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聖女のうた


 戦場は、地獄と化していた。


 空は厚い黒雲に覆われ、一筋の光もない。

 夢幻城から湧き出した『穢れ』は前庭から溢れ出し、異界にも押し寄せていた。


 いち早く『穢れ』に気付いた者が警戒の叫びをあげ、従軍した小聖女や神官たちがなんとか押し留めようと力を振るうものの、すべて徒労に終わる。勢いづいた魔物たちと戦いつつ、少しでも陣形を保ったまま『穢れ』から遠ざかるしか、今の彼らには成す術がなかった。

 「……エナ様……ソータ様…」

 それでも運び込まれる負傷者にできる限りの処置を行うエレは、縋るような想いで天を仰ぐ。

 そのとき。


 一陣の涼やかな風が戦場を吹き抜けた。

 そして、その風に乗るように確かに聞こえた、澄んだ歌声。


 「……う……た……?」


 人も、亜人も、魔物も。

 はっと夢から覚めたように動きを止め、みな一様に空を見上げる。

 その眼前で、天を覆う、真っ黒い雲が割れた。


 時を同じくして、人々の知らぬ場所では、闇を吐き出していた純白の大聖女像の胸に、ぴしり、と亀裂が走っていた。

 亀裂は見る間に彫像の全身に広がり、やがて大聖女像は澄んだ音ともに砕け散る。


 同時に、雲間から差し込む明るい陽射しが『穢れ』に覆われた大地に、立ち尽くす人と亜人に、魔物に降り注いだ。

 暖かな温もりが人々を癒し、悍ましい『穢れ』を、心なき魔物たちを包み込み、そっと浄化して。


 あれほど濃かった『穢れ』が、淡雪のように溶けて、消えていく。

 世界を光と慈愛で満たしていく。

 泣きたいほどの優しさが、空に広がる。


 「……こん……な……」

 「なん……と……いう……」


 がしゃり、と音を立てて騎士たちの手から剣が落ちる。

 自然と溢れる涙を拭うこともできぬまま、この地に立つ者たちはただ天を仰ぎ、清らかな光に照らされた世界を見つめていた。









 「お……おお……」

 「……う……そ……だろ……こんな……」


 明るい光は、この地の底にも射し込んでいた。

 聖地に流れ込んでいた『穢れ』が祓われていく様と、外の映像を見比べてラウが、ダリエスが呆然と呟く。


 だが、コンラートを前に歌い続ける依那は―――依那だけは、自分が『()()()()』のだと悟っていた。


 ………だって。


 歌い出した瞬間、言いようのない哀しみが、胸を貫いたから。

 アルタが、エリシュカが泣いているのが判ったから。

 依那がうたに託した願いは―――この膨大な『穢れ』を消して世界を護って、という願いは、()()()()()()()()()()()()()()()()のだ。


 あたし、何を間違ったの?何を願うべきだったの?


 だが、一瞬の動揺を振り払い、依那は歌い続ける。

 歌い始めたら、途中でやめることも、やり直すこともできないから。

 この想いも、切実な依那の願いであることに変わりはないから。

 

 

 歌い始めたそのときから、コンラートは一切の攻撃を止め、ただ静かに依那を見つめていた。

 依那の後ろの―――エリシュカの残留思念を見つめていた。


 ―――……エリシュカ……


 声にならない声で、彼の唇がその名を紡ぐ。

 会いたかった、と。

 ただただ、もう一度きみに会いたかったと、胸が潰れそうなほど真摯な想いがその瞳から溢れる。


 ―――コンラート……


 依那の肩の向こうで、エリシュカが泣いているのが判った。


 ―――ごめん……ごめんね、コンラート……わたし……わた……し……

 ―――……いいんだ


 ゆっくりと首を振り、コンラートは一歩依那に向かって踏み出した。


 ―――最期に、もう一度きみに逢えた。それだけで、おれは十分なんだ


 一歩一歩、踏みしめるように依那の目の前に立ったコンラートは、そっと依那の右手を取る。

 「さあ、聖女。……ここを」

 そう言って、依那の手を押し当てたのは、自らの胸。心臓の、すぐ横の位置。

 「()()()()だ。……ここを貫けば、おれは今度こそ滅びる」


 《 っ!! 》


 息を飲んだセオを見やって、苦笑して。

 「当然だろう?……だって、おれは……()()()()()()()を、したんだから……それに」

 ふたたび依那に目を戻し、彼はくしゃりと依那の髪を撫でた。

 「おれの、本当の、たったひとつの望みは叶った。だから……頼むよ、聖女。おれを……終わらせてくれ。エリシュカの愛した、あの頃のおれのままで。憎しみに取り込まれた、()()()()()()()


 その言葉の通り、穏やかに微笑むコンラートの表情は今までの魔王のものとは違っていた。

 それは、エリシュカの記憶の中で見たはるか昔の彼のもの。

 エリシュカの隣でしあわせだった、彼の笑顔。


 コンラートは少しだけエナと距離を開けた。依那の意思とは関係なく具現化したアルタが核を貫きやすいように。


 そして。


 「姉ちゃん!!!」

 固唾を呑んで見守っていた颯太が堪えきれず飛び込んでくるのと同時に、アルタはコンラートの核を貫いた。

 瞬時に、あたりを包む爆発的な光。


 「ねえ…ちゃ……」

 「…エ…ナ…!!」


 必死で伸ばした手が、届いたのか。

 それすらも判らぬまま、意識が白に溶ける。



 そうして。



 世界は、静かに暗転した。

 



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