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最初で最後の


 「本当は、このままきみの手でぼくを討ってもらうのが正しいのかもしれない」

 少しだけ震える声で、ルルナスは言った。


 「そうすれば、あの悍ましいぼくたちの悪意も消える。もっとも、今更あの残滓に誰かに憑りつく力は残っていないだろうけど」

 ルルナスの言う通り、颯太を取り込めなかった靄たちは往生際悪く聖地の暗がりでとぐろを巻いているものの、だんだんと薄れ、消えかけている。

 「……でも、どうせなら、ぼくはこの命を、最後の力を他のことに使いたい。駄目かもしれない。無駄な足掻きになるかもしれない。それでも」

 少しだけ言い淀んで、颯太の目をまっすぐ見て。


 「ぼくは………セオにすべてを賭けてみたいと思う」

 たったひとつの望みを叶えた白い竜は、強い瞳でそう告げた。

 

 

 「セオ……さまに……?」

 反射的に、アルの傍に佇むセオを見やって―――それから、颯太ははっと息を飲んだ。


 真剣な面持ちで見返すかの神の冠す名は、「()()()」。


 「……まさか……」

 同じく息を飲んだレティが、か細い声を上げる。


 《 ………ああ。()()()() 》


 固唾を呑む一同を見渡し、セオはきっぱりとそう告げた。

 

 「お……お待ちください!セオ様!」

 セオの宣言に、皆が一気に胸を高鳴らせるなか、青褪めて声を上げたのはレティだった。

 「時を戻すとおっしゃっても……セオ様が無事に時を戻せるのは10分ほどだと……それでは……それでは、姉さまは……」


 《 心配は無用だ。エンデの姫よ 》


 白くなるほどに手を握り締め、唇を震わせるレティを安心させるように、セオはゆったりと頷いて見せる。


 《 確かに俺が安全に時を戻せるのは10分ほど……だが、それは()()()()、の話だ 》


 「と、おっしゃると?」

 10分と聞いて肩を落としたラウが食い気味に身を乗り出す。


 《 もう間もなく消え去るだろうが、幸いここはまだ魔王の領域内だ。今なら外への影響なく時を戻すことができる。さすがに、際限なく……というわけにはいかないが…… 》


 「まことでございますか!!」

 「おお!!」

 その言葉を聞いて、今度こそ一同の顔に希望の色が広がった。

 「じゃあ、姉ちゃんは生き返るの!?」


 《 ああ。生き返るというよりは、最後のうたを歌う前の時間まで遡るというのが正しいが 》


 必死の形相の颯太に縋りつかれ、セオは優しく彼の髪をひと撫ですると、すっと顔を引き締める。


 《 ただし、いくつか制約がある。まず、生身であるお前たちはこの記憶を持って時を遡ることはできない。それができるのは傍観者と俺を宿したアルだけだ。そして、戻すのはこの聖地へ足を踏み入れた瞬間とする 》


 「そんな!!」

 それを聞いて抗議の声を上げたのはエドナだった。

 「それでは、あの小娘を取り逃がしてしまいますわ!!あの一族の面汚しは、女王たるわたくしの手で葬らねば!」

 シャノワの死とフェリシアの絶望、そして黒の飽和……そのすべてを引き起こし、挙句依那の死を招いたのはすべて自分がウルリーケを見逃したせいだと、エドナは髪を振り乱して訴える。

 「まあ落ち着け、エドナよ。責任というのなら、あの場にいながら取り逃がした我も咎を負うべきであろうよ」

 「いいえ!わたくしのせいですわ!!わたくしが……わたくしが一瞬でもあの小娘を憐れんだから……だから………」

 「……エドナ様」

 頑なに自分のせいだと言い張るエドナを宥めるように、ステファーノがそっとその肩に手を置いた。

 「今セオ様がおっしゃったように、あなたたちはこの記憶を持ち得ない。ぼくや殿下にしたところで、せいぜい断片的な知識が残るくらいのものでしょう。そんな状況でもう一度あの場に立ち戻ったとして……あなたが非情になりきれるかは判らない。あなたは、歴代の魚人賊の女王の中でもひときわ慈悲深いお方ですから……」

 「ステファーノ……」

 悲痛な表情でエドナは唇を震わせた。だが、その言葉を完全に否定することはできなくて項垂れる。

 彼女が渋々ながらも了承したことを確かめて、セオは改めて一同を見渡した。


 《 王家の指輪は持っているか? 》


 「ああ。『王の心』はここに」

 「わたくしも。『王の癒し』ですわ」

 道具袋から大事そうに指輪を取り出したレティは哀し気に目を伏せる。

 「オルグ兄様の『王の誇り』は……あれだけは、その、シャノワ様のお手許に……」

 たとえそれが国宝だとしても、息絶えたシャノワの指に光っていた兄の指輪を回収することなど、レティにはできなかったのだ。


 《 ……そうか。だが、すべてを成すには創生神様の()()()()()を揃える必要がある。この、ルルナスの『賢者の叡智』も含めてな 》


 「え?でも『聖女の涙』と『勇者の志』は……」

 「だいじょうぶ」

 セオの言葉に異を唱えようとする颯太に、ルルナスはそっと微笑みかけた。

 「確かにあの二つの宝玉は失われた。でも、にいさん……アスナスとヴェリシアは……彼らの魂は、この宝珠に宿っているんだよ」

 そう言って、ルルナスは依那が最期まで握り締めていた、アルタ―――エリシュカのヒルトを掲げる。

 「この柄頭の宝玉は『天空の宝玉』。オルトの『大地の宝玉』と対を成すもの。ぼくを倒すために()()姿()()()()()()()()宿()()石だ」

 「ええっ!」

 「これが!?」

 颯太は驚いてオルトの柄に輝く大地の宝玉を見つめた。

 「オルトがアスナス神の化身だっていうのは聞いてたけど……」


 この深い緑色の宝珠にアスナス神が宿ってるとまでは聞いてない。割とぞんざいに扱って、そのへんにぶつけちゃったりしたけど、大丈夫かな?


 「いいかい、よく聞いて。望む未来を導くためには、いくつか成し遂げなきゃいけないことがある。まずは、セオが言ったように宝玉をすべて揃えること。最悪でも、()()()()()()()()()にすべての石が揃ってなきゃいけない」

 「お……お待ちください!エナ姉さまにもう一度最期のうたを!?」

 ルルナスの言葉に、レティは唇まで真っ青になった。

 「そんな……エナ姉さまはそのせいで亡くなったのに!!」

 「……それが必要なんだよ。小聖女」

 震えながら叫ぶレティに、ルルナスは重々しく告げる。

 「ヴェリシアの神託を受けただろう?あれは、()()()()()()()()()()だ。世界を救うために……彼らを救うために」

 「そんな……」

 その幼い見た目からは想像もつかないほどの神気と威厳に圧倒されそうになりながら、それでもレティは首を振った。

 「そんな……あの絶望をもう一度味わえとおっしゃるのですか?そんなの……そん……な…の……」

 「……指輪を揃えれば、うたを歌っても姉ちゃんは助けられるの?」

 「……勇者」

 半泣きで訴えるレティの肩を抱き、口を挟んだ颯太の言葉に、ルルナスは真剣な顔で頷く。

 「絶対、とは言えない。聖女自身の願いが足りないこともあり得るからね。でも、可能性は格段に上がる。小聖女には悪いが、聖女が歌うのは確定事項だから」

 「……覚悟決めちゃった姉ちゃんは神様でも止められないってことか……」

 姉ちゃん、強情だからなあ。

 ふう、と天を仰ぎ、颯太はレティの肩を叩いた。

 「……信じよう。レティ。オレたちは、オレたちにできる最善を尽くそう」

 「……ソータ……さま……」

 ひくり、としゃくり上げながらも、レティは小さく頷く。それを確認して、颯太はもう一度ルルナスに向き直った。

 「……で。オレたちはとにかく『王の癒し』と『王の誇り』を持ち帰ればいいのかな」


 《 いや、それだけでは不十分だ 》


 黙って彼らのやり取りを聞いていたセオが口を挟む。


 《 おそらくは、カナンの姫。あの娘が重大な鍵となる。彼女を死なせてはならぬ。必ず連れ帰るのだ 》


 「そうだな。シャノワ姫が死ねば、フェリシアの絶望が『聖女の涙』飽和の引き金を引くだろうしな」

 「つまりは、ウルリーケの襲撃を退けなければならぬ、ということですわね……」

 ダリエスの同意に、思い詰めたような目でエドナが唇を噛む。

 「わたくしの不始末を押し付けてしまうようで、勇者様には申し訳ないのですが……」

 「あっ!いや、エドナさんのせいじゃないから!全然!!」

 美しい女王に深々と頭を下げられ、颯太はあわあわと手を振り回した。

 「それより、どうやったらシャノワを護れるか……」

 「あれは……完全な不意打ちでしたわ。わずかでも反応できたジュリアさんが信じられないくらい」

 「だよねえ……」

 う~ん、と頭を捻る二人の手を、そっとルルナスが取った。


 「ルルナス様?」

 「確かに、きみたち()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。……でもね」

 その颯太の手を『大地の宝玉』へ、レティの手を『王の癒し』へ導く。

 「この宝玉は別だ。明確な記憶としては持ち得なくても、どうかその願いを強く宝玉に刻み込んで。たった一度の機会を、無駄にしないように」

 「ルルナス……さま……」

 呆然とルルナスを見つめ、それから二人は各々の宝玉をぎゅっと握り締めた。


 「……ぜったい、シャノワを助ける!」

 「ええ!『聖女の涙』の飽和など、させるものですか!フェリシア様を世界を終わらせた元凶にするわけにはいきませんもの!!」


 目を閉じて宝玉に念を込める二人を見やって、セオはステファーノやラウに向き直る。


 《 それから、もうひとつ。ここでは泉の神気が強すぎる。ことを起こす場を、この上の大聖堂とする。いいな。今度こそ、間に合えよ、アル 》


 「……当然だ」

 釘を刺すようなセオに苦笑し、アルはそっとナルファから受け取った依那の亡骸を抱き締めた。

 安らかなその顔を見つめ、頬にかかった髪を払い、そっと額に唇を寄せる。

 「もう絶対に……死なせるもんかよ」


 そうだ。絶対に取り戻すのだ。

 人前でこんなことをしようものなら、真っ赤になって大暴れするだろうあの愛しい規格外を。

 可愛い憎まれ口を。

 弾けるような、あの笑顔を。


 《 それでは………覚悟は決まったな? 》


 もう一度ゆっくりと一同を見渡し、セオは左手を石畳の床に置いた。

 その手から瞬く間に青く光る魔法陣が広がり、全員を包み込んで高く積み上がっていく。

 陣を辿るように走る青い光が、やがて陣そのものを白く輝かせていく。


 《 時を戻せるのはただ一度。成否は『聖女の涙』の飽和を防げるかどうかにかかっている。さらに宝玉をすべて持ち帰ること。シャノワ姫を連れ帰ること。場を大聖堂へ移すこと。そして聖女が正しい願いを選び取れば……すべては成されるだろう。魂の救済も……青の王子の生還も… 》


 「!!兄様も!?」

 真っ白に染まっていく世界に響くセオの言葉に、はっとレティが顔を上げる。

 「兄様が……兄様も取り戻せるのですか!?セオ様!!」

 だが、その叫びに答える声はなく。

 

 世界は、真っ白に塗り潰された。



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