もう一度 2
一瞬の、出来事だった。
無限階段の呪いを解いて、すぐ。
白薔薇の扉に到達した勇者が、肩で押し開けるように扉に体当たりした、その瞬間。
不意に眼下の大聖堂から眩い白い光が放たれた。
「……?」
なんだ?と思う間もなかった。
《 ―――――――――!! 》
身を引き裂くような、声にならない叫び。実際に痛みを感じるほどに跳ねた鼓動。
「…ルル…ナ……?」
扉を開けた颯太と目を合わせたまま、コンラートの姿はその場から掻き消えた。
「えっ!?ちょっ……」
その唐突さは、押し入ってきた颯太の方が間抜けな制止の声をかけるほどで。
胸を貫く痛みが自分ではなく自分の中に渦巻くもう一人の魔王のものだと気付いた時には、コンラートはすでにいずこかへと転移していた。
「……なん……」
あまりに急な、しかも意に反した転移に眩む視界を押し留め、顔を上げたコンラートは、自分が半壊した大聖堂の中央にいることに気付いてはっと息を飲む。
《 ……久しいな、コンラート…… 》
「……セオ……?」
前の時間軸とは違い、自分から声をかけたセオに、コンラートは信じられないというように目を見開いた。
「なん……で……まさか、こんなところまで……」
知らず、そんな呟きが口をつく。
確かに、挑発はした。
だが―――七大神の一角であり、消滅を許されぬ時の神が、本当に魔王の領域の最深部まで来るとはさすがのコンラートも思っていなかったのだ。
《 俺は、来たぞ。コンラート。もう一度、お前に向き合うために 》
「……ッ」
一歩踏み出したセオの真摯な瞳に、明らかな動揺の色を見せ、コンラートは踵を返そうとした。だが、ルルナスが、もう一人の自分がそれを許さない。
「………エノク……?」
震える囁きが、コンラートの……いや、オルグの唇から漏れる。
「きみ……なの……?エノク……?」
震える足が一歩、神気の立ち昇る器を持った凡庸な男―――傍観者に向けて踏み出される。
彼に重なって見える、痩せた少年に向かって踏み出される。
―――ルルナス!しっかりしろ!!
歯噛みをし、コンラートは体の主導権を奪い返そうと足掻いた。
傍観者に重なって見えるあの少年が誰なのか、ルルナスと身体を共有するコンラートにだってわかっている。
だが、今はあまりにタイミングが悪かった。
勇者は、すでに白の部屋の扉を開けているのだ。一秒でも早く戻らなければ、『聖女の涙』は。無防備な大聖女像は。
―――ルルナス!後にしないか!ルルナス!!
なおもエノクの許へ行こうとする身体を押し留められず、コンラートの魂は絶叫した。
一方、そのはるか上空、白の居室では、目の前で魔王に置いてけぼりをくった颯太が途方に暮れていた。
「え……っと……今、魔王、いたよね?」
「いらっしゃった……ように見えましたが……」
「ど……どこ行っちゃったんだろ……?」
おそるおそる室内に足を踏み入れ、颯太は周りを見渡した。
白い壁、白い床。
真っ白な毛足の長いラグと白のカウチ、コーヒーテーブル。窓は大きく、その正面に大聖女像。
簡素ながらも居心地の良いその部屋は明るく、とても魔王の私室だとは思えない。
だが、そのどこにも、コンラートの姿はなかった。
「特に……設置型の罠などはないようですが……」
注意深く室内に探査の目を光らせ、レティは大聖女像を見上げる。
「大聖女像も……間違いなく本物ですわ」
「……あっちにもドアがあるね」
反射のように大聖女像に跪くレティを見やって、颯太は白百合の扉に近付いた。
用心深くその扉に手を伸ばそうとした、そのとき。
不意にばたん、と音を立ててその扉は向こうから開かれた。
―――ルルナス!
大聖堂では、オルグの体の中でコンラートがルルナスとの戦いを繰り広げていた。
「ああ……エノク……ほんとうに、きみなんだね……」
焦るコンラートとは裏腹に、ルルナスは今や手を伸ばせば触れられるほどにステファーノ……エノクに近付いている。
―――まずい……このままでは……
このままでは、『聖女の涙』が破壊され、3000年の怨念が無に帰してしまう。大聖女像が、破壊されてしまう……!!
―――ル ル ナ ス !!
気を振り絞り、胸の裡でそう叫んだ時、伸ばしたオルグの手が、差し出されたステファーノの手に触れた。
「!!」
目の前で押し開けられた扉に、咄嗟に颯太は飛び退り、聖剣を構えた。
レティも大聖女の前で杖を掲げ、身構える。
だが、その扉から姿を現したのは。
「ちょっと!フェリシア!!少しは静かに……」
「構やしないわよ!どうせさっきのでここにいるのはバレてんだから!」
「フェ……フェリシア様?それでもできれば内密に事を運んだ方が……」
肩くらいの長さの金髪を無造作に括った、騎士服のエルフと、侍女服に身を包んだ、大柄で茶色い髪の魔人。
そして。
「……う……そ……」
ごとり、と音を立ててレティの手から杖が落ちる。
「シャノ……ワ……?」
颯太も呆然と目の前に現れた藍色の髪の少女の名を呟いていた。
「は?ソータ!?レティ?」
「まあ!おふたりとも!!」
「シャノワ様!!」
向こうにとっても想定外だったのか、素っ頓狂な声を上げるフェリシアと目を丸くするシャノワに、泣きながらレティが抱き着いた。
「レティ様!!よく……よくぞご無事で……」
「シャノワ様こそ!!ああ……良かった……やっぱり、生きていてくださったのですね……夢ではありませんよね?」
手を取り合って互いの無事を喜び合う姫たちの指で、それぞれ青の指輪と薄桃色の指輪がきらりと光を弾く。
「フェリシア……謹慎中じゃなかったっけ?それにその頭、どうしたの?」
驚きつつも、どこか納得したような不思議な心持で、颯太はとりあえずバッサリ切られたフェリシアの髪のことを聞いてみる。
「謹慎じゃないわよ!失礼ね!この髪は……切ったのよ。騎士に化けるのに邪魔だったし、ワリス様騙すのに、身代わりが必要だったし……」
やっぱ謹慎じゃん!、と顔に描いてある颯太にもごもご言い訳をしつつ、フェリシアは誇らしげに木剣を掲げた。
「それより、これよ!ワリス様の、世界樹の剣!この剣がシャノワを護り、隠してくださっていたの!!そして、このジュリアの協力で封印が解けて、シャノワ復活!ってわけよ!!」
「そうなの!?」
びっくりしてジュリアと呼ばれた魔人を振り向けば、彼女は気まずそうに小さく会釈をした。
「それより、戦況は!?エナは大聖堂でエリザベートと戦ってたの!わたくしたち、ここから階段を使って東の塔へ降りるつもりだったんだけど!」
「姉ちゃんが!?」
はっと我に返ったようなフェリシアにそう訊かれ、颯太はレティと顔を見合わせる。
「オレたちは、まず『聖女の涙』を壊しに来たんだ。さっきまで魔王、いたんだけどどっか行っちゃって……とにかく、この隙に、とっととあれ壊さないと!」
「ええ!急ぎましょう!ソータ様!!」
聖剣を握り直し、大聖女像に向き直ると、その柄で大地の宝玉が輝きを増した。
と、同時にちりり、と腹の底で何かが燻ぶる。
予感のような、小さな警鐘が背中をせっつく。
颯太はふとシャノワと―――白百合の扉に目をやった。
「……シャノワ、フェリシアも、ジュリアさん?も……もっとあっちの扉から離れて。隅っこ寄って。フェリシア、結界張れる?破片飛ぶかもしれないし」
「判ったわ」
颯太の言葉にフェリシアが魔法具を取り出し、シャノワを庇うように壁際に身を寄せる。ジュリアもシャノワを護るようにその背に立った。
3人が十分に扉から離れたのを確認し、颯太はレティと頷き合い、聖剣を破邪の剣に変えた。うっすら青みがかった白銀の刃が銀の光の粒子を振りまく。
息を整え、颯太がその刃を振りかぶった、そのとき。
「そうはさせるものですか!!!」
怨嗟に満ちた声が、緊迫した空気を揺るがせた。




