の心を残していた魔物たちはみな元の姿に立ち返った。
王家と王都を失い、悪事のすべてを暴かれたカナンは、もはや国として成り立たなかった。エンデミオンとシナークの協力のもと、今後は新しい国を興すこととなる。
依那と相談の上、颯太はこの世界に留まることを選んだ。ジョルムに見せられた、仮の世界でのことも一因だが、この世界を忘れることに耐えられなかったからだ。
ステファーノはその功績を認められ、イズマイアとともにコンポジート侯爵家を継ぐこととなった。
ルルナスを宿し、リュドミュラと変わらぬ命を手に入れたラウを、リュドミュラは泣いて責め、さんざん引っ叩き、数か月に渡る絶交ののち、その求婚とともに受け入れた。
他の魔人のように魔王とともに消え去ることを免れたジュリアは、依那の力によりフローリアの姿を取り戻した。シャノワの、心からの願いがあったからだ。今はシャノワ付きの筆頭侍女として、時に辛辣になりながらも甲斐甲斐しく主人に尽くしている。
そうして、1年後。
オルグとシャノワの結婚式が大々的に執り行われた。
花嫁の介添えを務めた依那とフェリシアが大号泣して使い物にならなかったのは言うまでもない。
さらに2年後、颯太とレティの結婚が発表され、エンデミオンの民を喜ばせることになる。
そして、アルと依那は。
大戦後、ジヴァールの大地を祝福し、西の地の再生を行ったのち、二人は歴史の表舞台に立つことはなかった。だが、ちょくちょく友人たちを訪れたり、苦難に陥った人々の前にふらりと姿を表したりするという。
赤い髪の剣士と、金茶色の髪の聖女は伝説となったのだ。
「……これ、エナ姉さまですわよね?」
「だろうねえ……」
―――数年後。
獣人の国で起きた人身売買未遂の報告書を覗きこみ、颯太がため息をつく。
「もう……姉ちゃん、水戸のご老公様じゃないんだから……」
「ゴローコー?」
不思議そうな顔で首を傾げるレティの腕に抱かれた息子の頬をくすぐって、颯太は何でもない、と首を振った。
見上げれば、窓の外、満天の星空が見える。
あの日……最初の星祭りの夜、見上げたのと同じ、降るような星空が。
「いやぁ……幸せだなぁ、と思ってさ……」
そう、きっとこれが。
これが、大団円というものなのだ―――。




